
8th. Dec, 2019
イザヤ 11:1-10; ローマ 15:4-13; マタイ 3:1-12
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」[Μετανοεῖτε, ἤγγικεν γὰρ ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.](マタイ3:2)
これはイエス様の言葉ではありません。バプテスマのヨハネの言葉です。
私たちは教会で、繰り返し繰り返し、「神の国」、「天の国」という言葉を耳にしています。私も、自分が説教をするとき、神の国に触れずに説教を終えることはほとんどありません。
教会が神の国、神の国と言い続けるのは、イエス様がこれを宣べ伝え、このためにイエス様は働き、このためにご自分を献げ、そして復活の主が、この神の国の働きを、教会に委ねられたからです。
しかし、神の国について語り続ける教会が、ほとんど忘れていることがあります。それは、神の国を最初に宣べ伝えたのは、バプテスマのヨハネであり、イエス様ではなかったということです。
神の国運動を始めたのはイエス様ではありませんでした。神の国の到来を最初に告げ知らせたのは、イエス様ではなく、バプテスマのヨハネであり、イエス様はバプテスマのヨハネから、神の国運動を引き継いだのです。
ヨハネの神の国運動は、罪の赦しのための洗礼を伴っていました。洗礼は通常、異邦人がユダヤ教に改宗するときにのみ行われる聖めの儀式で、ユダヤ人に洗礼を授けるということはありませんでした。
しかしバプテスマのヨハネは、ユダヤ人に洗礼を授けました。これによって彼は、ファリサイ人やサドカイ人に代表される、宗教的に熱心で、自分たちは神の前に正しく歩んでいると思っているすべてのユダヤ人をも、異邦人と変わらぬ罪人としたのです。
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。
言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」
こう言って、ヨハネはユダヤ人にも悔い改めを迫りました。洗礼によって象徴される、バプテスマのヨハネが宣言した神の国とは、それまで人々が「救いの道」と信じて守ってきたユダヤ教の宗教的実践を否定し、転覆させるような、まったく新しい世界の到来のことでした。
そしてイエス様は、このヨハネが宣べ伝えた神の国運動に加わるために、ヨハネの弟子として、ヨハネから洗礼を受けたのです。
ヨハネはイスラエル社会の政治宗教指導者たちをも「罪人」にしたために、彼らから嫌われ、拒絶され、命を落としました。
ヨハネと同じように、イエス様も、ファリサイ人、サドカイ人、律法学者たちと激しく対立しました。イエス様とユダヤ教指導者たちとが対立したのは、ヨハネが宣言した神の国のレトリックを、イエス様もそのまま踏襲しているからです。
イエス様は、ファリサイ人や律法学者たちを、神の国にふさわしい実を結ばない「蝮の子ら」と呼びました。
マタイ23章でイエス様は、「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」という言葉を5回に渡って繰り返し、「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」(33節)と彼らを断罪しています。
イエス様がヨハネから引き継いだ神の国のレトリックは、イエス様をイスラエル社会の政治的宗教的権威とみなされている人々と激しく対立させ、この対立が、彼を十字架上の死へと導きました。
マタイ福音書によれば、イエス様は、バプテスマのヨハネがヘロデ・アンティパスによって捕らえられ、投獄されたと聞いた後に、この言葉をもってご自分の宣教活動を開始したことになっています。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」[Μετανοεῖτε, ἤγγικεν γὰρ ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.](マタイ4:17)
このイエス様の宣言は、原文のギリシア語でも、マタイ3章2節のバプテスマのヨハネの宣言と、一言一句同じです。
また、イエス様は12人の弟子を派遣するときにも、こう命じられました。「行って、『天の国は近づいた』[Ἤγγικεν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν]と宣べ伝えなさい。」(マタイ10:7)
