聖霊降臨後第4主日 説教

2022年7月3日(日)聖霊降臨後第4(特定9)主日

イザヤ66:10-16; ガラテア6:14-18; ルカ10:1-12, 16-20

「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

ここでイエス様は、すでに作物が豊かに実り、収穫されるのを待っている。しかし、大豊作にもかかわらず、それを刈り入れる人がいない。そう言っています。

これはとても興味深いことです。私はこれまで、収穫が多いのは、イエス様の宣教活動の結果だと思っていました。イエス様が福音の種を蒔いて、それが芽を出し、豊かな実を結んで、刈り入れを待っている。そう思っていました。

ところが、どうもそうではないようです。イエス様は自分が行こうとしている場所に、自分に先立って、72人の弟子たちを遣わしています。彼らを派遣するに当たって、イエス様はこう命じています。

「9 その町の病人を癒やし、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」

ですから、弟子たちが遣わされて行く町や村の人々は、彼らから初めて神の国の福音を聞き、弟子たちを通して成される業を通して、神の国のしるしを目にすることになります。

しかし、弟子たちが町や村に入っていく前に、イエス様は、弟子たちが行く所には、すでに多くの収穫があると言うのです。

6節でイエス様は、「平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻って来る。」そう言っています。72人の弟子たちが収穫するのは、「平和の子」です。収穫が多いということは、刈り入れられるのを待っている「平和の子」が、沢山いるということです。

収穫されるのを待っている「平和の子」が沢山いる。これは、イエス様に派遣された72人にのみ当てはまることではありません。福音書に書かれていることは、すべて、その受取人である教会のメンバーたちに向けて語られています。

しかも、ルカ福音書が書かれたとき、復活の証人である使徒たちは皆、すでに世を去っています。ここに書かれていることは、使徒たち以後の教会に向けて語られているということです。

収穫されるのを待っている「平和の子」たちは、いつの時代にも、沢山いるのです。だとすれば、今日の福音書朗読を通して、イエス様は私たちに、こう言っておられるのではないでしょうか。

「平和を愛する者たちはいつの時代にも沢山いる。その人たちは収穫されるのを待っている。だから、その人たちに福音を伝え、神の国の共同体の中に迎え入れ、神の国の運動の担い手として整えなさい」と。

収穫されるのを待っている「平和の子」たちが沢山いるのに、収穫が少ないとすれば、それは神様の責任ではなく、私たちの責任です。収穫されるのを待っている「平和の子」が沢山いるにも関わらず、教会がほとんど刈り入れをしないことの最大の問題は、世界を癒し、平和の作り手となる人々が、神の国の担い手が、いなくなるということです。

これまで、教区会をはじめとして、教区の様々な集まりの時に、「宣教というのは教会のメンバーを増やすことではない」というセリフを聞いてきました。確かに、教会のメンバーが増えることが、宣教の成功を意味するわけではありません。

けれども、収穫されるのを待っている「平和の子」たちが刈り入れられなければ、神の国の働きの担い手が生まれません。洗礼が無ければ、イエス・キリストの癒しの業を引き継ぎ、神の国の平和を作る者たちを世に遣わすことができません。その結果、世界は力の論理と利益至上主義が支配する危険な場所となります。

教会が収穫を怠ってきた。その損害は、教会の外でもすでに明らかになっています。

かつて教会のミッションとして始められた幼稚園や学校や病院や社会福祉施設の多くが、もはや宣教の働きとして維持できなくなりました。ミッションという魂が経済的利益に取って代わられた後、再び魂を取り戻すことはほとんど不可能です。

こうしてかつての宣教の器が、経営の論理に支配される単なる収益事業となるという現象は、今も急速に進んでいます。

かつて、神の国のミッションを携えて日本にやって来た宣教師たちは、その一つの現れとして、具体的な一つのミニストリーとして、立教女学院を生み出しました。そして、そのミニストリーの中から、私たち、聖マーガレット教会が生まれました。

聖マーガレット教会と立教女学院。それぞれの働き、ミニストリーは違っても、この二つは、同じ神の国のミッションの具体的な現れです。

しかし、私たちを、聖マーガレット教会を生み出した立教女学院が、今後も教会のミッションとして継続しうるのか、あるいは日本中にある無数の私立学校の一つに過ぎなくなるのか、今、大きな分かれ道に立っています。

どこのキリスト教系学校も、クリスチャンの教員を探すことが非常に難しくなっています。立教女学院でも、クリスチャン教員の比率は、名目上でも、3割に届かないのではないでしょうか。そして非常に少ないクリスチャン教員の中でも、聖公会のクリスチャンはマイノリティーです。

ここにも、収穫を怠って来たことの甚大な損失が表れていることが、お分かりになると思います。

私が女学院のチャプレンを引き受けたことを、驚きをもって受け取られた方も少なからずおられたようです。

もし立教女学院が、金持ちの娘たちに、最高の社会的ステータスを保証することを使命とする学校であれば、私はチャプレンを引き受けることなどありませんでした。けれども、聖マーガレット教会を生み出した学校は、「平和の子」として生徒を育て、世に送り出す使命を担っているはずです。

それは、神様の愛を知り、与えられた豊かな恵みを分かち合い、自分のためではなく、虐げられている人や貧しい人のために働く者を生み出すという使命です。

そして、その使命の担い手は、収穫された「平和の子」たちなのです。それは皆さんです。私です。この聖マーガレット教会です。

毎朝の礼拝が無ければ、聖書が無ければ、イエス・キリストがいなければ、この教会を生み出した学校は、日本中のどこにでもある、ただの学校に過ぎません。

私がチャプレンを引き受けたのは、女学院の働きをミッションとして保ち、生徒たちを「平和の子」として育て、送り出すために、自分のできることがあるのであれば、それをしたいと思ったからです。

しかし、生徒たちを「平和の子」とするために、もっとも大きな影響を与えるのは、婦人宣教師であり、福音を生きているクリスチャンの教員です。チャプレンではありません。だからこそ、イエス・キリストが始められた神の国のミッションを継続するためには、収穫が絶対に必要なのです。

かつてミッションとして始められた働きを、経営の論理に支配された単なる収益事業としないためには、ミッションとして継続するためには、収穫されるのを待っている「平和の子」たちを刈り入れ、クリスチャンの教師として、保育士として、クリスチャンのナースとして、理学療法士として、ドクターとして、遣わす必要があるのです。

収穫を待っている「平和の子」が、私たちの周りにも沢山います。皆さん、ぜひ、ご自分が遣わされているところで、「平和の子」を見出し、収穫の業に励んでください。