
2018年12月9日
バルク 5:1-9; フィリピ1:3-11; ルカ 3:1-6
今朝の福音書朗読は、イエス様のいとこ、バプテスマのヨハネが、イエス・キリストのために道備えをする預言者であることを宣言している箇所で、こう始まっています。
1 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、2 アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。
ティベリウスはバプテスマのヨハネ、そしてイエス様が活動した時代の、ローマ皇帝です。アウグストゥスの死後、紀元後14年に皇帝となりました。ティベリウスの治世の第十五年は恐らく紀元後27年か28年だと思われます。
紀元前4年にヘロデ大王が死に、アルケラウスという息子が王位を継ぎますが、紀元後6年にローマ当局によって廃位され、イスラエルは傀儡王国としての地位も失って、ローマ帝国の直轄領となります。
その結果、イスラエルは4つの領域に分割されました。ローマ当局は、これらの4つの領地を統治するヘロデ大王の息子たちに、「王」というタイトルを用いることを禁じ、彼らは領主という地位に甘んじなければなりませんでした。
ガリラヤの領主と呼ばれているヘロデは、ヘロデ・アンティパスのことで、父ヘロデ大王の息子の一人でした。彼の兄弟フィリポはイトラヤとトラコン地方の、リサニアはアビレネの領主でした。
バプテスマのヨハネは、ヘロデ・アンティパスの手にかかって、獄中で首を切り落とされ、イエス・キリストに先立って道を整える者としての役割を終えます。
イエス様が神の国の到来を宣言し、その到来のしるしとなる奇跡の業を始められたのは、バプテスマのヨハネがヘロデ・アンティパスの宮廷で命を落とした後です。
この事実はすでに、イエス様の働きが、この世の支配者によってどのように受け止められ、そしてイエス様の身に何が待ち受けているかを示しています。
さらに、ナザレのイエスのために道備えをしたバプテスマのヨハネでさえ命を奪われたというこの事実は、ナザレのイエス共に旅をする弟子たちが、狼の中に放たれた羊のような存在であるとは何を意味するのかということを教えてもいます。
毎週私たちが信仰告白に用いているニカイア・コンスタンティノポリス信条にも名前の登場するポンティオ・ピラトは紀元後の26年から36年までユダヤを治めたローマ総督であり、最終的に、イエス様を十字架にかけて殺す許可をイスラエル当局に与えたのは彼です。
アンナスは紀元後の6年から15年まで大祭司の地位にありましたが、時のローマ総督、グラトゥスによって大祭司の職務を奪われます。その後、彼の5人の息子たちが代わる代わる、大祭司の座に就くことになります。
ルカ福音書3章2節に名前が挙げられているカイアファは紀元後18年から36年まで、大祭司の座を占めていましたが、彼はアンナスの義理の息子、つまり娘婿です。
ここで興味深いのは、ルカはこの時、カイアファが大祭司であることを知っているにも関わらず、「アンナスとカイアファとが大祭司であったとき」と述べていることです。
ルカは、「公式」には、カイアファが大祭司であるけれども、エルサレム神殿の中でアンナスがなおも絶大な影響力をもっており、イスラエルの人々はこのときも、アンナスを大祭司と見なしていたという現実を述べているわけです。
イエス様が十字架にかけられる前に逮捕された時、誰の下にまず引き出されたか、皆さんのご記憶にあるでしょうか?アンナスです。(ヨハネ18:13)
アンナスとその一族は、ローマ皇帝の僕となることで大祭司一族としての地位を守り、そして贅沢な暮らしを享受していました。つまり、イスラエルの民の礼拝生活、すべての中心であるはずのエルサレム神殿さえも、ローマ帝国当局によってコントロールされていたわけです。
ルカ福音書第3章のこの冒頭の2節は、当時のローマ帝国、そしてユダヤにおいて、権力の中枢にいる者たちの名を列挙しているわけですが、彼はここで、一体何をしようとしているのでしょうか?
ルカは、イエス・キリストの到来とは、この世の政治の真っ只中に、イエス・キリストの政治、すなわち神の国の政治が介入してくる出来事であることを示しているのです。
イエス・キリストは、政治的空白地帯にやってきたのではありません。この世にはすでに、自分たちが支配者であり、権力者であると主張する者たちがいます。イエス様はそこに、「まことの王」としてやって来て、自分の到来によって、神の国が始まったと宣言するのです。
ルカは、1章の「マリアの賛歌」の中でも、このことをすでに示しています。
51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。
私が、説教準備のために読む、数少ない聖書学者の一人に、N. T. Wrightがいます。彼は間違いなく、今世紀の最も偉大な聖書学者の一人であり、最も広く読まれており、そして何よりも、イエス・キリストの福音とは何かを理解する上で、大きな助けとなってくれる、稀有な学者です。彼は、2010年まで、Church of Englandのダラム教区の主教でもありました。
Wrightは新約聖書全体の翻訳もしていて、The Kingdom New Testamentというタイトルで出版されています。彼はこの翻訳の全体を通して、ほとんど全ての英訳聖書が Christ と訳しているギリシア語のΧριστόςを、あえてKing(王)と訳出しています。
これは、新約聖書全体が語る「福音」の中心には、「神の国」と、その王としてのナザレのイエスがおり、「神の国」とその王としてのナザレのイエスは、この世の政治に対する、神の政治介入であることを示すためです。
バプテスマのヨハネに与えられた役割は、「罪の赦し」に至る悔い改めのバプテスマを宣べ伝えることによって、イエス・キリストのための道備えをすることでした。
バプテスマのヨハネ自身も、まことの王の到来を待っていました。それはイスラエルの民を悔い改めに導き、神の民として再興し、神殿を聖め、神の正義、すなわち神の裁きを実現する王です。
ヨハネは人々に罪に背を向けるようにと呼びかけます。洗礼を受けることは、ヨハネの呼びかけを聞いた人々が、罪を認め、そして自分の罪に背を向けたことを表しています。つまり、洗礼に先立って悔い改めがあり、悔い改めのしるしとして洗礼があるわけです。
立ち返り、洗礼を受けるのは、罪の赦しを得るためです。しかし罪の赦しは、ヨハネによって与えられるのではなく、彼の後に来る方、イエス・キリストが与えられる賜物です。
洗礼は様々な信仰集団によって、清めの儀式として用いていました。この時代のユダヤ人は、異邦人をイスラエルの信仰の中に受け入れるための儀礼として、洗礼を用いていました。
つまり洗礼は、まことの神を知らない、異邦人の汚れを清めるための儀式として用いられていたわけです。ここで、洗礼が、異邦人にしか用いられていなかった点に注目してください。
ユダヤ人は、異邦人はまことの神を知らないがゆえに汚れているけれども、自分たちは罪の汚れを免れていると考えていたのです。
バプテスマのヨハネの使命は、イスラエルの民を罪人にすることでした。彼は、自分たちは罪の支配の下にはないと思っているイスラエルの民もまた、異邦人と同じように罪下にあると宣言します。
罪の赦し、すなわち罪からの解放が与えられるのは、その事実を受け入れた者たちだけです。そして罪を認め、赦された者でなければ、神の国に入ることはできません。
バプテスマのヨハネの使命は、民に罪を認めさせ、赦され者を生み出し、それによって神の民となる者たちを用意することでした。
この降臨節のとき、罪の赦しを受けた者として、新しく生まれた者として、そして古い生き方に背を向けた者として、私たちもバプテスマのヨハネのように、人々をイエス・キリストへと導く道を備える者として整えられるよう、共に祈りましょう。