
09 June 2019 Day of Pentecost
使徒言行録 2:1-11; コリント1 12:4-11; ヨハネ 20:19-23
エルサレム教会が生まれた時代、エルサレムには外国生まれで外国育ちのユダヤ人が沢山住んでいました。バビロン捕囚以降、ユダヤ人の多くは、パレスティナ以外の地域を拠点として生活しており、世界中にユダヤ人共同体が存在しました。パレスティナから遠く離れた外国生まれで外国育ちのユダヤ人は、διασποράと呼ばれていました。散らされた者たちという意味です。
彼らの第一言語は、彼らが生活していた国々の言語で、外国生まれで外国育ちのδιασποράは、パレスティナのユダヤ人が話すアラマイ語を理解できませんでした。使徒言行録によれば、使徒たちは聖霊を受けた結果、外国生まれで外国育ちのδιασποράユダヤ人たちに、彼らの言葉で福音を語ることができるようになりました。
聖霊が弟子たちに降ったとき、弟子たちはまず、διασποράユダヤ人たちの第一言語で、イエス・キリストが行なった神の国のしるしとしての業、十字架の死、復活を語ったのです。
使徒言行録に描かれているペンテコステの出来事は、旧約聖書の創世記描かれている、いわゆるバベルの塔の出来事の対局を成していると言うことができます。バベルの塔の記事では、一つの言語を話す者たちが、天にまで到達する塔を建てることによって、自分たちの栄光を顕示し、自分たちの力によって統一を維持しようとします。この背後には、自らを偶像とし、他者を自分たちのために操り、世界を支配することを目論む言語があります。
この言語を語る者たちは、偉大な都市を築くことによって、自分たちが散らされないようにしようとします。自分の偉大さによって、自己保存を目指す者の言語がここにあります。
これに対して、聖霊は言語的多様性を排除することもなければ、「ひとつの言語」を強制することもありません。これは帝国主義が目指すものと正反対です。帝国主義は、一つの言語を、すべての者に押し付けます。大日本帝国は、アイヌに、琉球に、朝鮮半島に、日本語を強制し、彼らの言語を禁じました。
しかし聖霊は、使徒たちに外国語で語ることを可能にし、そして励ましました。聖霊が臨むとき、言語の多様性は、教会を混沌や機能不全に陥らせるのではなく、むしろ一致へと導きます。
しかし、どのようにして、様々な言葉を話す人々が、一つに結ばれれることができるのでしょうか?それは、聖霊が、私たちを一人の人物、同じ主、イエス・キリストに結び合わせるからです。
ヨハネ福音書は、聖霊をもう一人の「弁護者」、あるいは「もう一人の助け主」 (14:16) と呼びます。第一の助け主はイエス・キリストです。
イエス様は天の右に挙げられ、私たちと同じ世界には、あるいは私たちと同じ次元には、今共におられません。しかし聖霊は、私たちの「傍に」、もう一人のイエス様として共にいてくださるのです。
聖霊によって私たちが語るとき、私たちは自分自身について語るのではありません。聖霊は、私たちが、自分が達成したことや、自分の成功や、自分の誇りとすることについて語るのを止めさせ、喜びをもって、救い主、キリストについて語る者とします。
一つ言語を語り、天にまで達する塔を有する偉大な都市を築くことによって統一を守ろうとするバベルの民とは対照的に、神の国の民、イエス・キリストの弟子たちは、喜んで散らされていきます。
教会は、イエス・キリストのよき知らせを携えて、散らされていくために集まるのです。聖霊はイエスの御名を宣べ伝えるために、私たちを送り出します。ですから、クリスチャンになるとは、宣教師になることです。聖霊は、弟子たちをイエス・キリストの証人とするために注がれるのです。
復活の主の証人たちが、聖霊を受けて外国語で福音を語ったということは、古いイスラエルの民とは異なる、新しいイスラエルとしての教会の、あるべき姿を表しています。
教会はキリストを王としていただく、多民族・多言語政治共同体です。もし教会の中に、他の言語を語る者も、他の民族もいないとするなら、私たちは神の国の平和を生きることに失敗し、頭なるキリストによる一致ではなく、何か別の力によって集められているのではないかと疑う必要があります。
日本の教会は、自分たちのもとに福音を携えて来てくれた宣教師たちを追放せよという政府の命令を受け入れ、「日本と日本人に仕える教会」になろうとました。そしてイエス・キリストにある教会の一致を、天皇を中心に据えた一致、八紘一宇と置き換え、これを受け入れることが、東アジアの全クリスチャンの義務であるとさえ言いました。日本の教会が犯したこの大きな過ちの記憶は、日本の教会から消え去りつつあります。
アフリカ諸国や、アジア諸国の教会は、宣教師たちが去って、リーダーシップが現地の人々に引き渡された後、大きく成長ました。
対照的に、戦後、教会のリーダーシップが日本人の手に渡り、宣教師たちが日本を離れた後、日本人クリスチャンが福音を宣べ伝え、教会が成長するという現象は、ほとんど起きませんでした。どういうわけか、日本の教会は、そして日本人クリスチャンは、同胞に向かって、福音を告げ知らせることをためらい続けて来ました。私たちの前に厳然と現れている、教会の衰退という現実は、その結果です。
願わくはこの国に寄留する教会に、新たなペンテコステが起こりますように。そして私たち自身が、福音の種として、聖霊の風によって吹き散らされ、置かれたところで芽を出し、実を結ぶことができますように。