
顕現後第四主日
(2022.01.30)
+ 父と子と聖霊のみ名によりて アーメン
今日の福音書の話からは、身近な人たちから誤解されているイエス様を感じます。また、別の個所では、「あの男は気が変になっている」とか、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と迄言われ、嘲笑われ、バカにされているイエス様も描かれています。あるいは、故郷ナザレでは「何も奇跡を行うことがおできにならなかった」という一言までもが福音書には書き残されています。
けれども、この言葉遣いは、誤解を与え兼ねないものでもあります。なぜなら、イエス様のことを幼い頃からよく知っている人たちが数多居る所では、さすがのイエス様も力を発揮することが出来ずにいらしたと受け取られかねないからです。しかし、福音書が言っているのはそういうことでは無しに、イエス様が当然為し得る働きを邪魔するような人たちや状況が、イエス様を取り巻いていたということです。
キリスト教とは「命と関係の宗教」です。従って、聖書には「命」に纏わる話が後を絶ちませんし、それを元にしているキリストの教会の働きも、いつでも、この「命と」を礎にして整えられてきまし。そして、この「キリスト教とは本来、命の宗教である」ことの中身として、神様という命の大元から私たちは命を授かり、注ぎ込まれており、「一人一つ限りの命を誰かと、どこかで、何かしらの形で分け合っていこうではないか!」ということを繰り返し聖書は、イエス様は唱え続けておられます。そして、更にはそれを受けてキリストの教会は、その働きを展開してきたはずでしたけれども、実際には二千年という歴史の中で、「違いを認め合い、命を分け合うよりは、こちらに合わせろ!」「この自分たちと同じになれ!」といった要求をしてもきましたし、イエス様も、それをやられた節があります。
ちなみに、日本には古くから「郷に入れば郷に従え」という言葉がありますが、これは、「私は郷に入ったのだから、郷に合わせよう」と自分自身に重きを置く受け止め方もあるでしょうが、反対に「お前は私の所(家に、町に、村に、国に)来たのだから全てをこちらに合わせろ!それが嫌なら出て行け!」という方に重きを置く意味合いも強くあったようです。
ところが、人間とは、しばしば勝手といいますか、他人が自分の所へ入って来た時には、「こちらの風習に従え!」と言っておきながら、いざ、自分が余所に入った時はとなると必ずしも同じことをしないという、そのようなメンタリティーを神様からの命、信仰というものに絡めてみますと、神様の命に私たちは繋がり、一つであると言っていながら、その一方では、命の授け主であられる神様よりも自分自身を中心に位置付けてしまうことがあります。そして、歴史の中でこのことがしばしば大きな問題を引き起こしてもきました。
それは、一方では「神様に造られ、命を授けられ、分け合い、支え合うように示され、教えられ、導かれるイエス様を信じます、従います」と言っておきながら、そのまた一方では、「これは私の命、これは郷に入る、従う者だけの命」ということを暗黙の内に押し付け始めることがあります。そして、それに従う者たちの間では神様から授かった私たちの命であって、自分たちに従わない者たちは、神様から授けられた私たちの命からは外にということを実際やってもきました。「私たちと同じになったら、私たちの命の仲間に入れてあげよう」式の物の言い方が幅をきかせてもきました。つまり、同じになれというのは、この私、限られた私たちであって、少なくとも、イエス様と同じにではなく、「この私と同じに!」「この私が気に入るように!」でした。
けれども、そういう人間のある種弱さを、聖書を認めた人たちは既に数千年も前から知り尽くしていたようです。「人間という者は、往々にして自分という者を中心に据えてしまいがちな者なのだ!」「事の善し悪しはともかく、そういう面を備えている者なのだ!」ということが分かっていたのです。そこで、」では、これだけはしないようにしよう」ということで聖書はある警告を発しましたが、それが、「自らを神とするな!」ということでした。
まさに、イエス様を取り囲んでいた故郷ナザレでの出来事とは、この「私と同じになれ、嫌なら余所へ行け」という出来事と繋がっていますし、イエス様は生まれ故郷でそれをやられました。イエス様は、そのような扱いを受けていらっしゃいますが、一方でイエス様の故郷ナザレを含むガリラヤ地方の人たちが、一体何をイエス様に期待していたかとなりますと、それは、力強いイエス様、逞しく、頼もしいイエス様、目覚ましい奇跡を起こしてくれる、スーパーマンさながらのイエス様であり、それが更に高じて、自分たちの、そういう期待に添うイエス様、自分たちの都合に合うイエス様、郷に入れば郷に従うイエス様、そういうイエス様こそが必要なのであって、そうで無いイエス様なら最早必要とはしなくなっていきました。
だからこそ、肝心要のイエス様の方はと言えば、奇跡を行うことがお出来になりませんでした。けれども、これは決してイエス様の力不足ではなしに、敢えてなさろうとしなかった、あるいはするような状況ではなかったと言えましょう。
そもそも、故郷の人たちの目に映ったイエス様とはいえば、家業を途中で放棄した無責任な長男、神の愛などという悠長で、センチメンタルなことばかり唱えている男、碌でもない弟子たちを引き連れている変わり者でもありました。しかし、そのようにイエスを見て取っていない人たちの一群のことも、聖書は書き記しています。つまり、自分たちに都合の良い奇跡だけを求めるのではなしに、イエス様による真の「癒し」「慰め」「励まし」といった、自らを神様に造られた者として立ち上がらせて下さる力をイエス様に求め、待ち望んでいた人たちがいたのです。
そして実際、そのような人たちがイエス様に求めた癒しや慰め、励ましの軸となっているものが、「如何にして、神様の愛を、自らの心の奥深くに植え付けることができるだろうか?」「如何にしたら、愛の神様の姿を映し出すことへと、自らを献げることができるだろうか?」「如何にして、イエス様の同伴者となっていくことが出来るだろうか?」ということに心を砕いてきました。それは、「イエスという方のお働きを、心を、努めて自分たちのものにしていこう」という人たちでもありました。けれども、その人たちは、決して私たちから遙かにかけ離れた雲の上の人たちでもなければ、単に品行方正な清く正しい人でもなく、自らの弱さ、綻び、傷みというものを見据える謙虚さと優希とを兼ね備えていた人たちでした。そして、
その人たちこそ、一見するところ脆く、惨めで、弱々しい人として映りましたが、イエス様の目には、神様によって強められている人として映ったのです。まさに、後の使徒聖パウロをして、「神の力は、弱さの中でこそ十分に発揮される」「弱い時にこそ、強い」と言わしめたような人たちでした。そして、このパウロの言葉は、自らの中にある弱さ傷み、歪みを認め、神様に差し出せた時、例えこの世的にはみすぼらしく見えようとも、実は、神様に一番近い所に位置しているのだと言わしめた人たちでもありました。
そして、それこそがイエス様がご生涯を貫いて伝えられた教えであり、それを引き継いでいる聖書の心であるのだと言えます。
(主教 髙橋宏幸)