顕現後第四主日説教

03 Feb.2019

エレミア1:4-10; 1コリント14:12-20; ルカ4:21-32

私は先週の説教で、先週と今週の説教を合わせて、一つの説教になるつもりでお聞きくださいとお願いをいたしました。その上で、今日の説教への橋渡しとして、二つのポイントを取り上げました。

ひとつは、イザヤ書61章2節の「主の恵みの年」は、「神が報復される日」だということでした。「主の恵みの年」は、神ご自身が敵に復讐してくださる日だということです。

もう一つのポイントは、人間の復讐心は、善悪の識別力と結びついているということでした。言葉を変えれば、それは「よい行いにはよい報いがあり、悪しき行いにはそれに見合う苦しみが科されるべきだ」という直観です。

さて、イエス様の故郷、ナザレの人々は、イエス様のことをほめ、「その口から出る恵み深い言葉に驚いた」と記されています(4.22)。

バプテスマのヨハネが、ヘロデ・アンティパスの手にかかって獄中で首を切り落とされた後、イエス様はナザレを離れ、カファルナウムに住み、そこを宣教活動の拠点としました。(Mt 4:13)

ナザレの人々も、イエス様がカファルナウムで行われた「驚くべき業」の噂をすでに聞いていました。イエス様の評判はすでに故郷の人々にも届いていたのです。

そして、イエス様がイザヤ書61章の1節・2節を朗読し、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」とイエス様が宣言したとき、ナザレの人々は驚き、そして歓喜しました。

不思議な力をもって驚くべき業を行っている、ヨセフの子イエスが、ダビデのような軍事指導者として先頭に立ち、イスラエルの敵、異教徒たちを滅ぼすことを宣言した!ついに神の復讐のときが来た。彼らはそう思ったのです。ところがイエス様は、同郷者の期待を完全に裏切ります。そして、イエス様のことをほめ、「その口から出る恵み深い言葉に驚いた」人々は、この直後に、怒りに燃えて、イエス様を殺そうとします。

イエス様は、「預言者は、自分の故郷では歓迎されない」と言った後に、こう続けます。エリヤはシドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされ、預言者エリシャの時代には、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった、と。

これを聞いて、ナザレの人々は、イエス様を殺そうとしたのです。

サレプタのやもめも、シリア人ナアマンも、二人とも異邦人であり、ユダヤ人の敵です。ここでイエス様は、ナザレの人々を、預言者を迫害して殺した先祖たちと重ねています。そればかりか、イエス様は、預言者の言葉に耳を傾けなかったイスラエルの民は、神の祝福から漏れ、祝福は異邦人に注がれたと宣言します。

イスラエルの民が待ち望んでいた敵への復讐はなされず、それどころか、選びの民であることを誇るイスラエルの民は、預言者を殺した先祖たちと同じように、神に反逆し、神の祝福を遠ざけている。むしろ祝福は、預言者の声を聞く異邦人に与えられる。イエス様はそう言っているのです。

イエス様の言葉を聞き、イエス様を殺そうとするほどに怒るナザレの人々の中に、復讐心を土台とするこの世の正義、私たちの善悪の判断の危うさが、明確に示されています。

神の言葉を語る預言者たちを迫害し、殺したのはイスラエルの民です。ローマの信徒への手紙の中でパウロが言うように、神に与えられた律法を持つことを誇るユダヤ人も、律法を持たぬ異邦人と同じように、神に反逆しています。それにも関わらず、イスラエルの民は、神が報復されるとき、裁かれるのは異邦人だけだと思っていました。

なぜでしょうか?それは、人間は、自分と人とを、同じ基準で測りはしないからです。

自分が利用されるのは嫌でも、人を利用します。嘘をつかれるのは嫌でも、嘘をつきます。裏切られるのは嫌なのに、自分の利益や、自分の立場を守るために人を裏切ります。自分が詐欺の被害にあえば怒るのに、不正な利益を喜んで受けます。いじめられるのは誰もが嫌なのに、自分がいじめることには喜びを感じます。抑圧されることは嫌なのに、人のことを抑圧します。

だからこそ、私たちの復讐心に土台を持つ、報復による正義は著しく歪んでおり、決して平等をもたらすことも、平和ももたらすこともないのです。

いじめられっ子はいじめっ子になり、抑圧されていた者が抑圧する側に回り、子ども時代に虐待に苦しんだ多くの者たちが、自分が親になった時に虐待をします。

貧しい靴屋の息子として生まれたスターリンは、1920年代半ばから旧ソビエト連邦の実質的独裁者となり、少なくとも75万人以上を粛清しました。貧しさを知っているスターリンは、特権を享受し、不正な富によって豊かになり、抑圧されていた彼は、世界史に名を残す抑圧者となりました。

より日常的なレベルにも、同じような問題はいくらでも見つけることができます。

昨年の12月、広河隆一(ひろかわりゅういち)というジャーナリストが、多くの女性に性的関係を強要したとして告発されました。そして一昨日の金曜日には、宮田知佳さんという方が実名で、毎日新聞に告発記事を掲載しました。

広河隆一(ひろかわりゅういち)は、超人権派のジャーナリストとして知られていました。株式会社デイズジャパンを立ち上げ、パレスチナ問題、沖縄の基地問題、福島の原発被災者の問題などを積極的に取り上げる「Days Jpan」という雑誌の、実質的編集責任者でした。しかし社員わずか6、7人のデイズジャパンという会社の中で、彼は完全なる暴君であり、社員は広河の奴隷のように扱われ、パワハラとセクハラが常態化していました。

毎日新聞に告発記事を書いた宮田さんに約束された19万の給料は16万に減額され、入社翌月から、残業時間は140時間を超えます。終電にも間に合わなくなり、ネットカフェで夜を明かし、3~4時間後にはオフィスに戻る生活となり、洗濯もできないために、身に着ける下着も無くなったと言います。

それでも、残業代も、深夜手当もありませんでした。彼女は、あまりに異常な労働環境に耐えられないと、北海道の家族に打ち明け、労働環境の改善を求めて広河と面会をします。

ところが広川は異常な状態を認めることもなく、宮田さんと同席していた家族の者を怒鳴り散らし、追い出してしまいます。しかし、その結果として彼女はデイズジャパンを去り、最悪の被害を免れました。

人権擁護を声高に叫ぶ広河は、自分が直接相対する人間たちを奴隷とし、自分の欲望のために女性を利用し続けることに、なんのためらいもありませんでした。

ユダヤ人も異邦人も、人は皆、神に反逆して生きています。神の前に正しい者は一人もいません。そのままでいい者は、誰一人いないのです。それはつまり、イエス様の言葉を、福音を聞かなくてよい人間は誰もいないということです。

祝福は、イエス様の言葉の中に、イエス様が始められた、神の国の中にあります。この国の民となることによって、私たちの目は開かれます。イエス・キリストに聴かなければ、私たちは、自分と人とを同じ基準で見てはいないことにすら気づきません。

歪んだままの正義感に従って私たちが生きるとき、私たちは善意を持って、自分と人とを滅ぼします。私たちの正義感は、私たちの良心は、自分を解放することも無ければ、人を解放することもありません。ましてや、世界に平等をもたらすことも、平和をもたらすこともありません。

願わくは、神の国の民として生き、主の言葉に聞くことを通して、私たちの復讐心が清められ、復讐を神にゆだねる者として生きることができますように。