7月6日(水)立教女学院 中高礼拝 説教

2022年7月6日(水)立教女学院礼拝 ルカ10:1-12, 16-20

この国に生きる多くの人にとってそうであるように、私にとっても、夏の季節は、戦争について考えること無しに過ごすことのできない時です。

私自身は、日本の敗戦から26年後の1971年生まれですから、もちろん「戦争を知らない世代」です。しかし、1945年の敗戦の時に10歳の少女だった私の母は、戦争を知っていましたし、彼女の人生は戦争によって大きく狂いました。

母は5人兄弟の長女で、どういうわけか、1940年か41年頃、茨城の下妻から東京都の稲城村に家族で移り住みました。そこで敗戦を迎えたのですが、7人家族は1945年5月の空襲のときに、ほとんどすべてを失いました。

戦後も食糧難で困窮し、一家心中を考えていたとき、アメリカやカナダのクリスチャンたちが寄付してくれた大量の救援物資によって、文字通り命を救われました。この救援物資は「ララ物資」と呼ばれ、1946年から1952年まで、船で458隻分にも上る食料・医薬品・衣料・学用品などが日本に届けられました。

教会は重要な支援物資の配給拠点となり、母と家族は、生活に必要なものを得るために、教会に足を運ぶようになりました。中学生の母と何人かの兄弟たちは、日曜学校にも通うようになり、母は洗礼も受けました。

中学時代、母は勉強好きで、学校の成績も良かったらしく、高校進学を夢見て毎日一生懸命勉強をしていたようです。ところが、高校に行かせてほしいと、涙ながらに訴える母の願いは、「下に四人も兄弟がいて、どこに学費があるんだ」という一言で、冷酷に退けられたのでした。

戦争が生んだ荒廃と貧しさによって、高校進学の夢を断たれた母は、中学校卒業後、下の4人の兄弟たちを養うために働かざるをえませんでした。

35歳で結婚した男性には、3人の連れ子がいました。ですから私には腹違いの兄弟がいたわけですが、私が生まれた直後に、母は最初の夫と離婚しています。

その後間も無く、別の男性と再婚しましたが、二度目の結婚生活もうまくいかず、42歳の時に再び離婚をします。それからは女手一つで家計を支え、私を育てなくてはならないことになりました。

しかし、教育を受けられなかった母のできる仕事は、きつくて給料の安いものばかりで、二人の元夫からは養育費すら受け取ることができませんでした。

4 6歳のとき、母の体と心は限界を超えてしまい、倒れて病院に運び込まれました。程なくして退院したものの、退院後は社会生活から完全に撤退し、家から一歩も出なくなりました。

今でいう引きこもりです。誰とも話をしなくなり、掃除も、洗濯も、買い物も、食事を作ることも、一切しなくなりました。

私の母の人生は、戦争がもたらした荒廃そのもののような人生で、心の病から回復することのないまま、2011年8月4日に、76歳で地上の生涯を閉じました。

数日前、大学生の息子が、スコットランド時代の友人と久しぶりに連絡を取っていました。メッセージをやりとりしている中で、その友人が、「第三次世界大戦が起こるかもしれない」と呟いたそうです。

残念ながら、再び、戦争の足音が、すぐ近くで聞こえる時代になってしまいました。

今日の聖書の中で、イエス様は「平和の子」たちを収穫するために、弟子たちを遣わされました。

同じように、イエス様に遣わされてこの国にやって来た宣教師たちは、「平和の子」を生み出すために、この学校を作りました。

どんな未来も、どんな夢も、戦争によって破壊されます。平和こそが、すべての希望の源です。平和を作ることほど尊い働きはありません。

皆さん、第三次世界大戦の足音が近づくこの時、皆さんがこの学校で学んでいるということの意義を、改めて問い直してください。

イエス・キリストが、皆さんを「平和の子」として育て、平和を作る人として、世に遣わしてくださいますように。