復活の希望、予定外の歓喜

2020年4月5日

聖マーガレット教会の皆さま

新型コロナウイルスの世界的感染拡大という脅威に直面し、東京教区のすべての教会で、3月の第2主日以降、礼拝休止の措置が取られました。さらに3月末、この礼拝休止措置を4月中も継続することが決定されました。残念ながら、今年はイースター礼拝も行われず、イースターに予定されていた5名の方々の洗礼式も延期となりました。

私は1987年、高校1年生の時に洗礼を受けましたが、それ以来、33年間のクリスチャン生活の中で、自分が通う教会で礼拝が無くなるということは一度もありませんでした。

ましてや、世界中の教会が、一斉に礼拝を取り止めるなどということが起きるとは、想像だにしませんでした。しかし今、想像さえできなかったことが世界で起こっています。

皆さんは、お手元に届けられたこの知らせを読みながら、4月12日のイースターに「予定されていた歓喜の時」が、今年はやって来ないことに落胆しておられるかもしれません。

しかし、この危機が私たちに教えてくれることがあります。それは、そもそも、イースターの喜びは「予定された喜び」ではなかったということです。「イースターの歓喜」は、イエス様と共に旅した弟子たちの予定の中にも、期待の中にもありませんでした。復活の主が弟子たちに与えた喜びは、予定外の喜びだったのです。

イエス様と共に旅をした弟子たちは、イエス様が十字架につけられて殺されてしまうなどとは思っていませんでした。彼らは、イエス様が有能な軍事指導者として、憎き敵、ローマ軍を討ち滅ぼし、イスラエルに独立王国としての栄光を取り戻す王となることを期待し、夢見ていました。それこそが彼らの「希望」でした。

しかしイエス様の十字架の死は、弟子たちの希望を木っ端微塵に吹き飛ばし、代わりに、絶望の闇が彼らを覆いました。弟子たちの予定の中に、キリストの復活はありませんでした。

ところが復活の主は、絶望の闇の中に沈む弟子たちの前に現れ、彼らを予想外の喜びで満たし、まったく新しい希望を彼らに与えました。この希望と喜びは、人間の期待や、願望が生み出したファンタジーではありません。それは弟子たちが予定することも、期待することもできないところから、イエス・キリストの復活という出来事からやってきました。

世界は今、新型コロナウイルスの感染拡大という闇の中に沈んでいます。私たちは世界のすべての人々と共に、その闇の中に置かれています。しかし世界を創造し、滅びという虚無の力を超えて世界を完成へと導かれる愛なる神は、イエス・キリストの復活によって、希望の光が絶望の闇に打ち勝つことを示されました。

私たちを覆っている闇が討ち払われ、復活の主の名によって再び集められ、共に神を讃美する歓喜の朝が必ず訪れます。その時を待ち望みながら、今はそれぞれの置かれた所で、忍耐をもって、心を一つにして祈りを続けましょう。

牧師 ヨハネ 塚田重太郎