復活前主日 説教

4月2日(水)復活前主日

イザヤ 45:21-25; フィリピ 2:5-11; マタイ 27:1-54

私たちは再び、一年の中でもっとも居心地の悪さを感じる日曜日を迎えました。

イエス様がエルサレムに入る時、「ダビデの子にホサナ」と叫んで彼を迎えたその群衆が、数日後には「メシアと言われているイエスのほうは、どうしたらよいか」と問いかけるピラトに向かって、「十字架にかけろ」と叫んでいます。

棕櫚の典礼で始まるこの日の礼拝は、イエス様を十字架につけろと叫ぶ群衆に、私たち自身を重ねるように招いています。

「クリスチャンの自分が、イエス様を十字架につけろ!」なんて言うはずがない。そう思う方もあるでしょう。しかし、イエス様を十字架につけた、その力は、そのメカニズムは、今もなお世界の中心で働いています。それは教会の中でも力をふるっています。

ヘロデ大王の死後、イスラエルは傀儡王国としての地位を失って、ローマ帝国の直轄領となりました。かつての王国は4つの領域に分割され、ヘロデ大王の息子たちは、ローマ皇帝から統治を委託された領主となりました。

ローマ帝国によるイスラエル支配が強化され、民衆の抑圧と搾取と貧困化が進む中で、エルサレム神殿を中心とする社会体制の中心にいる人々は、自分の特権と利権を守ることに躍起でした。彼らの特権的地位とそれに伴う豊かさは、ローマと結託し、群衆を犠牲にすることで支えられていました。

今朝の福音書の中で、イエス様を十字架につけるよう群衆を扇動している祭司長、律法学者、長老は、本来であれば群衆の敵です。

彼らこそ、自分の特権と利権のために、ローマと結託し、民衆から搾り取り、彼らを抑圧し、担い切れないほどの重荷を負わせ、それを運ぶために指一本かさない人々です。

ところが群衆は抑圧者に扇動され、イエス様を十字架につけるために、重要な役割を果たします。

「権力者の側についていれば安全だ」という偽りの安心感と、「利権のおこぼれにあずかれるかもしれない」という打算が、抑圧者と非抑圧者との奇妙な同盟関係を生むのです。

ローマ帝国とイスラエル指導者とのいびつな関係は、現代のアメリカと日本の関係に、非常に良く似ています。

戦後、今日にいたるまで、日本を動かしているのは、日本国憲法でも、日本の法律でもありません。日本を動かしているのは「日米地位協定」と、その運用について月に2回のペースで行われている「日米合同委員会」と、そこで結ばれる密約です。

日米合同委員会は、過去60年の間に千回以上も開催されていますが、公開されている記録はA4用紙たった4枚という、完全なブラックボックスです。

例えば、日本の上空で民間の飛行機がどこを飛ぶことができるかを決めているのはアメリカ軍です。それも「日米地位協定」のためです。また、この協定は、アメリカ軍が日本のどこにでも基地を建設することができることを保証しています。

究極的には、日本の領土全体に対する最終的権限を持っているのはアメリカであって、日本ではありません。

「日米地位協定」と「日米合同委員会」とそこで結ばれる密約は、日本国憲法の上位にあります。日本の最高裁判所は、「高度な政治的問題」について、憲法判断をしません(砂川裁判)。それは、日本は法治国家として機能しえないということです。だからこそ、日本の政治家は、より正確には日本の政権政党の政治家は、憲法によって拘束されないのです。

戦後、自分の特権と利権のためにアメリカと手を結び、今日に至るまで国民を欺き続けてきた政党や政治家を、「国民の敵」と呼ぶべきでないとすれば、彼らをどう呼べばいいのか、私にはわかりません。

しかし、利権の分け前に与ろうとする群衆が、そのような政党と政治家の支配を支え、永続化させてきました。

そして、ここにも、「十字架につけろ!」と群衆に叫ばせた「力」が、抑圧する者とされる者、搾取する者と搾取される者との奇妙な同盟関係を生み出すメカニズムが働いているのです。

この国は今、確実に、戦争モードへと移行しています。現政権は、ウクライナでの戦争を口実に、軍事費を倍増させ、自衛隊とアメリカ軍との一体化を加速させ、アメリカの戦争を日本も戦うことができる体制を作り上げようとしています。徴兵制の導入まで、あと一歩もないでしょう。

政治家が軍事力強化に走るとき、必ず、愛国心や国を守る決意を国民に求めます。その流れに逆らおうとする者は、権力と彼らに擦り寄ることで自分を守ろうとする者たちから、「反日」、「非国民」、スパイ、異分子などと呼ばれることになります。

