9 Lessons and Carols 説教

24th, Dec. 2019

Christmas Eve の夕べ、聖マーガレット教会にようこそお越しくださいました。皆さんと共に、この Candle Service を持つことができることを、心から嬉しく思っております。

この礼拝は 9 Lessons and Carols と呼ばれる形式のもので、Cambridge大学のKing’s Collegeで行われるものが世界的に有名です。

1934年以降、BBCは毎年、 Kings College 行われる 9 Lessons and Carolsを生中継しています。ですからUKでは、この礼拝そのものが、Christmas Eveの恒例番組の一つとなっています。

しかし、このスタイルの礼拝が生まれたのは、Englandの一番南の、さらに西の端っこにあるCornwall地方の、Truroという街にあるCathedral、主教座聖堂でした。1880年のChristmas Eve、初代Truro教区主教となった Edward White Benson は、TruroのCathedralで、短い聖書朗読に続いてキャロルを歌うスタイルの礼拝を初めて行いました。ちなみに、この3年後の1883年、BensonはCanterbury大主教となります。 

この礼拝は大きな評判を呼び、新しいスタイルのChristmas Eve礼拝はEnglandの他の教会でも行われるようになり、そこからさらUK全体に広まり、さらには世界に広まることになりました。Cambridge大学のKing’s College Chapelでこの礼拝が始まったのは、Truro Cathedralでこの礼拝が最初に行われた38年後、1918年のことです。

前置きが少々長くなりましたが、ここで短く、クリスマスの意味についてお話をさせていただきます。

皆さんご存知のように、クリスマスはイエス・キリストがお生まれになったことをお祝いするお祭りです。クリスマスを迎えると、私たちクリスチャンは、「クリスマスおめでとう」という挨拶を交わします。

しかし、よくよく考えてみると、これはかなり変なことです。私たちは歴史上の人物の誕生日を祝ったりはしません。「アレクサンダー大王の誕生日おめでとう!」とか、「ソクラテスの誕生日おめでとう!」と言われているのを、私は聞いたことがありません。どれほど偉大な人物であったとしても、私たちは過去の人、歴史上の人物の「誕生」を祝うなどということはいたしません。

ところが教会では、毎年毎年、「クリスマスおめでとう!」と言って、イエス・キリストの誕生を、イエス・キリストが歴史の中に現れたことを、喜び、祝います。なぜでしょうか?

それは、イエス・キリストが、この世の闇を照らす光として、愛なる神によって遣わされたからです。しかも、この光は、今も、私たちの道を照らす光であり続けているからです。

第7朗読で読まれたルカによる福音書には、天使たちが羊飼いたちに、イエス・キリストの誕生を知らせる場面が描かれています。ここに登場する羊飼いたちは、単なる職業を表しているのではありません。彼らは社会から排斥され、人々から蔑まれ、嫌われ、希望のない人々のシンボルです。

第6朗読の中で、マリアとヨセフは、皇帝アウグストゥスから発せられた、住民登録をせよという勅令に従って、ベツレヘムまで旅をしたと言われています。

しかし、羊飼いたちは住民登録の対象になりませんでした。彼らは、文字通り、人として数えられていませんでした。彼らは、社会に属さず、むしろ社会の秩序を危険に晒すよそ者であり、排除すべき対象とみなされていたのです。しかし、彼らこそが、世界で最初のクリスマス・パーティーのゲストとして、神ご自身によって招かれました。

まことの光のもとに招かれた最初のゲストは、この世において、誰も光を当てることのない、誰も関心を向けない人々でした。

それは今日の文脈で言えば、難民、奴隷と変わらない扱いを受けている外国人研修生、性暴力の被害者となりバッシングに晒される女性たち、親の暴力に怯える子どもたち、同級生のいじめに苦しみ命を断とうとしている生徒たち、今晩も路上で世を過ごすホームレスのような人々でしょう。

しかし闇の中にいるのは、彼らだけではありません。私たちの中には深い闇があります。この世界にも深い闇があります。

今日、この時、もしかすると皆さんの中に、「自分は誰からも必要とされていないのではないか」、「誰からも愛されていないのではないか」、そう思っている人たちがいるかもしれません。「自分なんか生きていてもしょうがない」、「自分がいなくなっても、誰も悲しまない」そう感じている人がいるかもしれません。

しかし神は、「あなた」を、私たちを、そして、この世界を、絶望の中に捨て置くことはしません。むしろ神は、苦しみ、悲しみ、そして絶望する者のもとに、この世の闇の中に降りてきて、人々に喜びと、希望を与えようとしておられます。

イエス・キリストの到来は、神は人を、世界を、絶望の闇の中に捨て置かず、希望と喜びを与え、ゆたかな命を与えようとしておられるという宣言であり、保証なのです。だから私たちは、クリスマスを祝います。

私たちの心がクリスマスの喜びに満たされたなら、私たちは、この世が光をあてることのない人々と、喜びを分かち合うことができます。

絶望の中に打ちひしがれる人々に希望を与える、世を照らす光とされます。そして世界は、生きるに値する所となります。

願わくはこの夕べ、クリスマスの喜びが、お一人お一人の心に満ち溢れますように。