5月18日(水)立教女学院小学校礼拝 説教

2022年5月18日(水)キリスト教週間 小学校礼拝 マルコ 3:31-35

今読んだのは、イエス様の周りに沢山の人が集まっているところに、イエス様のお母さんと兄弟たちがやって来て、イエス様を呼び出そうとしている場面です。

ここには、イエス様のお母さんと兄弟たちが何のためにやって来たのか書かれていません。でも、少し前の所を見ると、その理由が書かれています。

イエス様の家族は、イエス様は「気が狂っている」と思っていたので、どうにかして、無理矢理にでもイエス様を捕まえて、家に連れ戻さなくちゃならないと思っていたんです。

イエス様には、お母さんのマリアと、お父さんのヨセフと、最低4人の兄弟と、最低2人の姉妹がいました。でも、イエス様の家族は、イエス様が言っていることも、やっていることも、気に入りませんでした。

イエス様にとって、家族は良き理解者でも、支えてくれる人たちでもありませんでした。

実は、ボクとボクの母も、イエス様と同じように、愛情豊かな家族にも、自分を理解し支えてくれる家族にも恵まれませんでした。

1945年の夏、日本が戦争に敗れたとき、母は10歳の女の子で、5人兄弟の長女でした。母方のお婆ちゃんから聞いた話によると、一家は空襲ですべてを失い、戦争が終わった後は食べるにも困って、一家心中を考えていたそうです。

そんなとき、敗戦国日本の人々の苦しみに心を痛めたアメリカのクリスチャンたちが、沢山の食べ物や薬や、着るものや文房具などを寄付してくれました。これはララ物資と呼ばれて、1946年から1952年までの間に、大きな船で458隻分もの食べ物、薬、衣料品、学用品が日本に届けられました。

そしてボクの母とその家族は、教会を通して配給されたララ物資のおかげで、戦後の大変な時を生き延びたのでした。

この時、母は教会で行われている日曜学校にも行くようになり、中学校の2年生か3年生になったばかりの頃、洗礼を受けたようです。

勉強好きで学校の成績も良かったボクの母は、高校に行かせてほしいと泣きながら親に頼んだそうです。しかし茨城の農家出身の両親は、女の子に教育を受けさせてもしょうがないと思っていました。

「下に四人も兄弟がいるんだし、高校の学費なんか出せない。」そう言われて、母は高校を受験することも許されませんでした。

成績も良くて、十分に能力があって、本当に勉強がしたかったボクの母は、学費を払ってくれる親に恵まれなかったために、高校に行けませんでした。学校卒業後には、4人の兄弟たちを支えるために働くしかありませんでした。

結婚したのは35歳の時で、結婚した男の人には、前の結婚相手との間に生まれた二人の娘と一人の息子がいました。

1971年の12月にボクが生まれた後すぐに離婚をし、しばらく経って別の男性と再婚しました。でも、二度目の結婚生活もうまくいかず、42歳の時、ボクが6歳のとき、母は再び離婚をします。

離婚した二人の男の人からは何の助けも無く、母は一人でボクを育てなくてはならないことになりました。でも、高校に行かせてもらえなかった母にできる仕事は、とても大変で、給料の安いものばかりでした。

46歳のとき、母は心も体も病気になって、仕事もできなくなり、誰とも人付き合いをしなくなりました。家から一歩も出なくなり、掃除も、洗濯も、食事の準備も、何もしなくなりました。

ボクは親戚の間でも、そして学校でも、「気が狂った女の子ども」として嫌われるようになりました。

子育てを諦めた母が、ボクに勉強しろと言ったことは一度もありません。でも、教会の日曜学校にだけは、どんな手を使ってでも行かせようとしました。それは、家族の無い息子を、イエス様に集められた教会という家族に委ねて、そこで育ててもらうしかないという最後の悪あがきであり、そして祈りだったのでしょう。

ボクは放蕩息子になって、しばらく教会を離れたこともあります。でも、不思議な力に導かれて、再び教会に戻され、そこでイエス様に出会い、神様に出会いました。

ボクはイエス様と同じように、血のつながりによる家族には恵まれませんでした。でも、イエス様がボクを神の家族に加えてくれたおかげで、ボクは一人ぼっちではなくなりました。

今は世界中に家族がいます。この神の家族の中でボクは育ててもらいました。

多くの人たちは、人生のどこかで、血のつながった家族の中で傷つき、苦しみます。

でもイエス様は、その人たちを神の家族の中に招いて、癒し、回復させ、人生をやり直させてくれます。

家族の中で傷ついたり、苦しんだり、寂しくなったとき、「あなたも神の家族にならない?」と呼びかける、イエス様の声を聞いてください。