









2022年4月3日(日)復活日
使徒10.34-43; コロサイ3.1-4; ルカ24.1-10
イースターおめでとうございます!今日、実に3年ぶりに、共に集まって復活日の礼拝を献げることができる恵みに、心から感謝です。
しかも今日は、Mちゃん姉妹、そしてYさんが洗礼の恵みに与ります。
残念ながら、今日一緒に洗礼を受ける予定だったKくんの洗礼式は延期となりましたが、近いうちにKくんの洗礼式も予定いたします。ぜひ、続けてKくんのためにもお祈りください。実は心の中でこっそり、Kくんの洗礼の時に、お父さんにも一緒に水をかけちゃおうなんてことも思っています。そのことも、ぜひこっそりお祈りください。
さらに今日は、洗礼を受ける3人に加えて、YさんとKさん、そしてMくんが初陪餐の恵みに与ります。3年ぶりにイースターを祝う教会にとって、本当に大きな祝福です。
長いコロナ禍からの出口がようやく見えてきましたが、今日、ここに集うことを願いながらも、ここに来ることのできなかった兄弟姉妹も沢山おられます。その方たちのことをも覚えながら、この時を過ごしましょう。
さて、私は今年に入って、特に大斎節に入ってから、「キリスト教」の再発見をしています。もう少し正確に言いますと、ナザレのイエスが語り、そして到来させようとした「新しい王国」、「神の国」の中心に据えられているものを、改めて見出しています。
その発見というのは、一言で言えば、「神の国の中心に女性がいる」ということです。
もちろん、私は以前から、新約聖書に現れる女性たちは、当時のイスラエル社会の状況を考えれば、規格外とも言える大きな活躍をしたことは知っていました。
今朝の福音書朗読でも、「最初の復活の証人」は「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の女たち」です。他の福音書でも、復活の最初の証人は皆女性です。マリアを通して受肉の神秘が起こり、母マリアが十字架の上で主イエスがささげられたことにより、教会が誕生した。そうもお話ししてきました。
しかし私は、神の国の中心に女性がいた、その本当の衝撃を、今年に入るまで知りませんでした。
聖木曜日の洗足式の礼拝でお話ししたことを繰り返すことになりますが、イエス様が宣べ伝え、そして到来させようとしていた王国は、いわば2つの土台の上に立てられていました。
一つの土台は「食事を準備して、給仕をすること」です。もう一つの土台は、「互いの足を洗うこと」です。この二つが神の国の土台であり、神の国のMagna Carta、大憲章なのです。
しかもイエス様は、「食事を準備し、給仕をすること」と、「互いの足を洗うこと」の「力」を、女性たちから学びました。そしてイエス様は、女性から学んだ力の上に新しい王国を建てたなら、そこに本当の平和が生まれることに気づかれました。このことに気づいた時、私は心底驚きました。
イエス様のために、そして弟子たちのために、食事の準備をし、給仕をし、宣教活動を支えてくれたのは女性たちです。男の弟子たちは食べるだけで、食事の準備もしていないし、給仕もしていないし、後片付けもしていません。
また、福音書の中で、男の弟子たちは誰一人、イエス様の足を洗ったことがありません。イエス様の時代、サンダルの紐を解くことと、足を洗うことは、最も身分の低い者のすることでした。それは、奴隷がする様々な働きの中で、最も屈辱的な、蔑まれた仕事でした。
そのため、ユダヤ人が同胞のユダヤ人を奴隷として所有している場合、ユダヤ人の奴隷に足を洗うよう命じることはなかったと言われます。足を洗うという最も屈辱的な仕事は、異邦人奴隷か、女奴隷か、あるいは子どもの奴隷に任せられました。
4つの福音書の中で、「イエス様が足を洗ってもらう話」は、たった2つしかありません。
一つ目はルカ福音書の7章で、イエス様がファリサイ人の家に招かれて食事をしているときに、罪深い女性がイエス様の足を涙で濡らして、その足を髪で拭ったとあります。
もう1つはヨハネ福音書の12章で、そこではラザロとマルタの姉妹のマリアが、イエス様の足に香油を塗って、自分の髪でその足を拭ったと記されています。
イエス様の足を洗った2人の女性の名前は違いますが、2人の女性が「したこと」は、まったく同じです。4つの福音書の中で、イエス様が足を洗ってもらう話は、この2つだけです。男の弟子たちがイエス様の足を洗う話は一つもありません。
ペトロを筆頭に、イエス様の周りにいた男の弟子たちが、誰一人、イエス様が到来させようとしている「神の国」のことを理解できなかったのは、その「王国」がこの世のものではなかったからです。(ヨハネ18:35)
イエス様の時代から現代に至るまで、食事を整えて、給仕をすることと、足を洗い合うことの上に立てられた国など存在しません。この世の国はいつも、武力によって建てられ、軍隊によって守られるものです。
しかしイエス様は、この世には存在しない新たな王国を、「食事を整え、給仕をすること」と、「足を洗うこと」の上に建てようとしました。だからこそイエス様は、ご自分の弟子たちに、新たな王国の、つまり神の国の民となるすべての者たちが、女性たちに倣うことを求めたのです。
そして神は、「イエスのヴィジョンは、わたしのヴィジョンであり、わたしが目指す天地創造の業の完成形なんだ!」そう宣言されました。この宣言が、イエス・キリストの復活です。
キリストの復活は、「食事を整え、給仕をすること」と「足を洗い合うこと」の上に立てられる新しい王国というイエスのヴィジョンを、神がご自分のものとされたことの保証です。
キリストの復活の最初の証人が、なぜ女性でなければならないのか、私は今年初めて気付かされました。そしてきっと皆さんも、今、そのことに気づかれたのではないでしょうか。
イエス・キリストが告げ知らせた神の国の福音。その中心に女性たちがいるのですから、イエス・キリストの新しい王国のヴィジョンを神がご自分のものとされたと最初に知らされるのも、当然、女性たちなのです。
それなのに、イエス様が信頼し、表舞台に引き出した女性たちは、1世紀後半から2世紀前半の教会ですでに、表舞台から姿を消して、舞台裏へと追いやられていきました。その代償は、非常に高くつきました。この世界は、世界を支配しようとする男たちの暴力によって深く傷ついてきました。
世界を癒し、平和を回復するために、私たち教会にできる最善のことは、イエス様のために食事を用意し、給仕をし、足を洗った女性たちに倣うことです。
そのために、私たちはこの朝、舞台裏に追いやられた女性たちを再び表舞台に登場させ、教会の歴史の中で失われてきたものを回復するために祈りましょう。
願わくは、「食事を整え給仕をすること」と、「足を洗うこと」の上に、新たな王国を建てようとしたナザレのイエスのヴィジョンをご自分のものとし、御子を死者の中から甦らせた神が、私たちをも、イエスに仕えた女性たちに倣う者としてくださいますように。アーメン
ご復活おめでとうございます。