ペンテコステ:聖霊降臨日

今日はペンテコステ、イエスさまが天に挙げられる前に約束された弁護者、聖霊が与えられたことを祝う祝日でした。

聖霊が使徒たちと他の復活の証人たちの上に降ったとき、彼らは多言語で神の偉大な業を語りました。

このことを象徴的に再現するために、今朝の第一朗読の箇所(使徒言行録2:1-11)はギリシア語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、コリアン、広東語で読まれました。

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彼らが語った神の偉大な業とは、イエス・キリストが行なった神の国のしるしとしての奇跡であり、十字架の死であり、復活であり、福音です。

聖霊が降った時に、ユダヤ人の弟子たちからなる初代教会、エルサレム教会が、外国語で福音を語ったという出来事は、二つのことを差し示しています。

  1. イスラエルに与えられた約束の成就としてのメシア、救い主イエス・キリストの御名は、イスラエルという民族を超えて、あらゆる言語で、あらゆる民族に宣べ伝えられる。
  2. 新しいイスラエルとしての教会は、キリストを王としていただく、多民族・多言語の政治共同体である。

イエス様は天に挙げられる前、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)と弟子たちに告げました。

そうすると、聖霊は、弟子たちを、宣教師とするために、イエス・キリストの証人とするために注がれる霊であるということになります。クリスチャンは皆、宣教師であり、イエスをキリストとして証しする者なのです。

実は、教会に、一つの言語を話す、一つの民族しかいないとするなら、それは、その教会が病んでいるもっとも明らかなしるしです。

教会の歴史の中で、「国民教会」というような表現が生まれたことは、教会がクリスチャンという言語を忘れ、この世の言語に支配されるようになり、その結果、国家の下請けになったことを明確に示しています。

自分たちのもとに福音をもたらしてくれた宣教師たちを追放して、「日本と日本人に仕える教会」になろうとした日本の教会が、どれほどの悲劇をもたらしたかを忘れてはなりません。

宣教師たちは海を超え、言葉を超え、民族的には同胞でもない私たちに、イエス・キリストの福音をもたらしてくれました。

本来であれば、宣教師たちが日本を離れた後、日本人クリスチャンが、喜びにあふれて福音を告げ知らせ、そして日本の教会は成長したはずです。アフリカでも、アジアでも、宣教師たちが去った後、教会は現在にいたるまで成長を続けています。

ところが多くの日本人クリスチャンは、自分がクリスチャンであることを隠し、まるで福音など聞いたことがないかのように、イエスの名を口にすることをはばかり、イエスの御名を語らなくても済む宣教論に飛びつきました。

その結果として、日本中の教会が、死に至る病に冒され、多くの教会が、今まさに死に絶えようとしています。

しかし聖霊は、この病を癒すことができます。もし御霊が私たち一人一人を満たしてくださるなら、私たちは喜びに満たされてイエスの御名を宣べ伝える証人とされます。そして、私たちが良き証人とされるなら、教会は再生します。