
イザヤ62:6-7,10-12;テトス3:4-7;ルカ2:1-20
皆さん、クリスマスおめでとうございます。
私は毎年、クリスマスの季節になると思い出す事がいくつかあります。その中の一つは、後に結婚して私の伴侶となる和代さんとお付き合いしていた頃の出来事です。24、5歳のときのことです。
私と和代さんにとって、土曜日と日曜日は教会で過ごす日でした。お付き合いをしている間、土曜日にデートをするということは、まずありませんでした。その年のクリスマスの季節も、いつもの通り、教会のクリスマス関連の行事や集会の準備のために忙しくしていました。
12月のある日曜日、私たちは夕方から夜にかけて行われた集会の片付けを終えて、教会の近くにあるモス・バーガーに出かけて、お茶を飲んでいました。近所には他にお茶を飲めるような場所がなかったので、教会での仕事を終えた後は、ほとんどいつも、モスを利用していました。
その日もいつものように、二人でお茶を飲みながら、その日の集会のことや、今後のクリスマス礼拝などのことについて話をしていました。そのとき、ふと横に目をやると、70代後半か80代前半と思われるお爺ちゃんが、一人でハンバーガーを食べていました。
「このお爺ちゃん、家族はいないのかな」、そんなことをふと思いながら、私たちはお茶を飲み終え、お店を出ました。
そして、2週間後の日曜日、教会には普段の倍以上の人が訪れて、華やかな雰囲気の中で、クリスマス礼拝と祝会が持たれました。私と和代さんはパーティーの片付けなどを終えて、また例のモスに向かい、軽めの夕食を済ませ、お茶を飲んでいました。すると、横の席に、2週間前に目に留まった、あのお爺さんが座っていました。
夜の11時近くに、たった一人で、ハンバーガーをかじっていました。街は華やかなイルミネーションに輝く中、共に過ごす家族も友人もなく、一人で食事をする老人の姿に、私は涙が溢れそうになるのをこらえていました。
ほとんどの日本人にとって、クリスマスは、街を飾るロマンチックなイルミネーションと、華やかなパーティーと結びついています。
キリスト教の信仰の中心には、神様が自ら企画し、ゲストを招待するパーティー、神の国があるのですから、クリスマスとパーティーが結びつくのはそれほど不思議なことではありません。
しかしそこには、ちょっとした捻りがあります。クリスマスは、世の闇を照らすまことの光、イエス・キリストの誕生をお祝いするお祭りです。そしてこの光は、すべての名に勝る名を与えられる、まことの王です。神の国は、この王が治める国です。しかし、このまことの王の誕生の場面には、華やかなところは一つとしてありません。
イエス様が生まれたのは、ユダヤの片隅、ベツレヘムの家畜小屋であり、彼が寝かされていたのは家畜の餌箱、飼い葉桶であり、その誕生の場面に居合わせたのは、マリアとヨセフ、そして家畜たちだけです。
そして驚くべきことに、天使たちによって、このまことの光のもとに招かれた最初のゲストは、この世において、まったく光の当たらない、誰も関心を向けない人々、羊飼いたちでした。そして羊飼いたちは、世の闇を照らすまことの光、救い主イエス・キリストを見出して、喜びに満たされました。
この事実は、クリスマスについてとても大切なことを教えています。実は、神様のパーティーに最初に招かれる人たちは、私たちがパーティーに招きたいと思う人たちではないんです。
神様がまず初めにパーティーに招かれるのは、この世にあっては光の当たらない人たちであり、人々の目に留まらない人たちです。
神様が最初にパーティーに招く人たち、それは親の暴力に怯える子どもであり、子育てに絶望し子どもを虐待する親であり、いじめに苦しみ自らの命を絶というとしている子どもであり、生きるために体を売る女性であり、奴隷のように扱われる外国人研修生であり、孤独な老人であり、路上で夜を過ごすホームレスです。
残念ながら、今日、ここには、神様が最初に招かれるはずのゲストはいません。では私たちは、クリスマスを祝うべきではないのでしょうか?いえ、むしろ私たちは、心からクリスマスを祝うべきです。
私たちがイエス・キリストに出会い、羊飼いたちの心を満たしたその喜びに、私たちの心も満たされるとき、世を照らす光、イエス・キリストの炎に、私たちの心は燃やされます。この炎を受けた者たちは、キリストの光によって、そして闇を愛し、闇の中に留まる世にあって、光とされます。
羊飼いたちの心を満たした、クリスマスの喜びに、私たちの心が満たされたなら、私たちは、この世が光をあてることのない者たちのところに、イエス・キリストを携えて行く者として遣わされます。そして神様が主催するパーティーに、神の国に、彼らを招待する光の使者とされるのです。
このクリスマス、私たちの心が再び、イエス・キリストによって燃やされ、喜びに満たされて光の使者として世に出ていくことができますように。
クリスマスおめでとうございます。