イースターヴィジル 説教

2022年4月16日(土)Easter Vigil

この夕べ、実に3年ぶりに、復活のロウソクを祝別する礼拝を再び献げることができることを、共に集まり、祈り、讃美を献げることができる恵みに、ただただ感謝しています。

私は3年前、2019年の聖土曜日の礼拝を、受苦日の十字架の苦しみと、復活の喜びの間の時間として位置付け、お話をしました。それは、「死と復活の間の時間」であり、「恐れと期待との間の時間」であり、そして「痛みと慰めとの間の時間」ですと。

2019年の春はまだ、コロナ禍の1年前で、世の中が普通に回っている時でした。当たり前のことが当たり前にできて、日本に生きる人々は、平和を享受していました。

平和を享受し、当たり前のことが当たり前にできて、自分の周りで物事が「うまく回っている」とき、私たちは世界の闇にも、人生に訪れる闇にも目を閉ざして生活しがちです。自分から遠いところに闇があったとしても、見てみないふりをしていれば、自分の周りでは事がうまく運び、やり過ごせるからです。

そのような状況であったからこそ、2019年の春の段階では、私たちの一人ひとりの人生の中に、少なくとも何度かは訪れる、「死と復活の間の時間」、「恐れと期待との間の時間」、そして「痛みと慰めとの間の時間」に目を向けることは、とても意味のあることでした。

ところが翌年になると、状況は一転しました。世界中が、新型コロナによってもたさられ、巨大な闇の中に転落しました。それはまるでブラックホールのような闇で、あまりにも巨大で、その闇の力を逃れる国は一つとしてありませんでした。孤立性の高い日本ですら、その例外ではありませんでした。

そして世界中が、長く出口の見えない「間の時間」を生きることになりました。今年で3年目に突入したコロナ禍を通して、全世界が、当たり前のことが当たり前にできることは、何よりも大きな神様の恵みであり、祝福であるということを、学ばせられました。当たり前のことができない、この暗く重苦しい2年2ヶ月余りの間に、私の周りでも、色んなことがありました。

「仕事を失った方」がありました。「重い病を宣告された方」もいます。破綻が決定的となった家族もありました。心を病む人も続出しました。そして死を迎えた方たちもいます。

しかし、長いトンネルのような暗い闇の向こうに、ようやく、出口の光が見えてきました。「イースターには、トンネルを抜けて、光に照らされて、心から主の復活を喜び祝おう。全身で開放感を味わおう!」灰の水曜日に、すでに、そう心に決めていました。

それだけに、それから3週間後、プーチン大統領によるウクライナへの軍事侵攻が始まった時には、再び深い闇の中に突き落とされたような、絶望的な気分になりました。

2019年の春に語った「間の時間の闇」は、2020年の2月から今にいたるまで、私たちの誰もが、その中で生きざるを得ない現実となりました。だからこそ、今日の、このヴィジルの礼拝の時には、ただただ、神様が闇の中に輝かせてくださった光に目を向け、光に照らされ、心からその光を喜び祝いたいのです。

イエス・キリストの十字架はこの世の最も深い闇であり、絶望の中の絶望です。しかし神は、「絶望の中にあなたたちを捨ておきはしない。必ずあなたたちの前に、朝の光を輝かせる!」そう宣言されました。この宣言を、神はイエス・キリストの復活として、私たちに示されたのです。

深い暗闇の中に輝く希望の光として、神様は私たちを世に遣わされようとしています。

私たちはこの夕べ、主の復活の光を心から喜び、祝いましょう。喜びこそが、主が私たちに託された使命へと私たちを駆り立てるのですから。

キリストはまことに甦られた!ハレルヤ!