
2022年3月20日(日)大斎節第3主日
出エジプト3:1-15; Iコリント10:1-13; ルカ13:1-9
私は高校1年の秋に洗礼を受けて、クリスチャンとして歩み始めました。その時から、「聖書をどう読むか」ということが、大きな課題となりました。
その課題と向き合いながら学びを続けてきた私にとって、非常に大きな驚きをもたらした発見の一つは、イスラエルの歴史の中でも、教会の歴史の中でも、「聖書」はほとんど読まれてこなかった、という事実です。
このことを私に教えてくれたのは、Ferdinand de Saussureとその継承者によって言語の科学として展開された構造主義言語学と、聖書解釈の歴史です。
いわゆる、聖書解釈の歴史とか伝統と言われるものに目を向けてみると、そこには「テキストの解釈」と呼ぶに値するものがほとんど存在しません。紀元前4世紀ごろから16世紀までに展開されてきた、様々な「聖書解釈」に目を向けると、今日の私たちがテキストの解釈と呼ぶものとのあまりの違いに驚かされます。そして、「解釈」というの名の下に行われているのは、実際には新しい物語の創作だということに気づきます。
今朝の第二朗読で読まれた第一コリント10章1節から13節は、「聖書解釈」と呼ばれるものが、新しい物語の創造であることを示す、典型的な例の一つです。
エジプトで奴隷として酷使されたイスラエルの民は、モーセに率いられてエジプトから脱出し、約束の地、カナンに向かって旅をします。その物語は、旧約聖書の出エジプト記、民数記、申命記、そしてヨシュア記にまでまたがる長大なものです。
しかしパウロは、出エジプトの大物語の中から、ほんの何節かを取り出して、旧約聖書のテキストそのものがまったく意味し得ないことを語ります。
例えば、パウロは、イスラエルの民が海を通り抜けてエジプトから脱出したことは、イスラエルの民がモーセの名によって洗礼を受けたということだ、と言います。また、旧約聖書の出エジプト記17章と、民数記の20章には、モーセによって導かれてエジプトから脱出し、荒野を旅しているイスラエルの民が、飲み水が無いためにモーセに詰め寄ったという話が出てきます。
イスラエルの民が、「荒野で死なせるためにエジプトから自分たちを連れ出したのか」と不平を言うと、モーセは杖で岩を叩きます。すると、その岩から水が出てきて、民はその岩から水を飲んだ。そう、書かれています。
出エジプト記17章の話と、民数記の20章の話は、内容は極めて似ていますが、舞台となる場所はまったく違います。しかしパウロは、モーセが叩いて水を出した岩は、同じ岩で、この岩はイスラエルの民がエジプトを彷徨っている間、ずっと民について回ったのだ、と言います。
これだけでも驚くべきことですが、パウロはさらに、「イスラエルの民にくっついて回って、民と共に旅をした岩は、実はキリストだったのだ!」と主張します。
モーセ五書に洗礼はなく、モーセの時代にキリストは存在しません。モーセ五書が書かれた時代のヘブライ語は、「洗礼」についても、キリストについても、一切語ることはできません。
それでは、パウロはここで、一体何をやっているのでしょうか?
彼は、受け継いだ伝統に基づいて、伝統を乗り越えようとしているのです。ここでパウロがしていることは、「伝統」を保存することとは正反対のことです。
実は、教会に「聖書」と呼ばれる大きな文書群が残されることになったのは、イスラエルの民も、教会も、伝統に基づいて、伝統を乗り越えていく営みを続けたためです。伝統に基づいて、伝統を乗り越える営みこそが、聖書という書物を生み出したのです。
しかし、伝統に刺激されて、新たな意味を見出し、新しい物語を生み出して伝統を乗り越える営みは、新たに生み出された物語が固定されるとき、文字になるとき、化石化の力によって停滞します。
新たな物語を生み出して伝統を乗り越えるダイナミズムが忘却され、伝統が化石化すると、伝統の命は失われます。そして、「文字は殺す」ものとなるのです。
ロシア正教会のトップに君臨するモスクワ総主教キュリルは、プーチン大統領の押し進めるウクライナへの侵略と無差別破壊攻撃を正当化し、さらにそれを祝福し、虐殺行為の最中で命を落とした者たちに「聖徒」としての栄誉を与えています。
そんなことが可能なのは、教会が、「殺す文字」となった伝統を保存しているためです。それは、4世紀以降、教会がローマ帝国の軍事力と密接に結びついた時に生み出された「正戦論」(just war theory) の「伝統」です。
皮肉な話ですが、4世紀以降の教会は、新約聖書の伝統を、旧約聖書の伝統によって乗り越えようとしました。福音書を通して受け継いだイエス・キリストの伝統は、暴力の正当化を不可能にしてしまいました。
しかしローマの軍隊と結びついた教会は、ローマ皇帝が戦う戦争を、イエス・キリストの栄光を顕す戦いとして正当化する必要に迫られました。そのためのInspireを与えたのは、キケロの『共和国論』という書物と、イスラエルの敵を滅ぼすようにと命じる旧約聖書という伝統でした。
伝統に基づいて、伝統を乗り越えようとする営みとして生まれた「正戦論」は、固定化され、殺す文字として保存されてきました。
教会は、世界で起きている事柄を「時のしるし」として読み解き、進むべき方向を見出すための道しるべとしなければなりません。今朝の福音書も、ガリラヤの人々を襲った災難について語ることで、そのことを教えています。
教会が、伝統に基づいて伝統を乗り越えるダイナミズムを再発見しなければならないときが来ています。4世紀以降の教会の伝統、「殺す文字」となった正戦論に向き合い、乗り越えるべき時が来ています。
ローマ・カトリック教会の中では、ようやく2016年になって、「正戦論」の見直しに向けた取り組みが始まりました。
2016年、教皇庁とカトリック教会の平和団体、Pax Christiが主催する、「正義と平和」に関する3日間の会議がヴァティカンで開かれました。
会議に参加した80人の専門家たちは、正戦論は非暴力の福音と相容れないし、「正戦などというものはない」と宣言して、教皇フランシスコに「暴力」に関する教会の立場を明確に表明する勅書を書くようにと求めました。そして、「非暴力の福音に基づく正しい平和へのアプローチ」に移行すべきだと勧めています。
ローマ教皇フランシスコは、モスクワ総主教キュリルとのビデオ通話の中で、「すべての戦争は不正だ」と言って、プーチン大統領が始めた戦争を止めるようにと呼びかけたそうです。
ウクライナの苦難は、「殺す文字となった伝統を乗り越えよ」と語る聖霊の声となって、私たちに語りかけているのではないでしょうか。
「すべての戦争は不正だ」、「戦争を祝福することはできない」、「正戦論は誤りだった」。
そう言えるようになったとき、教会はようやく、キリストの平和を作る者となれるのではないでしょうか。