「反日」探しで最初に槍玉に上がるのは、間違いなく私たち、クリスチャンです。

教会が、私たちが、「反日」、「非国民」と呼ばれることを恐れ、忠実なイエスの弟子であることよりも、「普通の日本人」であることを求めるとき、私たちはもう一度、イエス様を十字架にかけることになります。

イエスを再び十字架につけた教会の行き着く先は、アメリカのトランプ大統領を支えた白人至上主義的教会であり、ウクライナでの戦争を正当化し、この戦争で死ぬことによってすべての罪が赦されると語るロシア正教会です。

イエスを再び十字架につけることのないように、2018年の5月、アメリカの教会指導者たちが発表した「イエスを取り戻す」(’Reclaiming Jesus’) と題されたビデオ声明の全訳を皆さんと分かち合って、今日の説教を閉じさせていただきます。

「全国の様々な教派、人種、ジェンダーに属する教会指導者として、私たちは、危険で二極化する時代を目の当たりにしています。

また私たちは、国の魂が、信仰の良心が危機に晒されていると見ています。私たちの国の指導者たちは、イエスの御名を悪用してきました。ですから私たちはこの宣言を掲げ、イエスの御名を取り戻そうとしているのです。

教会の指導者とし、謙虚に愛をもって真理を語ることは、私たちの義務です。しかし政治が私たちの神学を歪めるとき、私たちはその政治を検証しなくてはなりません。

それ故、私たちは信じます。人は皆、神のかたちに、神の似姿に造られており、人種に基づく差別意識は、神のかたちに対する野蛮な攻撃であると。

それ故、私たちは、政治中枢で指導的立場にある者たちも含めて、多くの場面で息を吹き返している白人民族主義と人種差別を拒否します。

また私たちは、私たちを分断する道具として人種を用いるいかなる教義も、政治的戦略も拒否します。

私たちは、私たちが一つの体であることを信じます。キリストの内に、人種、ジェンダー、アイデンティティー、あるいは階級に基づくいかなる抑圧もあってはなりません。

それ故、私たちは、私たちの国においても、教会においても、女性蔑視、女性に対する嫌がらせ、攻撃、そして虐待を、またこの罪を永続化する沈黙を拒否します。

私たちは信じます。私たちが貧しい者、外国人、病者、囚人をどう扱うかは、キリストご自身をどう扱うかということなのだと。

それ故、社会的にもっとも弱い立場に置かれた神の子どもたちを放棄する諸政策を、私たちは退けます。

私たちは、移民と難民に対して増え続ける攻撃を嘆き悲しみます。

私たちは、低所得家庭とその子どもたちを無視することを受け入れません。

私たちは、真理が私たちの人生における道徳的中心であると信じます。イエスは、真理は私たちを自由にすると約束されました。

それ故、私たちは、私たちの政治生活と市民生活を乗っ取ったすべての嘘を退けます。嘘の常態化は、公共社会に対する深刻な道徳的危険をもたらします。

私たちは、キリストのリーダーシップは仕えることにあり、支配することではないと信じます。

それ故、私たちは、民主主義と共通善を脅かす、独裁政治的リーダーシップに向かういかなる動きも、権威主義的統治も拒否します。

私たちは、すべての国民の中に入って行って弟子を作りなさいと私たちに言われるイエスを信じます。

私たちの教会は国際的共同体の一部なのですから、そのすべての住人を愛し、仕えるべきであり、一つの国が他の国々に優越することをまず求めるということがあってはなりません。

それ故、私たちは、「アメリカ第一」哲学を、神学的異端として退けます。

私たちは、私たちの国に対する祖国愛を共有していますが、私たちの国を他の国々の上に置く、外国人嫌悪や、特定人種に結びつく民族主義を退けます。

2千年前、イエスは主ですと告白することは危険な政治的行動でした。なぜなら、もしイエスが主であるなら、皇帝は主ではないからです。

2千年後、私たちはイエスの御名を—彼の聖く力強い御名を、自分たちの利益のために悪用し、振りかざす者たちから—取り戻そうとしています。

イエスは闇の中に輝く私たちの光です。このような道徳的危機の瞬間こそ、信仰を新たに告白する時です。

私たちと一緒に、あなたも、イエスの御名を取り戻しませんか?」

私たち聖マーガレット教会が、この宣言に心から「アーメン」と言える教会であることを、心から祈ります。

https://youtu.be/oheb3MplSHE