顕現日説教

06 Jan 2019 Epiphany

今年は1月の第一主日、今日が1月6日に当たっていますので、この日の礼拝はEpiphany、顕現日の礼拝として献げています。

Epiphanyの語源になったギリシア語の動詞、epiphaneinは、「現す」とか「示す」という意味で、Epiphanyという祝日は、イエス・キリストの栄光が顕された出来事と結び付けられていたようです。

教会の暦に定められている祝日の中で、4世紀以前にまでその起源を遡れるものは殆どありません。教会の暦が劇的に発展し、次々に新しい祝日が生まれるのは、ローマ帝国と教会が強力に結びついた後のことだからです。暦と権力とは不可分に結びついているわけです。

しかし、Epiphanyという祝日の起源については、かなり古くまで遡ることができます。1月6日にEpiphanyを祝っていたという最も古い記録は、2世紀前半のものだと言われています。この最も古いEpiphanyの記録は、皮肉なことに、バシリディアス派というグノーシス異端のグループが、イエス様の洗礼をこの日に祝っていたことを記したものです。

正統的教会の中に残されている、エピファニーに関する最も古い記録は、バシリディアス派のものから、ほぼ200年も後のものです。これは、361年に皇帝ユリアヌスがガリア地方を訪れたときの記録の中に出てきます。

いずれにしても、このEpiphany、顕現日という祝日が4世紀以前からなんらかの形で祝われていたことは確かなわけです。そして、先ほど触れた通りEpiphanyは、イエス・キリストの栄光が顕される出来事と結び付けられていました。しかし、福音書に語られている出来事の中で、どれがもっともイエス様の栄光を顕す出来事かについて、共通理解が存在したわけではありません。

ある教会はEpiphanyにイエス様の誕生を祝い、ある教会は東方の賢者たちがイエス様を訪ねて来て礼拝したことを祝いました。また、ある教会はイエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けたことを祝い、さらに、ある教会は5千人の給食の出来事を祝いました。

この中に変容貌、Transfigurationが入っていないのは非常に不思議なことですが、いずれにしても、4世紀の段階で、この四つの場面のどれをEpiphanyに祝うかは、教会ごとに違っていたわけです。

実際、イエス様の誕生も、東方の賢者の訪問も、イエス様の洗礼も、そして5千人の給食の出来事も、どれもイエス様の栄光を顕しているわけです。ですからEpiphanyに、この4つの出来事のどれをお祝いしても間違いではないし、むしろどれをお祝いしても正しいわけです。

4世紀後半以降、キリスト教がローマ帝国の国教となってからは、イエス様の誕生がEpiphanyの他の三つの出来事から分離されて、12月25日に祝われるようになりました。これがクリスマスです。

しばしば、東方教会ではクリスマスが1月6日のエピファニーに祝われると言われることがあります。しかし、実際には、キリスト教がローマ帝国の国教となってから1054年の東西教会の分裂まで、東方教会も西方教会も、12月25日にクリスマスを祝ってきました。

さらに東西教会分裂後も、現在に至るまで、東方教会と西方教会は共に、12月25日にクリスマスを祝っています。現在、西方教会と東方教会が違う日にクリスマスを祝っているのは、西方教会が「古い伝統」を捨てたことによって起こったことです。

西方教会では、1582年に、教皇グレゴリウス八世がグレゴリオ暦と呼ばれる新しいカレンダーを導入します。これは現在私たちが用いている暦です。しかし東方教会は、それまで通り、ユリウス暦を使い続けます。東方教会の多くは、現在もユリウス暦を用いています。

こうして、東方教会と西方教会は異なるカレンダーを用いることになったために、その結果、クリスマスに限らず、基本的にすべての祝日を、東西教会は、違う日に祝うようになったわけです。

さて、西方教会においては、Epiphanyは東方の賢者たちがイエス様を訪ねてくる出来事を祝う日となりました。これは私たち異邦人クリスチャン、つまり契約の民、イスラエルに属していないクリスチャンにとって、非常に重要な意味を持っています。

言うまでもなく、幼子イエスを訪ねてきた東方の賢者たちはユダヤ人ではありません。約束の民に属する者ではありません。彼らは異邦人の最も知恵ある者を代表しています。

そして彼らは、「ユダヤ人の王としてお生れになった方」を訪ねて来るのです。彼らが探し出し、伏し拝んだのは、「イスラエルの牧者」となる方です。彼らは「ユダヤ人の王」、「イスラエルの牧者」を探し当て、この方を伏し拝み、そして最上の贈り物を捧げました。

イエス様が十字架にかけられるとき、そして埋葬のときに没薬が用いられたことから、没薬はイエス様の十字架の苦しみを象徴していると解釈する伝統が生まれました。しかし旧約聖書においては、没薬はむしろ、祝祭の喜びの象徴でした。(Prov. 7:17;Song 5:5)東方の賢者たちは、ユダヤ人の王、イスラエルの牧者を見出し、喜びに満たされたのです。

 これは「すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画」を知った者に与えられる喜びです。

キリスト以前の時代には隠されていたが、キリストによって明らかにされた神の秘められた計画とは何でしょうか?

 それは「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたち(すなわちユダヤ人)と一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」

 私たち異邦人は、イエス・キリストを通して、新しいイスラエルである教会に結ばれることによって、救いに与る者とされました。私たちが、決して忘れてはならないことは、私たちの主はユダヤ人であり、ユダヤ人でないイエス・キリストなど存在しないということです。

 コンスタンティヌス帝以降の教会暦の発展は、反ユダヤ主義と密接に結びついています。コンスタンティヌス帝は、ユダヤ教の過越の祭りの日、ニサンの月の第14日にイースターを祝うことを禁じ、こう宣言しました。

「この最も聖なる祝祭を、不敬にも大いなる罪をもってその手を穢し、それ故に、当然の報いとして霊的盲目状態に苦しむユダヤ人たちの習慣に従って行うなどということは、無駄なことと思われる。。。それならば、忌み嫌うべきユダヤの群衆と、いかなるものも共有することを止めようではないか。我々は、我らの救い主から別の道を受けたのだから。正しく、かつ敬うべき道筋は、私たちのもっとも聖なる宗教のうちに開かれている。」

カエサリアのエウセビウス『コンスタンティヌスの生涯』III.18.

 使徒たちを通して私たちに明らかにされた神秘は、世界を創造された神が、ユダヤ人の王、ナザレのイエスを通して、すべての民を救われるというご計画です。

 天地創造の初めから秘められた救いの計画、すなわちユダヤ人の王、ナザレのイエスを通して、世界を再創造し、すべての民を救う計画が、異邦人にも明らかにされ、私たちはその計画に与る者とされました。

 ユダヤ人、ナザレのイエスを、イスラエルの民を忘れてはなりません。

 願わくは、神の秘められた計画を知る知識において、私たちが成長し、東方の賢者の心を満たした喜びが、私たちの心をも満たしますように