11月30日 中高放送礼拝 説教

中高放送礼拝 説教 マタイ24:42-44

11月27日の日曜日から、教会の暦では新らしい年が始まり、アドヴェントと呼ばれる、クリスマスの準備期間に入りました。

伝統的に、このアドヴェントの期間は、「忍耐して到来を待ち望むことを学ぶ時」とされてきました。一体何を待つのか。それは、イエス・キリストが「再び来られる」ときです。

復活のキリストが弟子たちの前に出てきてしまって、イエス様が救い主であると告白する集団が生まれました。それが教会です。

復活のキリストの出現は2ヶ月も続きませんでしたが、生まれたばかりの教会は、イエス・キリストがすぐに帰ってくると思っていました。

けれども、イエス・キリストは帰って来ませんでした。教会は、神様の「救いの業」とその「完成」について誤解をしたのです。

「イエス・キリストが再び来られる」というのは、神様が始められた天地創造の業が完成される時を示すシンボルです。

神様が造られた世界は、まだ完成形に至っていません。世界はまだ、完成への道のりの途上にあります。その完成形がどのようなものになるのか、誰も知りません。

しかし神様は、キリストの復活を通して、天地創造の業が完成されるとき、死が命に飲み込まれることを示してくださいました。

教会は、イエス・キリストが「帰ってこなかったおかげで」、ミッションを、使命を帯びることになりました。

それは、世界の物語は死の勝利によって終わるのではなく、命の勝利に至るのだということを、共同体の生き方を通して人々に示すという使命です。

クリスマス前に、試験で苦しめられている皆さんと、この朝、是非とも知分かち合いたいことがあります。

それは、皆さんがイエス様と一緒に歩むなら、皆さんが生きていく上で、恐らくもっとも大切な力、resilience が与えられるということです。

Resilienceというのは、跳ね返す力です。それは、予想外のことや、期待はずれのことがあっても、気を取り直して、また歩みを続けるための力です。

そして、この resilience こそ、予想や期待が外れてしまっても、教会がこの世で使命を担って、旅を続けることを可能にしました。

私は全てにおいて、人よりも一歩も二歩も、いえ、恐らく何十歩も遅れてしか、前に進むことができない人間です。

中学校を卒業して最初に入った定時制高校から数ヶ月でdrop outして、次の年に工業高校に入り直しました。そのせいで、私は高校を卒業するのに4年間かかっています。

高校を卒業して2年間働いた後、牧師になるための学校に行って、一応、3年間で卒業しました。1996年のことです。

しかし、私が司祭として按手を受けたのは、それから20年後の2016年1月です!つい最近です。

私が初めて大学に入ったのは、24歳の時で、最初に大学院に入ったのは29歳のときです。

ところが、それからまた紆余曲折あって、最終的にPhDをやることになったのはスコットランドのアバディーンの大学です。論文を書き終えたのは、2016年のクリスマス前、わずか6年前のことです。

私のこれまでの人生は、何一つとして、自分の予想通りにも、計画通りにも進んではきませんでした。

しかしイエス様は、予想通りに行かなくても、計画通りに行かなくても、喜びをもって旅を続ける力を、resilience を私に与えてくれました。

試験に苦しめられている皆さんにも、イエス様にあるresilienceが与えられますように。