






7月23日(日)聖霊降臨後第8主日
知恵 12:13,16-19; ローマ 8:18-25; マタイ13:24-30,36-43
今朝、第2朗読で読まれたローマの信徒への手紙8章の中で、パウロは死について語っています。しかも、私たち一人ひとりに平等にやって来る死、命あるものの死だけではなくて、世界全体の死について語っています。
パウロは、被造物は虚無に服し(20)、滅びへの隷属状態にあり(21)、呻きながら産みの苦しみを味わっていると言います。
私はこの箇所を読むたびに、パウロは一体どこから、このような世界観を学んだのだろうと不思議に思います。
現代の物理学者たちは皆、宇宙が「死に定められている」ことを知っていますが、熱力学の法則を知らない2千前のパウロが、なぜ被造物が虚無に服し、滅びへの隷属にあると知っていたのか。大きな謎です。
しかしパウロはここで、世界の運命について、そして私たちの運命について、より重要なことを語っています。パウロは、この世界が、つまり全宇宙が、産みの苦しみを味わっており、「希望」をもって「解放と自由」の実現のときを待っていると言います。
世界が産みの苦しみを味わっている、解放の時を待っている。それが現しているのは、今のこの世界は、世界のあるべき最終形、理想形ではないという現実です。
世界が未だに完成していないが故に、そこに生きる私たちは、苦しみ、悲しみ、嘆き、呻くのです。世界はまだ、あるべき姿になっていないので、そこにはまだ完全な平和も、完全な喜びも、完全な自由もなく、むしろ不条理が溢れています。
私たちの苦しみ、悲しみ、嘆き、呻きの根源にあるもの。それが死です。死に定められているが故に、私たちは嘆き、悲しみ、呻きます。世界も死に定められているが故に、私たちと共に、嘆き、悲しみ、呻いています。
しかしパウロは、世界は滅びへの隷属から解放される時を、希望を持って待っているのだと言います。そして、ここにこそキリスト教という信仰のcoreが、核心があります。
キリスト教という宗教は、「死が最後の言葉を握っているのではない」ということを信じているのです。
被造物の内側から私たちの人生を、そして全宇宙の運命を見れば、私たちの人生も、この宇宙の存在も、まったくの無意味に見えます。なぜなら被造物の内側から見るとき、「死」が最後の言葉だとしか思えないからです。
私たちの命は、どんなに寿命が延びたとはいえ、たかだか80年から90年、どんなに長くても100年で終わりを告げます。私たちの直接の祖先、homo sapiens が登場したのはわずか19万5千年前です。138億年前に巨大なエネルギーの膨張として始まり、今なお無限の膨張を続ける宇宙の歴史の中で見れば、人類の存在は、取るに足らない、大海の小さな気泡に過ぎません。
ところが無限の膨張を続ける宇宙も、熱力学の第二法則に抗う、どんな力も存在しないとすれば、いつか必ず死を迎えます。
死が最後の言葉を握っているのであれば、1979年にノーベル物理学賞を受賞したスティーヴン・ワインバーグ(Steven Weinberg) と共に、こう嘆くしかありません。
「宇宙についての理解が進むほど、宇宙はますます無意味になっていくようだ」(Dreams of a Final Theory: The Search for the Fundamental Laws of Nature, 1993)。
しかし教会はパウロと共に、ワインバーグの言葉に抗ってこう言います。「人生も、世界の存在も、無意味じゃない。天地創造の業が完成される時、世界は死の力から解放されるんだ!死ではなく、命が最後の言葉なんだ!」と。
「イエス・キリストの復活の体」、それは神が私たちに与えてくださった、「死が最後の言葉ではない」ことの保証です。
イエス・キリストの復活の体に希望を置き、命が死にうち勝つことを信じるとき、私たちは神が始め、今も続けておられる天地創造の業のために、神と共に働く者とされます。イエス・キリストが私たちに与えられた、「神の国を指し示すコミュニティーとなる」という使命は、天地創造の働きに参与することそのものです。
それは、天地創造の業が完成するときに現れるであろう完全な平和と、完全な喜びと、完全な自由のforetasete、前味を、死に定められたこの世界で示すことです。
そのためには、私たちは良い麦を撒き、育てることに徹し、自ら毒麦を引き抜こうとする誘惑に抗わなくてはなりません。
世界を創造された愛なる神は、イエス・キリストを死から甦らせ、復活の体をもって弟子たちの前に現してくださった。だから私たちは、「明日は来る」「暗い夜は必ず明ける」という希望を持って生きることができるのです。
この希望によって、良い麦を撒き、育て、天地創造の業に参与する働き人として、主が私たちを成長させてくださいますように。
