5月13日の日曜日、第9回目のユース聖餐式が行われました。雨模様となったにも関わらず、20名を超える参加者が与えられ、祝福に満ちた時となりました。
今日は使徒言行録1章6節から11節、ルカによる福音書24章44節から49節が読まれました。そのどちらでも、復活の主は、弟子たちに向かって「わたしの証人となる」と言っておられます。
教会の信仰、キリスト教は「証人」の存在に依存しています。証人無くしてイエス・キリストへの信仰はありません。
今日のグループディスカッションは、「なぜキリスト教信仰にとって証人が重要なのか」、「なぜイエスさまの弟子たち、すなわちクリスチャンは、証人とされるのか」というテーマで進められました。熱のこもった真剣な話し合いのときでした。
少しだけ、その話の中身をご紹介します。
- 神様との縦の関係は、証人を通して横に広がる。
- もしクリスチャンがいつも愚痴や文句ばかり言っていて、全然クリスチャンであることを喜んでいないなら、その人の言うことを聞きたいと思う人はいるだろうか。
- 証をすることは、自分の信仰を成長させることにもつながる。
- イエス様が私たちに、福音を宣べ伝えろって言ってるんだから、証をするのは当たり前のこと。
- もし、自分はクリスチャンだけど証人じゃないとか、証人になりたくないと言う人がいるとするなら、クリスチャンだけど復活は信じていないというのと同じで、それはクリスチャンと呼べない。
- 証をしてくれる人がいなかったら、イエス・キリストのことを知ることはできないし、教会もここまで続かなかった。
イエス・キリストのもとに招かれ、ユース聖餐式に集った人たちの真剣な話し合いの場面を横から眺めながら、この人々を呼ばれた神様に、今日も心からの感謝をささげました。