降誕日 説教

2022年12月25日(日)降誕日

イザヤ 9:1-3, 5-6; 詩 96; テトス 3:4-7; ヨハネ 1:1-14

私にとってクリスマスの季節は、自分が闇の中にいた時のことを思い出すときであると当時に、心の中に希望が生まれたときでもあります。

私の子ども時代と少年時代にはあまり明るいところがなくて、全般に暗いんですが、その中でも中学3年のときは最も暗い時代でした。

もともと暗いのに、中学校3年で更に暗くなって人生が真っ暗になるのは、そのタイミングになると、自分の人生に「未来が無い」という現実を頭で理解できるようになると同時に、その現実を否が応でも突きつけられるからです。

中学3年になれば、普通の中学生はみんな、自分の進学先について、志望校について、考えるわけです。ところが私は、中学1年の2学期から不登校になって、中学2年になっても、週に1日とか2日しか学校に行っていません。

学校に行かずに何をしてたのかと思われるかもしれませんが、学校には毎日行かなくてもボクシング・ジムに毎日通っていました。ボクサーとして食っていこうと思っていました。

そんな生活をしていれば、どんな成績が待ち受けているか、皆さんも容易に想像できると思います。体育以外、すべて「1」です。家庭は崩壊しているし、親に経済力はないし、学業から完全に落ちこぼれているので、受験をして高校に進学するという「普通のコース」もない。

もう、本当に真っ暗で、光がどこにも見えなくて、どこに行ったらいいのか全然わかりませんでした。人生が暗闇に覆われて光が見えないことを絶望というのであれば、あの頃の私は絶望の中にいたと思います。

そのまま暗闇の中に放置されていたら、私は生き残れなかったと思いますが、私の暗闇に「光」をもたらしてくれる人が現れました。

それは、中学3年の夏休みの時に出会った、当時大学4年生だった日曜学校の先生でした。K Kという人です。

中三の夏休み中のある日曜日、あんまりにもやることが無くて、どうしたもんかと思っていたときに、ふと、小学校時代に無理やり行かされていた日曜学校のことを思い出しました。そして、暇つぶしに、日曜学校の先生たちを冷やかしに教会に行こうと思いつきました。

日曜学校が行なわれるている部屋の一番後ろの、端っこの席に、「誰もオレに近づくな、誰もオレに話しかけるな」というオーラを放ちながら座っていました。

日曜学校の先生の一人が私に気付いて、「あれ、重太郎くんじゃない?」と囁いたかと思ったら、先生たちの姿が見えなくなりました。後で聞いたところでは、誰が私に声をかけるか、作戦会議をしていたようです。

そのときに、気の毒なことに、私に話しかける役を押し付けられたのが、当時、中高生科の唯一の男の先生だった Kさんでした。

「中高生科の担当をしている Kといいます」と自己紹介をされた後、何を話したのか覚えていませんが、シャドーボクシングをやらされたのを覚えています。数ヶ月後に Kさんから、「もし日曜学校の最中に暴れ出したら、どうやって止めよう」と真面目に考えたと告白されました。

私は、一度だけ冷やかしに行って、もう二度と行かないつもりだった日曜学校に、続けて通うようになりました。

それは、端的に言えば、 Kさんが私のことを気にかけてくれていることがわかったからです。話を聞いてくれて、子どもだからとバカにもせずに、真剣に向き合ってくれました。そして、 Kさん自身がなぜ教会に来るようになったのか、なんでクリスチャンになったのかも聞かせてくれました。

こうして私は、 Kさんを通してイエス・キリストに出会うことになりました。 Kさんが、自分の受けたイエス・キリストという希望の光を私と分かち合ってくれたので、私も闇の中に希望を見出し、生き残ることができるようになりました。

世を照らすまことの光の到来を喜び、祝うこの朝、私が皆さんに知っていただきたいことは、教会の宣教は、単に「困っている人に手を差し伸べる」こととは違うということです。

困っている人に手を差し伸べることは大切です。飢えている人に食べるものを与えるべきです。親の虐待に苦しむ子どもを、親の元から引き離さなくてはありません。けれども、それだけじゃだめです。闇の中を生きる者には、光が必要なんです。

中学時代の私は、間違いなく困窮していました。中学を卒業する時の身長が170センチで、体重が38キロでした。今にして思えば、確実に栄養失調です。けれども、あのときの私に、ただパンが与えられただけでは、私は生きられませんでした。

光を持たない者は、絶望している者は、身体的に生きていても、方向感覚を失っています。どこに行ったらいいかわかりません。進むべき方向がわからないんです。ただパンを与えられていただけだったら、体がとりあえず生きていても、私は相変わらず、孤独と絶望との中に、暗闇の中にいたはずです。

Kさんは私を、イエス・キリストという光のもとに連れて行ってくれました。光に照らされてみて初めて、私は自分が闇の中にいるという現実を受け止められるようになりました。

 本当に闇の中にいる人間は、闇の中にいるという現実そのものと向き合えません。でも、その現実を認められないうちは、私たちは闇に囚われたままです。

イエス・キリストに出会ったからと言って、私の中から闇が消えたわけではありません。私はイエス様に出会った後も、今に至るまで、ずっと闇の中を歩いています。

でも、闇の中で生きていても、足元を照らす光があります。イエス・キリストという光が、進むべき方向を示してくれます。どこに向かって進んでいけばいいのかがわかります。

そして、もう一つ重要なことは、 Kさんが、教会の中に、私の居場所を作ってくれたことです。私には家族もなく、家と呼べるようなものもなく、学校も私の居場所にはなりませんでした。居場所のない私に、 Kさんは教会という居場所を作ってくれました。

教会の宣教はもともと、相互性を前提としています。イエス・キリストが述べ伝えた神の国は、すべての者が仕える者となることで、結果的に、すべての人が支えられるような共同体です。

ですから「ケアを提供する側、される側」というモデルを前提とした「宣教」は、教会の宣教として根本的に何かがおかしいということになります。

教会の宣教の働きは常に、孤独、絶望、困窮の中に置かれた人たちと、闇を照らす光、イエス・キリストを分かち合うことと、互いに支え合うことで互いに支え合う共同体の中に招くことの両輪で前進していくものです。

世の闇を照らすまことの光の到来を共に喜び、祝う皆さん、どうかすでに皆さんが受けたこの希望の光を、孤独、絶望、困窮の中に置かれた人々のもとに携えて行ってください。

そして彼らを、互いに支え合うことによって互いに仕え合う共同体を作り上げる働きに招いてください。