聖霊降臨後第12主日 説教

2021年8月15日(日)特定15
John 6:51-58

76年前の8月6日に広島に、その3日後の9日に長崎に投下された原爆。そして8月15日の敗戦。 
私たち、日本に生きる者にとって、8月という月は、戦争と平和に触れずに通り過ぎることのできない時です。


それは私にとっても同じです。
私は日本の敗戦から26年後の1971年12月生まれですから、直接に戦争を経験したことの無い、「戦争を知らない世代」です。


しかし私の母は戦中の生まれで、1945年の敗戦の時は10歳の少女でした。
母の人生が戦争によって大きく影響を受けたことは言うまでもないことですが、私が今の私としてあるのは、十五年戦争がもたらした戦後の荒廃の中に現された神の憐みの故だと思っています。

母は1935年の1月生まれで、5人兄弟の長女でした。どういうわけか、1940年か41年頃、茨城の下妻から東京都の稲城村に移り住み、そこで敗戦を迎えます。
母方の祖母によれば、7人の家族は空襲でほとんどすべてを失い、戦後の食糧難の中で、一家心中を考えていたそうです。
 
そんなとき、敗戦国日本の窮状に心を痛めたアメリカのクリスチャンたちが、莫大な量の物資を、日本のために寄付してくれました。
アメリカのクリスチャンたちが寄付してくれた大量の救援物資は、「ララ物資」と呼ばれ、1961年から1952年の間に、船で458隻分の食料・医薬品・衣料・学用品などが日本に届けられました。

日本側でも、教会は重要な支援物資の配給拠点となりました。
私の母と家族は、稲城の教会を通して配給されたララ物資によって命を繋いだようで、このときに母と教会との接点も生まれました。

母を含む7人の家族は、キリスト教に関心があったわけでは無く、生活に必要なものを得るために教会に行っていたのですが、ただものをもらうだけじゃ悪いと思ったのか、家族の何人かが、どさくさに紛れて洗礼を受けました。母もその内の一人でした。
 
敗戦後間も無く中学生となった母は、勉強好きで学校の成績も良かったようです。
高校に行かせてほしいと泣きながら両親に頼んだそうですが、返って来たのは「下に四人も兄弟がいて、どこに学費があるんだ」という言葉だけでした。
戦争が生んだ荒廃と、そこから来る貧しさによって教育の機会を奪われた母は、下の4人の兄弟を養うために中学校卒業と同時に働き始めます。
 
最初の結婚は35歳の時で、夫となった男性には、前の結婚相手との間に生まれた二人の娘と、多分、一人の息子がいました。
1971年12月12日に私を産んで間も無く、母は最初の夫と離婚し、しばらくして別の男性と結婚しますが、二度目の結婚生活もうまくゆかず、42歳の時に再び離婚をします。
 
その後、母は女手一つで家計を支え、私を育てなくてはならないことになったのですが、教育を受けられなかった母ができる仕事はどれも、きつくて給料の安いものばかりでした。
二人の元夫からは、養育費を含め、いかなる経済的支援もありませんでした。

46歳のときだったと思いますが、母は心も体も疲れ果ててしまい、社会生活から完全に撤退します。家から一歩も出なくなり、誰とも話をしなくなり、そして、何もしなくなりました。


子育てを諦めた母が、私に勉強をしろと言ったことは一度もありませんが、日曜学校に行けという点だけは、絶対に譲りませんでした。自分で育てられなくなった子どもを、神様に託すしかないと思ったのでしょう。
母の大きく傷つき、破れた人生は、回復することのないまま、2011年8月4日に、76歳で閉じることになりました。


アメリカの教会が日本の人々のために献げてくれた物資は、母の命を繋いだだけでなく、彼女を教会に結びつけました。
母の人生は戦争によって大きく傷つきましたが、母と教会との繋がりのおかげで、私の人生は破綻を免がれました。
私が今日まで生かされ、皆さんに出会い、こうして聖マーガレット教会で働くことを許されているのは、神様の哀れみと、恵みと、祝福の賜物です。

90年前、子どもたちは学校で、教育勅語という土台の上に据えられた国民道徳を、徹底的に叩き込まれました。
この国民道徳は、「国に危機が迫った時には、正義と勇気を掲げて公、つまり国のために命を捧げ、限りない天皇の支配を拡大させよ」と教えました。
そして、「限りない天皇の支配を拡大させよ」と命じるこの国民道徳は、天皇の名の下に東アジア全体を統治することを目指す八紘一宇として展開されました。

日本の教会指導者たちも、日本が戦っているのは、欧米の帝国主義から東アジアを解放する聖戦であるという八紘一宇の立場をそのまま受け入れました。

「聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」

このイエス・キリストの祈りは、八紘一宇の理想であるとされ、皇軍の戦いを支持することは、神が東アジアの全教会に与えた使命であると語られるようになりました。
こうして国家神道というカルトを掲げた大日本帝国は、何百万ものアジアの人々の命を犠牲にし、日本の教会も、そこに加担しました。

この歴史の重みに向き合いながら、今朝、改めて、「国のために命を捨てろ」と命じるこの世の支配者と、命のパンとして、ご自分の命を私たちのために与えられた主イエス・キリストとの絶対的な違いに目を向けましょう。

私たちが永遠の命のパン、イエス・キリストを食す者とされたのは、私たち自身が、命をいつくしみ、命を生かすために仕える者となるためです。
私たちがまことの命のパンであるキリストの肉を食し、命を生かすために仕える者とされるとき、私たちは初めて、平和の使者となることができます。

主が私たちを命のパンによって養ってくださいますように。主が私たちを、命を生かす者としてくださいますように。
そして主が私たちを、平和を作る者としてくださいますように。