
12月14日(火)中高礼拝 説教 マタイ 11:2-11
今日の話は、バプテスマのヨハネを中心に展開していますが、本当の主人公はイエス様です。
イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受けて、彼の神の国の運動に加わりました。ところが、ある時点で、バプテスマのヨハネと訣別します。そして、まったく新しい、独自の神の国の運動を展開しました。
イエス様は「私につまずかない人は幸いである」と言っていますが、実際には、すべての人がイエス様に躓きました。
バプテスマのヨハネの弟子たちも、ユダヤ人社会の指導者たちも、そしてイエス様の弟子たちも、みんなイエス様に躓いたのです。
すべての人がイエス様に躓いた原因は、彼が述べ伝えた神の国にあります。
バプテスマのヨハネの神の国は、悪人が神様に滅ぼされることで到来します。それは、戦争で敵を全滅させることに成功したときに、自分と自分の仲間たちだけが喜び楽しむ、「戦勝記念パーティー」です。
ところがイエス様の神の国には、「善人」も「悪人」も招待されてしまいます。「善人」と「悪人」が、一緒に祝宴の席について、そこに招かれた人々が全員、食卓に仕える者となるとき、イエス様の神の国は到来します。ここにこそ、躓きの原因があります。
生まれながらの私たちは、「悪人」が滅ぼされて、「善人」だけが集まるパーティーを喜びます。「善人」だけが集まるパーティーこそ素晴らしいと私たちが思うのは、私たちはいつも、「自分が正しい」と思っているからです。
どんな「悪人」でも、自分は「いい子」だ、自分はヒーローの側にいると思います。そして、自分が嫌いな人、自分が憎んでいる人は自動的に「悪人」として括られます。そして、その「悪人」が同じパーティーの場にいたら、「なんであいつがここにいるんだ!」と思うのです。
「なんでバットマンとジョーカーが仲良く食事をしているんだ!こんなことは許せない!バットマン、早くジョーカーやってしまえ!」心の中で、みんなそう叫びます。
私たちは誰も、「善人」も「悪人」も一緒に招待されるパーティーになど魅力を感じません。だから私たちはイエス様に躓くんです。ここに、今日の話のポイントがあります。
大事なのは、イエス様に躓かないことではありません。本当に大切なことは、イエス様に躓くことに躓かないことです。
みんなイエス様に躓くんです。彼に躓かない人は誰もいません。むしろ、イエス様に躓くことが必要なんです。
なぜイエス様に躓く必要があるんでしょうか?それは、私たちはイエス様に躓かないと、自分の信念と自分の正義を振りかざして暴力的になるからです。
自分の正しさを確信しているとき、人は自分の暴力性に気付きません。自分がバットマンだと思っている人は、自分が「正しくない」と見做した人を攻撃しているとき、自分の中のジョーカーに気づかないんです。
しかし、イエス様は私たちの中のジョーカーを暴きます。私たちの闇を照らします。
自分の中のジョーカーに気づいた時にはじめて、イエス様が語った、「善人」と「悪人」が一緒に食卓につき、そして食卓で給仕をする者とされる神の国が、福音、「良い知らせ」であることにも気づき始めます。
12月24日、土曜日の夕方5時と夜の8時に、この学校のすぐ近くの聖マーガレット教会で、9Lessons and Carolsというキャンドルサービスが行われます。
24日の夜10時と、25日の朝8時と11時には、クリスマス礼拝が行われます。
皆さん、ぜひお越しください。そして、イエス様に躓いてください。