17 July 2018 Proper 10: Amos 7:7-15; Ephesians 1:3-14; Mark 6:7-13
教会はキリストの羊の群れであり、牧師に与えられた役割は、キリストに属する羊の群れを養い育てることです。また、教会はキリストの体ですから、牧師の仕事は、体の健康管理だと言うこともできます。
健康管理の出発点は、今現在の健康状態を把握することですから、牧師は教会の健康状態を示す様々な指標に目を光らせている必要があります。
そして先週、今日の説教準備の一環として、教会の健康状態に関する、ある報告を読んでいました。これは、千葉県にある東京基督教大学の国際宣教センターというところが2014年に立ち上げた、日本宣教リサーチというプロジェクトの分析結果です。
2016年に発表された調査レポートには、教会数50以上の教団・教派の中から、教会数が多い順に35の教団・教派の教会員数、そして礼拝出席者数のデータが示されています。
35の教団・教派の中には、一つの教団・教派としては数えられない単立系のグループが5つ含まれているので、実際の教団・教派数は、この内の30ということになります。
このレポートは、残念ながら、日本のほとんどの教会が、健康に成長してはいないことを示しています。
体としての教会が成長しているか、あるいは弱り、痩せ細っているかを見極めることは、決して難しいことではありません。
教会に入ってくる人の数が、教会から出てゆく人の数よりも多ければ教会は成長し、教会から出てゆく人が、教会に入ってくる人よりも多ければ、教会は弱り、やせ細ります。
2016年のレポートによれば、30の教団・教派の中で、健康な教団・教派は一つしかありません。
それはつまり、登録上の会員数よりも多くの礼拝出席がある教団が、たった1つしかないということです。
この教団は9844人のメンバーに対して、日曜日の平均礼拝出席者数が9945人で、礼拝出席率が100%を超える、唯一の教団です。
この30の教団・教派の中で、半死を免れている教会、つまり登録されている教会員数の半分を超える礼拝出席がある教会は17ありますが、半分の機能を失った体を回復させることは、決して容易なことではありません。
日本最大のプロテスタント教団、日本基督教団の現状は非常に深刻で、主日の平均礼拝出席者数は登録メンバーの30%にとどまっています。 この数字から判断するなら、20年後の教団が、今日と同じ教団として存在している可能性は極めて低いと言わざるをえません。
しかし、日本宣教リサーチの2016年報告の中で最も衝撃的な数字は、私たちに関するもの、すなわち日本聖公会の在籍者数と礼拝出席者数です。
2015年のデータで、日本聖公会の登録メンバーは50,234人です。これに対して、主日の平均礼拝出席者数は、7630人、在籍信徒のたった15%で、主要30教団中、最低の礼拝出席率です。
先ほど触れた、30教団中唯一の健康な教団の在籍信徒数は、聖公会の5分の1以下ですが、主日礼拝出席者数の平均は、約2千3百人も上回っています。
体の機能の85%を失って、生き続けられる人はいるでしょうか?37兆2千億の細胞の内、31兆6千億が死滅しても生き続けることができる人はいるでしょうか?
あるいは100本の柱に支えられている大きな家から、85本の柱を引っこ抜いて、15本の柱でこの家を支えることはできるでしょうか?
教会に新たなメンバーが加えられる経路は3つです。1) 教会員の夫婦に子どもが生まれる、2) 別の教会から転入してくる、3) 福音を宣べ伝えた結果、新たに洗礼を受ける人が起こされる。この3つです。
教会員が減る要因も3つです。1) メンバーの死亡による自然減、2) 転出、3) 離脱です。
教会の健康にとって鍵を握っているのは、福音を宣べ伝えて新たなキリストの弟子を生み出すこと、そして信徒を忠実な弟子として訓練し、離脱者をできる限り出さないことです。
今朝の福音は、福音を宣べ伝えて新たなキリストの弟子を生み出すために、私たちが知るべきこと、あるいは思い出すべきことを示しています。
イエス様は弟子たちに、「必要最低限のもの」だけを持って、宣教旅行に行くようにと命じます。彼らは人々の関心を引くために、イエス・キリスト以外の贈り物を携えて行くことを許されませんでした。
それどころか弟子たちは、自分たちのための食料を携えて行くことさえも禁じられました。
「何も持たずに出て行け」というイエス様の命令は、弟子たちが、教会が、人々に与えるために携えて行くべきものは、イエス・キリストだけであることを示しています。
この世が与え得ず、教会だけが人々に与え得るもの。それはイエス・キリストだけなのです。
イエス・キリストの弟子として歩むことは、富や豊かさ、あるいは成功を与えてくれるのでもなければ、安心感を与えてくれるわけでもありません。
そういう意味では、キリスト教の信仰は、日本人が宗教に期待するものを何一つ与えはしません。
クリスチャンになっても病気にもなるし、災害に遭うことも、交通事故に巻き込まれることもあるでしょうし。
家内安全を望むなら、絶対にクリスチャンになってはなりません。なぜなら、イエス様は、自分の弟子として歩む者は迫害を受けると、何度となく警告しているからです。
イエス様が弟子たちに与えたのは、汚れた霊、悪霊に対する権威だけでした。そしてこれこそが、最も重要な力でした。福音とは、サタンに対する、キリストの勝利宣言です。
イエス・キリストの福音は、人を悪の支配から解放し、神の支配下に移し、神の国の民とする力です。これこそが、この世が与え得ない、教会だけが人々に与え得る、よき知らせです。
教会が世に与えるべきものはイエス・キリストだけだという、聖書が明確に示す事実を確認することは、死に絶えようとしている教会が再発見すべき、希望の光です。
教会の再生に必要なのは、土地でも、聖堂でも、資金でもありません。このことは、アフリカやアジアの貧しい国々の、貧しい教会が、爆発的成長を続けていることからも明らかです。
これらの貧しい教会は、イエス・キリストに出会い、人生を変えられた人々が、救いの喜びを証することで成長しています。
福音は、ある人が、他の人のために、キリストの物語になることによってのみ知られ得るものです。
キリストに出会い、キリストに人生を変えられた人が、キリストによってまったく新しい意味を与えられた自分の人生を語ることによって、まだキリストに出会っていない人たちは、キリストに出会うのです。
教会の未来は、悪の力から解放され、自分のlife storyの主人公が、自分ではなく、イエス・キリストとなった証人にかかっています。
その証人の人生の物語は、イエス・キリストを中心に語られる物語であるが故に、この人が自分の物語を語るとき、それを聞く人はキリスト・イエスに出会うことができるのです。
イエス・キリストがあなたの人生を変え、救いの喜びかあなたの心に満ち溢れますように。
そしてあなたの人生の物語がキリストを証するものとなり、その物語を通して、人々が主イエス・キリストに出会うことができますように。アーメン