
2020年11月29日(日)
イザヤ 63.19b-64.8; Iコリント 1.1-9; マルコ 13.(24-32), 33-37
先週の日曜日から予告していたように、今日は降臨節の第一主日です。教会はこの日から、新しい一年を歩み始めたことになります。 そして、この降臨節をもって、正式に、クリスマス・シーズンが始まったことになります。
ちなみに、教会の新年が降臨節の最初の日曜日から始まるということになったのは、9世紀の話です。
クリスマス・シーズンには、クリスマスらしさを私たちに感じさせてくれる様々な舞台装置が。あります。
真っ先に思いつくのはChristmas Treeです。先週の日曜日には、2つのChristmas Treeを出して、教会の入り口とホールに一本ずつ置きました。
教会入り口のツリーには、日曜学校の子どもたちが飾り付けをし、ホールの方はユースのメンバーが飾り付けをしました。
ユースのメンバーには、altarの下に飾ってあるChristmas cribを出して、セットしてもらいました。
そしてもう一つ、聖マーガレット教会の聖堂に飾られて、クリスマス・シーズンらしさを私たちに感じさせてくれるものがあります。それはAdvent Wreathです。
マーガレット教会では3年前、2018年から、「アドヴェント・リースの祈り」を始めました。降臨節のそれぞれの主日に、定められたお祈りをして、それからローソクに火を点けます。
私たちにとっては、降臨節にAdvent wreathがあるのは当たり前で、Advent wreath無しの降臨節なんて考えられないと思うかもしれませんが、その歴史は、それほど古くありません。
最初のAdvent Wreathは、19世紀前半、ドイツのハンブルクで、ルーテル教会の牧師、Johann Hinrich Wichernによって考案されました。彼はいわゆる普通の教会の牧師ではなく、宣教師でした。
私たちは宣教師という言葉を聞くと、お隣の学校の創設者Channing Moore Williamsのように 海外で福音宣教をする人を思い浮かべます。
しかし海外ではなく、国内、homeで、特別な使命、missionに仕える国内宣教師と呼ばれる人たちが存在しました。
Johann Wichernは、都市の貧しい人々のために働く国内宣教師でした。
25歳のWichernは、1833年の9月12日、貧困家庭の子どもや親に捨てられた子どもたちの家となり、彼らを養い、そして教育を授ける場所として、Rauhe Hausという寄宿学校を立ち上げました。
この学校で最初のAdvent Wreathが生まれたのは、1839年のことです。
クリスマスが待ち遠しくて待ち遠しくてしょうがない子どもたちは、毎日毎日、「今日はクリスマス?」、「今日はクリスマス?」、「もうクリスマスになった?」とJohannを質問責めにしました。
そこでJohannは、古い馬車の車輪を用意し、その上に20本の小さな赤いローソクと、4本の大きな白いローソクを並べました。そして子どもたちに、毎日一本ずつ、ローソクに火を点けさせるようにしました。
月曜日から土曜日には赤い小さなローソクに、日曜日には白い大きなローソクに火を点けます。こうして子どもたちは、24本全部のローソクに火がつくと、いよいよその次の日がクリスマスだとわかります。
最初のAdvent wreathの誕生から約20年後、Wichernはローソクを乗せた輪をヒイラギの葉で飾り、私たちが馴染みのある姿に近いものになりました。
Advent wreathが生まれたRauhe Hausは、なんと、今も存在しています。Rauhe HausのWebsiteに行きますと、Adventskranzというページがあって、そこにはWichernが考案したオリジナルのAdvent wreathの写真と共に、短い誕生秘話が掲載されています。
降臨節の季節に欠かせないものとなったAdvent wreathが、Rauhe Hausで生まれた。これはとても意義深いことです。
アドヴェントの季節には、「終わりの四つの出来事」と呼ばれる伝統的テーマがあります。それは、死、裁き、天国、そして地獄です。
そして、これら「終わりの四つの出来事」というテーマはアドヴェントとクリスマスの礼拝を通して描かれる神の救いのドラマは、「闇」を背景として展開するのだということを教えています。
ナザレのイエスがお生まれになった時代、「闇」は多くのユダヤ人にとって、政治的、経済的、そして宗教的現実でした。
ごく一部の豊かなエリート階層を除いて、大部分の民衆は圧迫と経済的搾取の中で貧困に喘いでいました。多くの場合、貧困に苦しむ人々は、病に苦しむ人々でもあります。それは今も変わらぬ現実です。
ローマ帝国の圧政に苦しみ、飢えに苦しみ、病に苦しむ群衆の上に、イスラエル社会のエリートたちは、更に霊的な苦しみを加えます。彼らは病や貧しさを、神の呪いとみなしていたのです。
飢えに苦しみ、病に苦しむ人々は、「神に呪われた者」として、霊的苦しみをも背負わされていました。
しかしイエス・キリストは、闇を照らす光として来られました。そしてキリストは、希望の光を人々の前に輝かす使命を、私たちに与えられました。
キリストの光を輝かせる。それは「闇」を見つけ、その「闇の中に入って行き」、そこに神の愛と憐みを示すことです。
Johann Wichernは、Hamburgの街の中に、飢えに苦しみ、親に捨てられた子どもたちの現実の中に、「闇」を見ました。そして彼は、その闇の中に入って行きました。Wichernは貧しい子どもたちの家として、彼らを養い育てるために、Rauhe Hausを立ち上げました。
それは大きな闇の中に輝く、小さな小さな光に過ぎませんでした。しかし、彼が灯した小さな希望の光は、多くの子どもたちの人生を変え、その光は今も消えずに、輝き続けています。
世界は今、コロナ禍という一つの闇の中に沈んでいます。しかしその巨大な闇の中には、数え切れないほどの、さらに深い闇が隠れています。
どうぞこのAdventのとき、お一人お一人が祈りながら問いかけてください。どこに闇があるでしょうか。どこに、私が遣わされ、入っていくべき闇があるでしょうか。
Advent Wreathのローソクに火を灯す度に、暗闇の中に置かれた子どもたちに希望の光を灯し、クリスマスを心待ちにする子どもたちのために、Advent Wreathを考え出した、Johann Hinrich Wichernのことを思い出してください。
そして、お一人お一人の内に輝くキリストの光を、闇の中で苦しむ人々の前で、希望の光として輝かせてください。