
2022年9月7日(水)立教女学院中高礼拝 ルカ14:25-33
今読まれた聖書の箇所は、非常に過激なイエス様の言葉に溢れています。
もし、この箇所を「文字通り」に受け取った場合、「洗礼を受けたいです」、「クリスチャンになりたいです」と言う人に向かって、教会の牧師はこう尋ねなくてはいけないことになります。
1) あなたはちゃんと、自分の家族を憎んでいますか? 2) あなたは全財産を放棄する準備がありますか?(なんだか統一教会臭い話になってきました。かなり怪しげです) 3)あなたは洗礼を受けたら、直ちに命を捨てますか?(財産目当ての計画的殺人としか思えません。100%カルト確定です!)
しかし、結論を先に言えば、今朝読まれたイエス様の過激な言葉の数々は、「文字通り」のことを意味していません。
もし、家族を捨て、財産を捨て、命を捨てることが、キリストの弟子になるための条件であったなら、この世で誰一人、イエス・キリストの弟子になれないということになります。
しかし、例えば、約2千年前、イエス様と十二弟子たちが宣教活動にコミットできたのは、彼らに寝る場所と食事を提供してくれる弟子たち、特に女性の弟子たちの存在があったからです。神の国を告げ知らせるというイエス様のミッションは、財産を持っている弟子たちによって支えられていました。
また、洗礼を受けてクリスチャンとなった人の誰一人、命を捨ててはいません。迫害によって命を失ったクリスチャンは沢山います。しかし、洗礼と同時に命を捨てるクリスチャンというのは存在したことがありません。
そうすると、「家族も、財産も、命も捨てる必要なんかありません。今まで通りの生活を続けながらクリスチャンになれます!」という話になるのでしょうか?残念ながら、そうではありません。
まず、イエス様の教えは、自分のために富を蓄積しようとする者に対する警告に溢れています。イエス様は、富を蓄積するという営みを、他の人々が生きるために必要とするものを奪うことであり、命を脅かす行為とみなしています。
さらに、イエス様が語る「神の国」は、血縁による家族に対する敵意に溢れています。イエス様は、血縁による家族は、福音の呼びかけに応える者たちから成る、神の家族によって乗り越えられるべきだと確信していました。イエス様は、血縁や血統や家柄といったものが、つまり血縁に基づく家族主義が、この世では必ず排除の論理として働くことを知っておられました。
皆さんが、物理の授業でカオス理論やbutterfly effectについて話を聞く機会があるとすれば、南米のブラジルで羽ばたく一匹の蝶が、どのようにしてアメリカのテキサスで竜巻を引き起こしえるのかという話を聞くでしょう。
同じように、排除の論理である家族主義と自分のためにため込もうとする小さな貪欲が結びつき、これが他の人たちの貪欲と家族主義と相互作用するとき、それは世界を滅ぼしうるほどの巨大な力となり得るのです。
富を分かち合うことに不安と恐れを感じるのは、この世界が相互不信に基づいていることの証拠です。
たとえ自分が富を失っても、周囲の人が、コミュニティーのメンバーが、自分のことを助けて支えてくれると信じているなら、自分と自分の身内のために富を蓄えようという貪欲から解放されるでしょう。
しかし、「富を失ったら誰も自分たちを助けてくれない」。そう考える人に溢れて、貪欲が膨れ上がって行くとき、その先にあるのは世界の破滅です。
しかし、もし自分が富を失っても、仲間が必ず支えてくれると信じている人々が増し加わり、分かち合いの精神が広がっていったなら、そのとき初めて、世界は本当の豊かさと平和と喜びを知るでしょう。
世界を滅ぼす貪欲のbutterfly effectがあるように、イエス・キリストから始まり、世界に平和をもたらすbutterfly effectもあるのです。
この学校で学ぶ皆さんが、イエス・キリストに共鳴し、自分の置かれたところで、自分の受けている恵みを分かち合い、小さな喜びを生み、そして小さな平和を作る者となりますように。