聖霊降臨日 説教

5月28日(日)聖霊降臨日

使徒 2:1-21; Iコリント 12:4-13; ヨハネ 20:19-23

今日はペンテコステですが、私たちクリスチャンはペンテコステを、イエス様が約束された助け主である聖霊が、弟子たちに与えられた日として祝います。

しかしイエス様と使徒たちの時代のペンテコステは、当然のことながら、ユダヤ教のお祭りでした。

ギリシア語の ‘πεντηκοστή’ は「50番目」という意味で、過越の祭りの始まりの日、ユダヤ暦のニサンの月の14日から数えて50日目がペンテコステです。

もともとは小麦の収穫祭ですが、このときにモーセによって神の掟である律法が与えられたことや、神とイスラエルの民との契約更新を祝うユダヤ人もいました。ですから、聖霊の授与とペンテコステの祭りとの間には、必然的な繋がりはありません。

今日の福音書朗読から明らかなように、ヨハネ福音書の著者が所属している教会では、聖霊は復活のキリストによって弟子たちに与えられたと理解されていました。

ギリシア語で「息」と「霊」と「風」は同じ言葉、 ‘πνεῦμα’ で、ヨハネ福音書の20章22節でイエス様が弟子たちに吹きかけた「息」が聖霊です。

新約聖書の中で、弟子たちに聖霊が与えられることと、ユダヤ人の収穫祭を結び付けているのは「ルカ」だけで、彼は明確な意図と目的を持って、ペンテコステの祭りを聖霊授与の舞台として設定し、聖霊降臨のドラマを書いています。

2週に渡って繰り返してきたことですが、ルカ福音書と使徒言行録は続き物です。一人の著者によって書かれた本の前半と後半です。ルカ福音書と使徒言行録において、聖霊は神の御心を遂行する力であり、聖霊は聖霊降臨の前から存在し、働いています。

聖霊はエリサベトの胎内にいるときからバプテスマのヨハネを満たし (1:15)、マリアの上に来てイエスをみごもらせ (1:35)、マリアの訪問を受けたエリサベトを満たして、マリアの胎のイエスを「私の主」と告白させます(1:41)。

ザカリアは聖霊に満たされて、エリサベトから生まれる子を主なるイエスに先立って道備えをする者と宣言し (1:67)、シメオンも聖霊に満たされて、イエスを「万民の前に備えられた救い」(2:25-27)と宣言します。

第一朗読の中で、聖霊を受けた弟子たちは、世界中に散らされて生活している離散のユダヤ人の故郷の言葉で話し出します。

この出来事は、エルサレムに生まれた教会が、パレスチナの境を超えて、さらにユダヤ人という民族の境を超えて、世界に広がっていくことを予め示す役割を担っています。

使徒言行録に描かれている教会の宣教拡大は、福音がイスラエルの民を超え出て、異邦人世界に広がってゆくプロセスです。しかしそれは、予め計画されていたことではありませんでした。

生前のイエス様の弟子たちは皆ユダヤ人ですし、復活のキリストの証人も皆ユダヤ人でした。そしてエルサレムに生まれた教会のメンバーも、皆ユダヤ人でした。

彼らはユダヤ人以外の人々にイエス・キリストのことを伝えようなどとは思ってもいなかったので、異邦人宣教の計画もありませんでした。そのことは使徒言行録11章19節にはっきりと書かれています。

「19 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。」

ここからもわかるように、新たに生まれた信仰共同体としての教会も、外国人がメンバーになるということを、まったく想定していませんでした。

しかし想定していないことが起こり始めました。

エルサレム教会の人々の多くは、迫害を逃れるためにエルサレムを出て、難民生活をしなければならなくなりました。難民となって散らされていったキリストの弟子たちは、避難先の街や村で、同胞のユダヤ人に福音を告げようとしました。しかし迫害を逃れて逃げ延びた新天地でも、同胞のユダヤ人に対する宣教は、それほど大きな成功を収めることはありませんでした。

ところがユダヤ人に向けて語っていた福音を、そこに居合わせた外国人たちも聞いていて、それを同胞ではない異邦人が喜んで受け入れるという現象が起こり始めたのです。これはユダヤ人クリスチャンにとってまったく想定外の出来事であり、大きな謎であり、そして大きな衝撃でした。

イエス様と使徒たちの時代、神を畏れ、聖い生活を目指す敬虔なユダヤ人たちは、外国人と接触することを徹底的に避けていました。イエス様を救い主として信じるエルサレム教会のメンバーは皆ユダヤ人でしたから、この外国人嫌いを他のユダヤ人たちと共有していました。

そのような中で、同胞のユダヤ人に向けて語っている福音を外国人が聞き、それを受け入れるということが起き始めのです。

外国人との接触を徹底的に避けて来たユダヤ人の信仰共同体の中に、福音を受け入れた外国人を仲間として迎える。それはとてつもなく大きなチャレンジであり、生まれたばかりの教会は、嵐の中に投げ出された小舟のように、揺れに揺れたことでしょう。

ルカは、使徒言行録の冒頭に位置付けられた聖霊降臨の出来事と、弟子たちが多くの言葉で語り出すことを結びつけることで、福音がエルサレムから出て、ユダヤ人という民族の境も超えて語られ、教会が多民族共同体となったのは聖霊の働きだと言っているのです。

エルサレムから世界に広がった教会は、多民族難民共同体です。多民族難民共同体としての教会に、複数の言語を話す、複数の民族がいるのは当たり前のことであり、教会の健康にとって必要不可欠なことです。

11時からの礼拝で行われる(た)多言語聖書朗読は、そのことを見える形で示す証です。

単一民族しかいない教会は、教会として病んでいます。ナチス政権下、ドイツの教会がユダヤ人を追放した結果何が起きたのか、私たちは知っています。

ロシア人の、ロシア人による、ロシア人のための教会が、ウクライナで行われている帝国主義的戦争を全面支援していることをも、私たちは知っています。ロシア正教会の司祭たちは前線にいる兵士たちのもとを訪れて、「できるだけ多くのウクライナ人を殺すように」と「励まし」続けています。

歴史の中で、教会はしばしば「舟」として描かれてきました。ノアの時代に大洪水があったとき、方舟に入ったノアとその家族だけが救われたように、教会という方舟に入った人々だけが救われるのだ。それが、教会を舟として描いた人々の理解でした。

しかし私は、教会は方舟というよりは、むしろ聖霊の風が運ぶところへと向かって旅をするヨット、セイリングボートなのだと思うのです。

次の停泊地がどこになるのかは、予め決まっているわけではありません。教会は聖霊の風の流れを読んで、次の停泊地を決め、この風に運ばれて航海し、たどり着いた港に錨を降ろして停泊しますます。

しかし、風の向きが大きく変わり始めたら、再び錨を上げて、次の寄港地に向かって舟を出します。次に、いつ、どこにむかって航海することになるのかはわかりません。それは聖霊の風向き次第です。

この不確定性に満ちた聖霊の働きこそが、多民族難民共同体としての教会を生み出したのであり、その中にこそイエス・キリストの命が生きているのです。

願わくは、聖霊の力によって聖マーガレット教会がこの地に遣わされた多民族難民共同体として成長し、神の国の豊かさと平和を世に示すことができますように。