聖霊降臨後第10主日:特定8説教

Deu 15:7-11; 2Cor 8:1-9,13-15; Mk 5:22-24,35b-43

2014年、一人のフランス人経済学者の書いた本が、世界中でベストセラーになるという珍しい現象が起きました。Thomas Piketty の『21世紀の資本』という本です。原著のフランス語版は2013年に出版され、英語訳も日本語訳も2014年に出版されています。

フランス語の原著は970ページ、英語訳も800ページを超える大著です。800ページを超える経済書と聞いただけで、手に取る気も失せるかもしれませんが、この本が言っていることは、はそれほど複雑なことではなく、3つのポイントに集約されます。

第1は、「資本利益率は、経済成長率よりも大きい」という法則、ないしは公式です。これが意味するのは、資本主義経済というのは、貧富の差が無限に拡大するシステムだということです。

第2のポイントは、第1のポイントから導き出されるものですが、資本主義というシステムの内部には、貧富の差を解消する装置は存在しないということです。マーケットは富の公平な分配の機能など持ち合わせておらず、資本主義経済というシステムの下では、格差は拡大を続けるだけで、決して縮小しません。

第3のポイントは、資本主義というシステムの欠陥を補うために、各国が協力して国際的課税体制を構築して税金逃れの道を遮断し、富の公平な分配機能を果たすようにという提言です。

Harry Potter じゃあるまいし、こんな分厚い経済学関連の本が、世界的ベストセラーになるなどということは、普通にはあり得ないことです。原著の出版の翌年に各国誤訳が出ていることを考えれば、どこかに仕掛け人がいたのでしょう。

Pikettyは各国政府が国際的課税体制を構築して富の再分配の機能を果たすことで、格差問題を解決するよう主張します。

恐らく彼は、近代国家というシステムそのものが、権力者と権力者を支えるパトロン、すなわちすでに持てる者の財産を守るために考案された装置であったことを知らないのでしょう。

もし近代国家の政府が果たすべき役割が、貧しい者に「富を再分配」することにあるなら、offshore の tax haven など、とうの昔に消滅しているはずです。しかしどこの政府も、本気で offshore の規制をしようなどとは考えていません。

もし、offshore tax havenを規制しようとする政府などというものがどこかに存在したとしても、国際的規制など決して実現しません。なぜなら、tax havenを収入源としたい権力者が、世界中に存在するからです。

Pikettyが、貧富の格差を生む「本当の問題」を理解していないのに対して、使徒たちの教会は、聖書は、この問題の根源がどこにあるかを知っていました。

使徒たちの教会が知っていて、Pikettyが知らないことと。それは、この世の政治と経済は、この世の神、サタンの支配下にあるということです。

黙示録18章の中で、終わりの時に神によって滅ぼされるバビロンと、大淫婦と交わって繁栄する国々は、ローマ帝国とその属州だけを表しているのではありません。それは、この世のすべての国、この世のすべての政治と経済の現実を明らかにしているのです。

この世の権力は常に、支配そのものを自己目的とする偶像となります。権力者が支配を永続化するために必要な資源は富、すなわち金です。

支配の永続化のために必要な富が、貧しい民衆から来るはずはありません。必然的に、いかなる政府にとっても、搾取によって富を蓄積するシステムは、権力維持に不可欠な生命維持装置なのです。

そのために、富の不均衡を解消するための根本的な法改正は、いかなる政府においても、決して起きないわけです。なぜなら、それは即、支配者としての地位を失うことを意味しているからです。

1970年の時点で、一般労働者と企業の最高経営責任者の給与格差は30対1でした。これが、現在は、300対1にまで拡大しています。

マクドナルドの店員とマクドナルドの最高経営責任者の給与格差は1200倍です。つまりマクドナルドの従業員が1万円を稼ぐ間に、マックのCEOは1,200万円を稼ぐわけです。

1980年以降、アメリカでは超富裕層に対する最高税率、収益に対する税率共に引き下げられ、1%の富裕層への富の集中を一気に加速させました。

莫大な利益に対する課税を回避するために tax haven が存在し、1%による富の独占を可能にしています。

1%の超富裕層が所有する富は、残りの99%が所有するすべての富を合わせたよりも大きく、この1%が支配する富の割合は拡大を続け、残りの99%が所有する富の割合は縮小を続けています。

これが、黙示録が大淫婦と呼ぶ、この世の神が支配する経済の現実です。

では、使徒たちの教会は、経済格差の問題に、どのようにアプローチしたのでしょうか?
彼らは、ローマ帝国の経済システムを変えてやろうとか、皇帝の力で富の再分配をしてもらおうなどとは考えもしませんでした。

むしろ彼らは、ユニークな、世界で唯一無二の政治・経済共同体となることで、格差を無効化する道を主から示され、それを実践しました。

使徒たちの教会は、いわゆる、私有財産を禁じることはありませんでした。初代教会の拠点は、裕福なメンバーが所有する家でした。

使徒言行録の16章に登場するリディアは、紫布の商人であり、非常に裕福でした。彼女は自分の家を、パウロとテモテの宣教拠点として提供しました。

ペテロは、アナニアが土地を売った代金をごまかしたとき、彼に向かってこう言っています。「売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思い通りになったのではないか」と。

つまり、神から賜物として与えられた財産を、どれだけ、どのように用いるかの判断は、一人一人のクリスチャンに委ねられていました。

しかし同時に、パウロに限らず、使徒たちは皆、教会の貧しいメンバーの欠乏を満たすことは、豊かなメンバーの義務であることを教えています。

第二コリント8章13節、14節でパウロはこう言っています。「他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。」

パウロはここで、キリストの弟子たちに、自分のために蓄えることをやめて、共同体の全てのメンバーが生きられるように、神から受けた賜物を分け与えるようにと命じているのです。

教会の中に豊かなメンバーがいるとすれば、その豊かさは、他のメンバーの欠乏を満たすために与えられているのであって、自分の未来のために、老後のために蓄えるためではありません。

ヨハネは言います。「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。」(Iヨハネ3:17)

ヤコブは言います。「もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコブ2:14-17)

使徒たちにとって、教会の中に極端に裕福な者と、日毎の糧にすら困窮する者が共存しているとするなら、それは裕福な者が主の命令に逆らい、果たすべき義務を果たしていない証拠なのです。

「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」(ルカ12:48)と主が言われる通りです。

つまりこういうことです。もし教会が、まことの神の家族として生きているなら、豊かなメンバーが貧しいメンバーの欠乏を補うために、たとえ全財産を使い果たしたとしても、その人自身が欠乏に陥った時には、他のメンバーがその欠乏を満たしてくれると信じられるでしょう。
逆に、もし私たち一人一人が、自分の老後のために蓄えなければならないと不安にかられているなら、私たちはキリストにある家族になることに、聖書が語る教会になることに失敗しているということでしょう。

主はご自分の豊かさを捨てて、貧しくなり、私たちを豊かな者としてくださいました。この無限の豊かさの中に私たちが生きるなら、私たちは惜しみなく分け与えても、貧しくなることはありません。キリストの豊かさは、尽きることがないからです。

私たち一人一人が、キリストの豊かさの中に生きることを通して、自分のために蓄えることをやめ、惜しみなく分け与え、天に宝を積む聖徒の群れとされますように。