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2021年11月21日(日)降臨節前/特定29
王なるキリスト・スコットランド王妃マーガレット
私たちは今日、教会の暦の上で、1年最後の日曜日を迎えました。
昨年のクリスマス直後から再度の公祷休止となり、今年の7月4日から礼拝が再開されるまで、実に半年以上もの間、日曜日に共に集まって礼拝を献げることができませんでした。そのためでしょうか、本当に「あっ」という間に1年が終わってしまったという感じがしています。来年こそ、新型コロナを気にしない生活に戻れることを、心から願っています。
さて、今日は教会の暦で最後の日曜日であると同時に、11月16日のスコットランド王妃マーガレットの祝日に一番近い日曜日なので、今日の礼拝は、聖マーガレット教会の創立記念礼拝として献げています。そのため、今日は特定29主日の特祷と、聖マーガレット日の特祷の2つが祈られました。
降臨節前主日の主題は「王なるキリスト」ですが、その王は、人々が待ち望むような王ではないことを示しています。人々が待ち望むのは、武力によって敵を打ちのめして、国に栄光と繁栄をもたらす、有能な軍事指導者としての王です。
しかし教会が、救い主であり、王である方として崇めるイエス・キリストの栄光は、十字架の栄光です。神は、「すべてのものを回復させる」ために、私たちの王を十字架にかけられた。この現実は、この世が「王」に対して、あるいは政治家に対して抱くあらゆる期待を無効にします。
他方、もう一つの特祷に出て来るスコットランド王妃マーガレットは、この世の権力の頂点に就いた人です。
この十字架につけられた王なるキリストと、スコットランド王妃マーガレットとの対比は、直ちに、私たちに根本的な質問を投げ掛けます。「イエスをキリスト、油注がれた者、救い主、王」と告白する人が、この世の王位に自分を置き続けることはできるでしょうか?私は、今日、この質問に答えようとは思いませんが、これは問い続けるべき重要な質問だと思います。
十字架に付けられた王なるキリストと、この世の王妃マーガレットに触れながら、私たち、聖マーガレット教会の進むべき方向について、共に考えたいと思います。
私は2017年の2月から聖マーガレット教会での勤務となって、その年の4月に牧師に就任しました。それから約2年半後、2019年の10月のことですが、この近くにあるアルウィン学園玉成保育専門学校の創立記念礼拝でお話しをする機会が与えられました。保育について学ぶ専門学校生たちに何を話そうかと考えながら準備をしているとき、事前に頂いていた『創立者ソフィア・アラベラ・アルウィン』という小冊子を、パラパラとめくっていました。そこにSophia Arabella “Bella” Irwinの家系図が載っていて、父方の系図の最初に、マルコム二世の名前があることを発見しました。
私はこのとき、自分がマーガレット教会に来ることになったのは、神様のいたずらか、あるいは粋な計らいなのかもしれないと思いました。このマルコム二世という人は、マーガレットの結婚相手、スコットランド王マルコム三世の曽祖父にあたります。
この聖マーガレット教会が、聖マーガレット教会なのは、お隣のSt Margaret’s Schoolで生まれ、そこから名前が取られたからです。そして聖マーガレットのタイトルは、Queen of Scotlandです。『招宴』にも書きましたが、Anglican Communionを生み出したのはスコットランドの聖公会です。
何度かお話ししてきたように、私と家族は、2013年の10月から2017年の1月までスコットランドにいました。私が執事として按手されたのも、司祭として按手されたのもスコットランドです。そして玉成幼稚園・玉成保育専門学校の創設者Sophia Irwinは、スコットランド王妃マーガレットの曽祖父の子孫です。このスコットランド繋がりは、単なる偶然ではなくて、神様が裏で糸を引いているのではないか。そう思ったとしても、神様に怒られはしないのではないでしょうか。
マーガレットの話に戻ります。マーガレットはスコットランド王のマルコム三世と結婚してQueen of Scotland、スコットランド王妃となりましたが、元々はイングランドの王族です。父のEdward of Wessexはイングランドの王位継承争いに敗れ、一家でハンガリーに亡命します。マーガレットはこのときにハンガリーで生まれました。
1057年、マーガレットが12歳の頃、Edwardは王位継承のために家族と共にイングランドに戻ります。しかし、1066年、Norman Conquestで有名な、征服王Williamsにイングランドの王位を奪われ、Wessex家は再びハンガリーに亡命するため、船に乗り込みました。ところが巨大な嵐に見舞われて、船はスコットランドの海岸に打ち上げられました。マルコム三世は、遭難したマーガレットとその家族を自分の宮廷に招き入れ、後にマーガレットと結婚しました。
スコットランド王妃となったマーガレットの影響力は絶大でした。彼女がスコットランドの人々の生活にもたらした変化は、今でも至るところに確認することができます。
例えば、スコットランドの土着言語であったGaelicが、ほぼ全面的に英語に置き換えられることになったのは、彼女がもたらした永続的影響のひとつです。また、1249年にインノケンティウス4世によって、マーガレットがローマ・カトリック教会の聖人として認定された最大の理由は、彼女がスコットランドからCeltic系のキリスト教を駆逐して、ローマ・カトリック化することに成功したからです。
これらのことからもわかるように、マーガレットの絶大な影響全てが、喜ばしいものであったわけではありません。しかしスコットランド王妃マーガレットは、私たち聖マーガレット教会が、未来の教会と宣教のあり方を考える上で、とても大切な模範を残してくれました。
彼女は飢えている人、悲惨な状況に置かれている人を、決して見過ごしにすることのできない人でした。マーガレットは毎朝、自分が朝食を摂る前に、親に捨てられた物乞いの子どもたちに自ら食事を与えました。王妃自ら子どもたちを腕に抱き、スプーンで食べ物を口に運びました。養う子どもの数が、一日8人以下になることはなかったそうです。
マーガレットは、自分に与えられた富は、貧しい者に仕え、神の栄光を現すために与えられているのだと信じていました。彼女は与えることを惜しみませんでした。自分の手元に与えるためのお金がないときは、自ら宮廷で仕える人々からお金を借りて貧しい人に与え、必ず借りた以上の金額を返しました。彼女は巡礼者や物乞いの足を洗い、降臨節と大斎節の季節には、300人の貧しい庶民を宮廷に招いて祝宴を開き、マーガレットとマルコム三世が給仕をつとめました。
スコットランド王妃として、この世の豊かさに囲まれていたマーガレットですが、彼女は与えられている富を捨てることのできる人でした。貧しい人たちに仕えるために、小さく、貧しくなることのできる人でした。
宣教の働きが実り豊かになるために、小さく、質素になること。
未来に向かって新たな道を模索する私たち、聖マーガレットの名を冠する教会が進むべき方向が、ここに示されているのではないでしょうか。