主教教書(22)「ご復活の時にあたり」

日本聖公会

日本聖公会東京教区
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2021年3月29日 聖月曜日
東京教区主教 フランシスコ・ザビエル高橋宏幸

「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない」 (マルコによる福音書第 16 章 6 節)

  依然としてコロナウィルス感染症の猛威や恐れ、不安に取り囲まれています。
 数字を見ますと、光が見え始めたかと思うと暗闇の中に放り出されたかのような落ち着き どころの見えない日々を過ごしています。しかも、更なる乱れや心の変化も生じ、振り回さ れているように感じます。日々の生活や仕事のこと、人間関係のこと等々、問題や不安は幾 らでも沸き起こってきます。
 
 しかし、この状況に在っても、二千年程前、女性たちに投げかけられた天使の言葉「驚く ことはない」「恐れることはない」は響き続けます。あの時だけの、今や過去の言葉ではあり ません。イエス様は復活され、その復活のいのちに今も私たちは包まれているからです。

 当時、亡きイエス様に亡骸の処置に向かった女性たちを包み込んだのは、この「驚くこと はない」「恐れることはない」という神様のいのちの言葉です。しかし、当初女性たちは恐ろ しさゆえに震え上がり、正気を失っていましたが、それは神様による心の平安と平静と本来 の自分を取り戻すことへの入口でした。復活のイエス様がそれまでと変わらず自分たちの傍 らに、いのちの営みのただ中にいらっしゃることに気付かされ始めます。

 天使はさらに伝えます。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。あの方は、あな たがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と。 イエス様は公生涯に入られる際、ガリラヤからヨルダン川へ来られ、洗礼を受けられました。 弟子たちをお召しになる時、それはガリラヤ湖を歩いていらした時のことでした。ガリラヤ 中を巡り、福音を宣べ伝えられ、人びとの病を癒されました。水をぶどう酒に変える最初の 奇跡を行なわれたのも、ガリラヤのカナでした。女性たちに天使は弟子たちへの伝言を授け、 イエス様に従い、倣おうとする弟子たちはガリラヤで甦りのイエス様に出会うべく導かれま す。ガリラヤ、それは「神様の働きの原点・出発点」と言えましょう。 

 かつてイエス様が受難予告をされ、それがとうとう十字架という姿をとったエルサレムで は、弟子たちは恐れと不安のただ中にいました。しかし、ガリラヤという、かつてイエス様と 過ごし、働き、教えを授かった場所、「信仰の原点・出発点」は、それまでと一転して励まし に与る、復活の力に与る場所となりました。今は亡き過去の方ではなく、復活のイエス様と の再会の場所となります。女性たちも弟子たちも、イエス様の甦りによって驚きと恐れから 平安へと引き戻され、導かれ、原点からの再出発を授かりました。

 イエス様のメッセージは「驚くことはない」「恐れることはない」と、とてもシンプルです。 しかし、甦りのイエス様に出会った後、一切の悩みや苦しみが消え去ったわけではありませ んでした。弟子たちは迫害を受け、過酷な状況に在りました。しかし、復活の恵みと力、勇気 と励ましの恵みを注ぎ込まれ、幾多の困難に向かっていかれるように変えられました。復活 のいのちに与り始めたからです。 

 コロナウィルス感染症の危機が今後いつまで続くのか、専門家でさえ絶対確実な答えは出 せないようです。しかし、はっきりしていること、それは復活のイエス様の力に私たちは与 っていることです。「驚くことはない」「恐れることはない」というイエス様からの声、なぜな ら「わたしが共にいるから」という心をいただいていることです。復活された主イエスと共 に、この不安な中に在っても、不安の中に在るからこそ、祈り続け、イエス様との歩みを続け ましょう。

 罹患された方がたの回復、医療現場に於いて命がけで献身、従事しておられる方がた、エッ センシャルワーカー、社会福祉施設、高齢者施設、幼稚園、保育園等のお働きと、そこで献身 していらっしゃる方がたのお働き、生活上の不安、困難を余儀なくされている方がたへの支 え、ご逝去された方がたの魂の平安と悲しみの内にある方がたへの慰め、そしてこの危機の 収束を切にお祈り致しましょう。
  また、罹患された方がたへの偏見や差別に陥らぬよう併せて祈ります。

 一日も早い収束と安心、安全が取り戻されることを祈り合いたく切望しつつ、皆さまお 一人お一人の、そして世界の平和をお祈り致します。