
中高礼拝 説教 ルカ18:1-8a
紀元前8世紀のギリシアの詩人ホメロスは、『イリアス』という作品の中で、略奪され、住人のいなくなった荒廃した街のことを、「やもめ」と呼んでいます。
イエス様の時代のイスラエルでも、女性の社会的地位は非常に低くて、「やもめ」となれば、娼婦として自分を売るか、女奴隷として自分を売るか以外、ほとんど生き残る術がありませんでした。
今朝のイエス様の譬え話に出てくるやもめは、元夫の家族かその親類によって、自分の財産を奪われ、その返還を求めていたのでしょう。
しかし「相手を裁いて、私を守ってください」とやもめが訴えている裁判官は、ローマ帝国の役人ですが、裁判官として最悪の人物です。
「神を畏れず」という言葉からは、このローマの役人が、「神の前で何が正しいか」とか「神に喜ばれることは何か」といった話には、まったく関心がないことがわかります。
さらに悪いことに、この裁判官は「人を人とも思わない」男です。
ですから、この裁判官には、信仰に訴える言葉も、倫理や道徳に訴える言葉も、まったく響きません。
ところが、正義を実現する気などさらさら無いこの裁判官が、やもめの権利を回復する判決を下します。なぜでしょうか?
それは、やもめが毎日のように不正な裁判官をつけまわして、「相手を裁いて、私を守ってください」と言い続け、それにこの男は辟易としていたからです。
不正な裁判官は、うっとうしいやもめにつけ回されないようにするために、彼女の権利を回復する判決を下すしかありませんでした。そして、そのためだけに、不正な裁判官はやもめの権利回復を命じる判決を出す、そうイエス様は言うのです。
先月の16日、イランで、マーサ・アミニ(Mahsa Amini)という22歳の女性が、ヒジャブと呼ばれる頭を覆う布を被っていなかったという理由で、モラル警察によって捕らえられて投獄され、獄中で激しく殴られ続けた末に命を落としました。
彼女の死は、これまで男たちによって抑圧され、自由を奪われ、激しい暴力に晒されてきたイランの女性たちを立ち上がらせました。連日、多くの女性たちが、ヒジャブを脱ぎ捨て、女性の自由と解放を求めて通りに繰り出し、抑圧的政治の終焉を求めて声を上げています。
皆さんもこの学校を巣立っていくとき、日本社会に深く根ざした、女性蔑視と女性差別と向き合うことになります。
東京医大の入試における女性差別に象徴されているように、この国には世界最悪レベルの構造的女性差別があります。
構造的女性差別を生み出したのも、これを永続化してきたのも、自分たちが主導権を握り、自分たちにとって都合のいい道具のように女性を扱う社会を作ってきた男たちです。
今日のイエス様の言葉は、イランで、そして日本で、構造的女性差別を解体するために、皆さんがどう戦うべきかを教えています。
まず、女性を蔑み、女性に対する差別を生み、それを永続化する役割を果たしている男たちを見つけ出してください。
そして今度は、その男たちが辟易とするまで付け回し、「女は男の道具では無い。女性を解放し、女性に男と変らない権利を与えよ」と言い続けてください。
女性を蔑む男たちが辟易として、嫌になって、女性を差別することを諦めるようになるとき、構造的女性差別は崩壊します。
皆さん、イランの女性たちと連帯し、構造的女性差別を解体するために戦ってください。イエス様は、いつも皆さんと共に、皆さんの側にいます。