聖霊後第2主日 説教

ゼカリア 12:8-10, 13:1; ガラテア 3:23-29; ルカ9:18-24

「あなたがたは私を何者だと言うのか。」(20節)この問いかけは、イエス様から自分に向けられているのではないか。

そう感じ始めるところから、クリスチャンという信仰の旅への道が始まります。そう感じ始めたなら、もはや「世間」がイエス・キリストについて何を言っているかということは、ほとんど問題にならなくなります。

そして、イエス様が自分に向かって、「私を何者だと言うのか」と問いかけていると感じ始めてしまったら、「イエス様は偉大な哲学者です」とか、「道徳の先生です」とか、「昔の革命家です」といった答えは、答えにならないことにも気づいてしまいます。

なぜなら、「私を何者だと言うのか」とイエス様から問われていると感じてしまった人は、イエス様が求めているのはペテロの告白、「神からのメシアです」という答えだということにも気づいているからです。

こうして、イエス様が自分に向かって、「私を何者だと言うのか」と問いかけていると感じてしまった人は、喜び勇んで、あるいは渋々、「イエスはキリストです」、と告白して、信仰の旅に踏み出すことになります。

ところが、「イエス様はメシアです」と告白をして、クリスチャンとして歩み始めた時、誰もが気づいていないことがあります。

それはイエスが「神からのメシア」であるとはどう言う意味か、実は知らないということです。それは同時に、イエス様を救い主と信じる者の歩みとは一体どんなものなのか、イエス様と共に旅をすることによって、自分はどこに連れて行かれることになるのか知らないということでもあります。

「23私に付いて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を負って、私に従いなさい。24 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、私のために命を失う者はそれを救うのである。」

クリスチャンという歩みは、イエス様と、そしてイエス様によって集められた仲間と共に旅を続けることを通して、この言葉の意味を学んでゆくプロセスです。

十字架を負う。これは抽象的な命令ではなく、イエス様が弟子たちに与える具体的な命令です。それは、栄光を求めて戦うことの禁止です。イエス様は、弟子たちの群れに、教会に、迫害者に武力で立ち向かい、敵を打ち破ることを諦めるようにと命じたのです。

このように言葉で言うことは簡単です。しかし、この命令を理解し、生きることは、非常に大きな挑戦です。

私たちは、自分たちに悲しみをもたらした者たちが悲しむことを望み、自分たちに不幸をもたらした者たちが不幸になることを望み、自分たちに苦しみをもたらした者たちが苦しむことを望みます。敵の悲しみと不幸と苦しみは、私たちの喜びとなり、幸いとなり、解放となるからです。

生まれながらの私たちには、敵のために祈ることなどできません。敵が赦されることなど受け入れられません。ましてや、敵が祝福されることを喜ぶことなどできません。私たちの中に残る、古い内なる人は、十字架を負って、キリストに従うよりも、栄光を求めて敵を滅ぼすことを望むのです。

しかし、それは命の道ではなく滅びの道であり、敵を滅ぼして自分の命を守ろうとする者は、自分の命を失うことになるのだとイエス様は言われます。

ロシアのウクライナ侵攻を機に、岸田内閣と自民党は、防衛費をGDP1%程度から2%へと倍増することを目論んでいます。また政府は、4兆円以上の軍事費を上乗せした暁には、敵基地攻撃能力を保有することまでを視野に入れています。

ちなみに、日本の防衛費がGDPの2%になった場合、11兆円を超える予算規模となって、アメリカと中国に次ぐ軍事予算となります。

しかし、端的に言って、軍事力強化は日本の安全保障にとってマイナスに働くだけで、なんの役に立ちません。なぜなら、日本は海岸線に沿って、54基もの原発を並べている国だからです。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のプロセスの中で、世界を最も驚かせたのは、ロシア軍がウクライナのザポリージャ原発を攻撃対象としたことでした。管理棟は完全に破壊され、大惨事に繋がってもおかしくない深刻な状況でした。

日本の原発は、テロのターゲットとなることは想定していても、軍事攻撃のターゲットになることを全く想定していません。

プーチン大統領が、ウクライナを世界地図から消して、ロシア帝国の中に取り込むことを最終目的としていることは、すでに公然の秘密となっています。今後、日本が防衛費の増加を続け、敵基地攻撃能力の保有を目指せば、それはロシア、中国、北朝鮮に、第2、第3のプーチンを生み出す引き金となるでしょう。

イエス様が、この世の支配者は悪魔との同盟関係にあるとみなしていた通り、この世を支配したいという願望と狂気とは、常に紙一重です。ロシア、中国、北朝鮮に第2、第3のプーチンが生まれたなら、その人物が、日本を世界地図から消そうと考えたとしても何の不思議もないでしょう。

そして、日本を世界地図から消すことは、ウクライナを世界地図から消すことよりも、遥かに容易です。東日本と西日本で、複数の原発が同時にミサイル攻撃のターゲットとなれば、日本列島全体がチェルノブイリと化すでしょう。

ロシア、中国、北朝鮮といった核保有国に囲まれた日本に、軍事力で安全を保障する道などありません。

私たちクリスチャンは、この世で自分たちを統治する者は民族的同胞でなくてはならないという幻想から自由になる必要があります。

イエス様の弟子たちが待ち望んでいたメシアは、エルサレムから異邦人を駆逐して神殿を清める戦士であり、軍事指導者であり、イスラエルにダビデ、ソロモンの時代の栄光を回復する王でした。しかしイエス様は、ローマ帝国の転覆を目指すメシアではありませんでした。

パウロはユダヤ人でありながらローマの市民権を持ち、ローマ帝国の交易路が、パウロの異邦人伝道を可能にしました。江戸時代、キリシタンたちにとって最も危険な存在は、同じ民族の支配者たちでした。

イエス・キリストが弟子たちに求めることは、復活の命を生きることであり、教会の使命は、神の国の平和と喜びと豊かさを世に示すことです。

世界が軍事力強化へと向かう時代だからこそ、イエス様が弟子たちに与える具体的な命令、栄光を求めて戦う道を滅びの道として退け、十字架を負い復活の命を得る道を歩ませてくださるよう、復活の主に祈り求めましょう。