6月1日(水)立教女学院中高放送礼拝 説教

2022年6月1日(水)立教女学院中高放送礼拝 ヨハネ17:20-26

「あなたが信じている神様のことを一言で表現してください。」もし、そう言われたとしたら、私は多分、「神様は愛です」と答えるのだろうと思います。

「神様は愛だ」、そう言われて、悪いイメージを持つ人はいないでしょう。「愛」という言葉を聞いたことのない人はいませんし、巷にはラヴ・ソングが溢れています。

ですから、たとえ聖書を読んだことがなくても、キリスト教についてほとんど何も知らなかったとしても、「神は愛です」と聞けば、なんとなく、キリスト教の神様はどんな神様なのか、わかったような気がします。

しかし、もう一歩進んで、「愛って何?」、「愛するってどういうこと?」と聞かれたら、ちょっと答えに困るという人も少なくないでしょう。

今朝の聖書箇所でイエス様は、「愛とは何か」、「愛するとはどう言うことか」を私たちに教えてくれています。

今読んだ聖書の中には、「愛」を理解する上で大切な、二つのキーワードがあります。それは「内に」と言う言葉と、「一つ」という言葉です。イエス様は言います。

「私は父なる神を愛しており、父なる神は自分の「内に」おられる。また、父なる神も私を愛しておられ、私は父なる神の「内に」いる」と。

ここで大切なことは、どちらか片方だけが「内に」いるのではないということです。もし、イエス様の「内に」父なる神がいるだけで、父なる神の「内に」イエス様がいないのなら、それは「愛」とは呼べません。

本当の愛は、一方通行の関係ではなく、双方向の関係なのです。だからこそ、アイドルとファンとの間には、決して本当の愛は成立しません。

私は高校生の時から、熱狂的な山下達郎のファンで、スコットランドに行くまでずっと、ファンクラブの会員でした。達郎のアルバムは全部持っていましたし、毎日のように達郎の音楽と、ついでに竹内まりやの音楽を聴いていました。コンサートとなれば必ず出かけました。しかし残念ながら、私の思いはまったくの一方通行で、私の中に山下達郎はいても、達郎の中に私はいません。ですから、そこに本当の愛はありません。

人と人との間に本当の愛が生まれる時、「あなた」が「私」の内におり、「私」も「あなた」の内にいるという関係が成立します。そのとき、この二人の間には、非常に大きな力が生まれます。

「私」が誰かを本当に愛する時、「私」は相手が喜ぶことをしたいと望むようになります。そして、「私」がしたことで相手が喜んでくれる時、それは「私」にとって、何にも代え難い大きな喜びとなります。

同じことが相手の側でも起こります。相手も「私」が喜ぶことをしたいと願い、自分がしたことを「私」が喜ぶ時、そのことを何よりも喜んでくれるのです。

こうして愛する者と愛される者とが切り離し難いほどに結びつき、「一つ」となる。それが本当の愛です。

皆さん一人一人が、誰にも代えられない、かけがえのない存在として、神様に覚えられています。神様はイエス・キリストを通して、どれほど深く皆さん一人一人の命を慈しみ、大切にしているかを示されました。

私たち人間の愛情は、「家族だから」とか、「同じ学校に通っているから」とか、「自分に優しくしてくれるから」とか、「一緒にいると楽しいから」とか、いつでも条件付きです。

しかし、神様の前では、皆さん一人一人の命の尊さは、決して変わりません。

テストで100点を取れば大切にされるけれども、50点しか取れなかったら見捨てられるなんてことはありません。

誰にも、何にも代えられない存在として、あなたは、神様の内にいます。神様はあなたの命を喜んでおられます。ぜひ、そのことを知ってください。

そのことに気づく時、皆さんの心の中に神様が住まわれ、本当の愛と喜びが生まれるのですから。