
11月2日(水)中高礼拝 ルカ19:1-10
今日の物語の主人公のザアカイは、徴税人の頭です。イエス様の時代、徴税人になることは、金持ちになる確実な道でした。
さらに、徴税人の頭になるということは、普通の徴税人のレベルをはるかに超えて、税金の徴収事業を展開する事業主として、スーパー・リッチに、超富裕層になる最短の道でした。
けれども、徴税人として金持ちとなるためには、覚悟しなければならない犠牲がありました。それは、すべての人から憎まれ、嫌われ、友だちもいない、孤独な生活を受け入れるということです。
徴税人は民衆の敵でした。徴税人がお上に収める額は決められていましたが、誰からいくら徴収するかは、恣意的に決めることができました。
当然のことながら、徴税人たちは、お上に納める金額に自分のポケットマネー分を上乗せして、人々から税金を徴収し、そしてリッチになるわけです。しかも、徴税人が納める上納金の最終的な行き先は、ローマ帝国です。
民衆の敵であり、偶像崇拝者である異邦人に仕える裏切り者。それが徴税人という存在です。
大徴税人のザアカイは、人から憎まれ、嫌われ、孤独になるとわかっていて、金持ちになる道を選び、そして成功者になったのです。
彼は大金持ちになり、自分の望むものを何でも手に入れることができるようになりました。しかし、何不自由ない生活を送ることができるザアカイに、決定的に欠けているものがありました。
それは交わりです。本当の友だちです。
ザアカイがイエス様に会ってみたいと思ったのは、有名人の姿を見たいという、単なる野次馬根性からではありませんでした。
ザアカイは、地位や名誉のある偉い人たちが絶対に関わろうとしないような人たちが、イエス様の周りに集まっているという噂を聞いていました。
その中には、彼と同業の徴税人や娼婦、そしてありとあらゆる悪名高い人々がいました。
社会から除け者にされ、軽蔑され、嫌われ者で友だちもいないような人々が、イエス様の周りに集まっている。ザアカイは、それを不思議に思っていたはずです。だからこそ彼は、イエス様に会ってみたかったのです。
大の大人が木によじ登って、枝にしがみついている!格好悪いにもほどがありますが、ザアカイはなんとしてでも、イエス様に会いたいと思っていたのです。
そのザアカイのもとにイエス様がやって来て、「今日はお前の家にどうしても泊まりたいんだ」と言います。
これは、「私の友だちになってほしい」という、イエス様からの呼びかけです。
この呼びかけを聞いたザアカイは、大喜びでイエス様を迎えます。
ザアカイとイエス様が何を話したのかは書かれていませんが、イエス様と共に食事をし、語り合い、そして時を過ごすことによって、彼の中に大きな変化が起きたことはわかります。
しかし、ザアカイの実際の変化は、物語に描かれているほど瞬間的でも、劇的でも無かったはずです。そもそも、ザアカイはイエス様と会った後も、徴税人の頭としての仕事をやめたわけではありません。
私たちがイエス様と出会ったときにも、化粧品の広告によくある使用前・使用後の顔のように、昨日とは全くの別人になっているなんてことはありません。けれども、イエス様と共に過ごす中で、小さな変化が積み重なります。
そして皆さんが、5年後、10年後に、イエス様と共に歩いた道を振り返ったとき、小さな変化の積み重ねが、どれほど大きな変化になったのかに驚くはずです。
皆さん、「私の友だちになってほしいんだ」、そう呼びかけるイエス様を迎えてください。イエス様は絶対に皆さんを裏切りません。
そして、イエス様と共に歩みを続けてください。