4月22日、8回目のユース聖餐式が行われました。今回も4名の初参加者が与えられ、25名でのユース聖餐式となりました。
この日はユース聖餐式前に、マーガレット教会青年会の拠点となる、サムエル館(長年捨て置かれていた牧師館隣の部屋)の大掃除も行われました。
バルサンを焚いてダニやゴキブリを一掃しました。サムエル館を追い出されたゴキちゃんたちのある者たちは、隣の牧師館に避難したのでした。
さて。今回は、ユース聖餐式で語られたメッセージ+αを掲載いたします。
私が大学のときにお世話になった恩師に、ホアン・マシアというイエズス会の神父さんがいます。彼は「生命倫理」という学問を日本に紹介した人で、上智大学で教えていました。
私がマシア神父さんから聞いた、数えきれないほど沢山の話の中で、決して忘れられないものの一つは、あるキャリア・ウーマンのお話です。
この女性はある日突然、マシア神父さんのオフィスに電話をしてきました。相談したいことがあるのでと言って、マシア神父さんに電話をかけてきて、数日後、彼女はマシア神父さんの研究室を訪ねて来ました。
この40代後半、あるいは50代前半の女性が働いていたオフィスは、上智大学から比較的近いところにあったようで、いつも大学を横目に見ながら職場に向かっていたそうです。
彼女は大学卒業後、ずっと同じ職場で働き続け、男の同僚たちを出し抜いて出世のハシゴを登るために、ひたすら仕事に明け暮れました。
毎日、残業に残業を重ね、同期の女性社員たちが次々と結婚して仕事を辞めていっても、彼女は一心不乱に働き続け、社内での地位を築いてゆきます。
しかし、彼女の人生に、予期せぬ転機が訪れました。毎年行っていた定期検診で異常が見つかり、精密検査を受けることになり、その結果、癌が見つかりました。医師の宣告は、余命半年、長くても1年でした。
大学卒業から四半世紀に渡って、がむしゃらに働き、走り続けてきた彼女は、このとき初めて立ち止まり、自分の人生と、生きることの意味と、向き合うことになりました。
自分は一体何のために生きてきたのか。何も考えずに走り続け、ただ会社のために命を削ってきた。そのことに彼女は愕然とします。
そして、残された時をどう過ごすのか、そして自分の人生の意味を探すために、すみやかに会社に辞表を提出しました。
退職の日を迎え、オフィスに向かう最後の日の朝、彼女は四ッ谷の駅の交差点で信号待ちをしているとき、ふと目を上げました。すると、美しく咲き誇る、満開の桜が目に飛び込んできました。
「なんて美しいんだろう」、そう思うのと同時に、毎日、同じ場所を通って仕事場に向かっていたにもかかわらず、その美しさき気づくことのなかった自分に、彼女は驚きます。
同じ光景を、毎日見ていたはずなのに、何も見えていなかった。目が開いているのに、見えていなかった。死が間近に迫って来るまで、生きることの意味をまったく問うことがなかった。死が目の前にやってきて初めて、彼女は人間の愚かさに気づき、そして自分を笑いました。
死を直視しない生は逃避です。この肉体の命は永遠ではない。そこのことから目を逸らす生き方こそが、賜物としてのいのちの軽視へと導きます。自分がいつか必ず死ぬ、その最も明白な真実に目を塞ぐ生は、薄っぺらなものとなります。
そして、死を見つめない人間たちは、命を所有物、操作の対象、商品にします。そして、私たちが生きているこの日本という国は、世界のどこにもまして、人間をモノと見なすところです。
この世は、いい学校に行くこと、いい会社に就職すること、美人と結婚すること、年収が高くて安定した仕事をしている男と結婚することを成功と呼びます。
しかし、私たちは皆、かならず死にます。いつこの世の命が終わるのか、私たちにはわかりません。
しかし私たちが、すなわちクリスチャンと呼ばれる人たちが知っていることがあります。それは、すべての者は、神の裁きの前に立たなければならないということです。
私たちの学歴も、私たちの地位も、キャリアも、名誉も、財産も、美人の妻もハンサムな夫も、私たちが神の裁きの前に立つ時、何の役にも立ちません。
もし、「神の裁きなんてない」と信じるなら、私たちは来週以降、教会に来る必要はまったくありません。時間の無駄です。
しかし、もし私たちが神の裁きの前に立たなければならないという聖書の言葉を信じるなら、私たちにとって「成功」を計る基準は、この世と違うはずです。
では、クリスチャンにとっての「幸いな人生」、「成功した人生」とは何でしょうか?