更に、バプテスマのヨハネが開始した神の国運動が、洗礼を伴っていたように、イエス様の神の国運動も洗礼を伴っていました。マタイの福音書の最終章、28章で、復活されたイエス様は弟子たちに、父と子と聖霊の御名によってバプテスマを授け、すべての民を弟子とするようにと命じています。
洗礼は、イエス様の復活後に始まったのではありません。イエス様の生前の神の国運動も洗礼を伴っていました。それはヨハネ福音所に明確に記されています。
洗礼を受けてナザレのイエスの弟子になるということは、その初めから、神の国運動の活動家になるということとイコールでした。
バプテスマのヨハネが語った神の国と、イエス様が語った神の国が、どこまで同じで、どれほど違うのか、残念ながら私たちはわかりません。バプテスマのヨハネの弟子たちが残した文書が存在しないからです。
「わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。」
この言葉をバプテスマのヨハネが実際に語ったのか、あるいは福音書の著者がヨハネに言わせているのかはわかりません。
しかし確かなことは、バプテスマのヨハネによる道備へ無しに、イエス様の神の国運動は無かったということです。バプテスマのヨハネの偉大さは、彼が始めた神の国運動を引き継ぎ、そして神の国を到来させる後継者、ナザレのイエスを育てたことにあります。
そしてイエス様も、自分の弟子を育て、神の国運動を教会に託しました。教会の最も重要な働きの一つは、神の国の働きを引き継ぐ後継者を生み出し続けることです。
この働きは、自分が注目され、自分が評価されることを追い求める者にはできません。大切なのは「私」の働きでも、「私」の功績でも、「私」に対する評価でもなく、神の国の平和を作ることです。
先週(4日)の水曜日、戦争で荒廃したアフガニスタンで、人々の平和な暮らしを回復するために働き続けてきた、中村哲さんが凶弾に倒れました。彼に同行していた5人のアフガン人も犠牲となりました。
中村さんは、西南学院中学3年のときに、日本バプテスト連盟の香住ヵ丘バプテスト教会で洗礼を受けたクリスチャンで、精神科のお医者さんでした。
彼は、1984年に、JOCS、日本キリスト教海外医療協力会から、パキスタンのペシャワール・ミッション病院に派遣されました。
それ以来、中村さんはパキスタン、そしてアフガニスタンで医療支援の働きに携わってこられましたが、戦争で荒廃したアフガニスタンで、「いくら薬をつぎ込んでも飢えや渇きは治せない」ことを痛感します。
人々が生きるために、そして食料を生産するためには水が必要です。そこで中村さんは、用水路と井戸を建設する事業を立ち上げます。この事業の結果、東京ドーム約3500個分にあたる約1万6千5百ヘクタールの土地が潤された、60万の人々がその恩恵を受けました。
更に中村さんは、ご自身はクリスチャンですが、アフガニスタンの村の人々のためにイスラム教の礼拝所であるモスクと、イスラム教の聖職者を養成するためのマドラサと呼ばれる神学校を建設しました。
中村さんは、西洋世界の軍事対立によって破壊されたアフガニスタンの人々の暮らしを、神の国の平和の力によって回復しました。
中村さんは、マタイ1章23節の言葉が大好きでした。
「『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』それは、訳すと『神が私たちとともにおられる』という意味である。」
中村さんにとって、この言葉こそ「聖書の語る神髄」であり、彼の働きはこの言葉に突き動かされていました。
中村さんの働きは、この世にあって、神の国の平和を指し示すもっともさやかなしるしとなりましたが、アフガニスタンの平和のために、ひたすら力を尽くして働いた中村さんが灯した光は、その光を憎むこの世の闇の深さをも映し出すことになりました。
その深い闇の中で、中村さんは、キリストの平和を指し示す、この言葉を残しました。
「平和には戦争以上の力があります。そして、平和には戦争以上の忍耐と努力が必要なんです。」
日本の教会が、中村さんのような神の国の証人を生み出すことができた奇跡に、今朝、共に感謝したいと思います。
ペシャワール会は、中村さんに対する一番の供養は、彼が尽力してきた用水路建設を続けていくことだという声明を発表しました。
中村さんが始められた神の国の事業は、継続されなくてはなりません。イエス・キリストが教会に託した神の国運動は、主が再び来られるまで続けられなくてはなりません。
そのために、この朝、み子イエス・キリストをこの世に送られた父なる神が、私たちを、神の国運動の後継者を生み出すバプテスマのヨハネとしてくだるよう、共に祈りましょう。