9Lessons & Carols 説教

2021年12月24日(金)9Lessons & Carols

昨年に引き続き、世界が新型コロナに揺れる中でクリスマスの時を迎えることになりました。それでも、皆さんと共に、この9 Lessons and Carolsの礼拝を献げることができることを感謝いたします。

クリスマスは、イエス・キリストの誕生のお祝いだと言われることがあります。そして、その表現は決して間違ってはいません。しかし、私たちは普通、歴史上の人物の誕生日を祝ったりはしません。

皆さんの中には、歴史にロマンを感じる方もあるかもしれません。しかし、どんなに歴史好きな人でも、毎年、卑弥呼の誕生日お祝いをするという人はいないでしょう。「うちでは毎年、蘇我馬子の誕生パーティーを盛大にするんです」、なんて話は聞いたことがありません。

ところが教会では、毎年毎年、「クリスマスおめでとう!」と言ってイエス・キリストの降誕を、イエス・キリストが歴史の中に現れたことをお祝いします。

なぜでしょうか?それは、私たちクリスチャンは、愛である神様が、世の闇を照らす光として、イエス・キリストを私たちのところに遣わしてくださったと信じているからです。

しかも、この光は、イエス・キリストは、今も、私たちの道を照らす光であり続けていると信じているからです。だから私たちはクリスマスを祝います。

毎年お話することですが、クリスマスというのは、「世を照らすまことの光」のドラマです。そして、この光のドラマは「闇」を背景として展開します。光のドラマが闇を背景として展開するのは、世界に、私たちの中に、深い闇があるからです。

ですから、世界が闇に包まれている、あるいは、人は闇の中に生きているということを認めない人にとっては、クリスマスはまったく意味がありません。同じことを別の言葉で言えば、どのような形であれ、「闇」を経験していない人たちとって、クリスマスの物語は必要がないということです。

しかし、今日ここに集まっている皆さんが、すでに「闇」を経験したことがおありなら、あるいは今現在、闇の中にいることを実感しておられるのであれば、クリスマスのドラマは、神様があなたのために用意されたものです。

闇の中にいる人。

それは解放を待ち望む人です。そして、パンデミックの中で過ごしているこの2年、世界中のすべての人々が、新型コロナの脅威から「解放」されるときを待っています。「普通の生活」を取り戻せる日を、心待ちにしています。

過去半世紀を振り返っても、世界中のすべての人々が、同じ「解放」への期待を共有していた時というのは無かっただろうと思います。しかし、すべての人が解放を待ち望むような状況が訪れて、改めて明らかになったことがあります。

それは、コロナ禍が始まる遥か前から、この国にも、構造的に抑圧され、貧しさの中に固定化されていた人たちがいたということです。そして、日本の社会の中でもっとも経済的基盤が弱く、ギリギリの生活をしていた人たちこそ、コロナ禍によって、生存そのものが脅かされるような闇の中に突き落とされました。

聖書の物語の中で、神様が世の闇の中に遣わされたまことの光、イエス・キリストを最初に目撃したのは、社会から排斥され、人々から蔑まれ、嫌われ、希望のない者のシンボルであった羊飼いたちです。

イエス様が生まれた時代、羊飼いたちは住民登録の対象にならない、人として数えられない人たちでした。人でありながら人として数えられず、よそ者として、社会の秩序を乱す危険分子として、排除すべき対象とみなされていた存在。この世の支配者たちが闇の中に隠し続けようとする人々。それが羊飼いでした。

しかし彼らこそ、「世の闇を照らすまことの光」の最初の目撃者として、神様ご自身によって選ばれました。そして神様は今も、この世が闇の中に隠しておこうとしている人々に、希望の光、イエス・キリストを輝かせようとしています。

あまり報道もされていないと思いますが、2021年は、過去最高人数が炊き出しに並んだ年となりました。しかも、全体の6割が20代から30代の若者です。その多くはアルバイトを失った学生であり、外国人労働者であり、そして女性です。

この人々は、この世が闇の中に隠しておこうとしている人々です。

闇の中に捨て置かれている人の多くが、「自分は見捨てられている」、「生きていてもしょうがない」、「誰からも愛されていない」と感じています。しかし神様は、そのように感じている人々を、闇の中に捨て置きはしません。

イエス・キリストの到来は、神が人を、世界を、絶望の闇の中に捨てては置かれず、希望と喜びを与え、ゆたかな命を与えようとしているという宣言であり、保証です。

だからこそ私たちは、クリスマスを祝います。

私たちがクリスマスを祝うのは、ただウキウキした楽しい気分を味わうためではありません。クリスマスを祝うことによって、私たちの心がイエス・キリストの希望の光に燃やされて、闇の中に置かれた人のもとに、希望の光を携えていくためです。

イエス・キリストを遣わされた神は、私たち一人一人を通して、絶望の闇の中に置かれた人々のもとに、キリストの希望の光を届けようとしておられるのです。

この夕べ、お一人お一人の心に、世の闇を照らす光、イエス・キリストが訪れますように。そして神様が、闇の中に置かれた人々のもとに皆さんを遣わし、希望の光を分かち合う者としてくださいますように。