1月11日 中高礼拝 説教

1月11日(水)中高礼拝 説教 マタイ 3:13-17

今読んだのは、イエス様の洗礼に関するマタイ福音書のエピソードですが、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けたことを記しているのは、4つの福音書の中で2つだけです。それはマルコの福音書と、先ほど読まれたマタイの福音書です。

イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けたことは、紛れもない歴史的事実です。恐らく、紀元後の26年か27年のことだと思われます。

日本語で「洗礼」と訳されているもとの言葉はギリシア語の ‘βαπτιζω’ で、水の中に「浸す」とか、「沈める」という意味の言葉です。

イエス様はバプテスマのヨハネから、「罪の赦しのためのバプテスマ」を受けて、水の中に沈められて、バプテスマのヨハネの弟子集団に加えられました。それは、イエス様が、バプテスマのヨハネが展開していた神の国運動のコミュニティーのメンバーとして迎えられたということです。

ところがイエス様は、あるとき、バプテスマのヨハネと袂を分かち、バプテスマのヨハネが展開していた神の国運動のコミュニティーを離れました。そして、バプテスマのヨハネが語っていた神の国とまったく異なる、まったく新しい、イエス様独自の神の国運動を開始しました。

皆さんが学んでいるこの学校はミッション・スクールですが、その事実は、今日の聖書の話と直接に繋がっています。

この学校は、イエス様がバプテスマのヨハネから分かれて、独自に始められた神の国の運動によって生み出され、その運動の一つの現れとして、今もここに存在しているのです。

この学校は、教育の土台にキリスト教を据える学校ですが、だからといって、皆さんが洗礼を受けて、教会のメンバーになることを強要されることはありません。

けれども、それは話の半分でしかありません。なぜなら、この学校は、皆さんが洗礼を受けようが受けまいが、皆さんをイエス・キリストに倣う者として育て、送り出すことをミッション、使命としているからです。

イエス様はバプテスマのヨハネから多くを学んだ後、師匠のもとを離れ、共に過ごした仲間たちを後に残し、新しい道を歩み始めました。それは、神様が与えた使命のためです。神様がイエス様に託された、神の国のメッセージを人々に告げ知らせるためでした。

この学校で学んでいる皆さんにも、同じことが言えます。皆さんは、ずっとこの場所に、仲間たちと留まっているわけではありません。この学校を後にし、仲間たちを後にして、新しい道を歩み始めるときが来ます。

ここを離れる時、何を自分に託された使命として見出すか。どの道を進むのか。それは皆さんの自由に任されています。

イエス様が示された神に従う生き方は、極めて自由です。目的地は自分で選びます。目的地までの道も自分で選びます。どのような手段で目的地に到達するのかも、自分で決めます。

イエス様と共に、神様に従う生き方に、マニュアルはありません。だからこそ、時には道に迷うこともあるはずです。

しかし、皆さんが道に迷った時には、この学校の教育の原点に帰ってください。

祈ってください。聖歌を歌ってください。聖書を開き、イエス・キリストのもとに帰ってください。

そのとき、きっと皆さんは、自分が一人ではないことに、気づくはずです。神様に愛され、神様の恵みの中で生かされていることに気づくはずです。

2023年も、神様の守りと導きの中で、喜びを持って歩むことができるように、共に祈りをささげましょう。