







7月30日(日)聖霊降臨後第 9 主日
I列王 3:5-12; ローマ 8:26-34; マタイ 13:31-33,44-49a
今日の福音書朗読の中には、神の国について語る5つの短い例え話が隠れています。今朝は2つ目の例え話、パン種を素材にして神の国について語る例え話を中心にお話をいたします。
皆さんの中に家でパンを焼く方がおられれば、きっと日常的にイースト、パン種をお使いになられているでしょう。ちなみに、私が初めてパン種を実際に扱ったのは、中学校3年のときのことでした。中3の冬休みに、知人が経営しているレストランの厨房で、1週間お手伝いをすることになり、そこで、ピザの生地を作るという経験をしました。
小麦粉にイーストを混ぜて、いわゆるパン生地のピザの土台を作ったんですが、そのとき初めて、パン種が生地を膨らませるという現象を目の当たりにしました。そのあまりの膨らみっぷりに、非常に驚くと同時に、「こんなに膨らむものなのか!」と感動を覚えました。
それ以前にも、自分で揚げドーナツを作るときに、baking powderを使うことはちょくちょくあったんですが、膨らむのは生地を油で揚げるときだけで、膨らむと言っても、鍋からはみ出すほどにドーナツが巨大化するなんてことはありませんでした。
ところが、直径10センチちょっとの玉っころだったパン生地を、巨大なボールの中に入れて、「これっぽっちの生地を入れるのに、こんなに大きなボールを使うなんて大袈裟だな~」なんて思ったのも束の間!生地はあれよあれよという間に膨らんで、ボールから溢れ出すほどになったので、空気を抜いてボールに収めるという作業を、何度も繰り返しました。
生地を大きく膨らませるパン種の力に、大いに驚ろかされたわけですが、イエス様が今日の箇所で、「パン種」を引き合いに出して神の国の話をしているというのは、実は、さらに驚くべきことなんです。
イエス様の時代の人々は、パン種がパン生地を膨らませるプロセスを、遺体が腐敗するときに膨れ上がる現象と重ねて見ていました。つまり遺体が腐敗する過程でパンパンに膨張するのと同じように、パン種が生地を腐敗させるからパン生地が膨らむんだと考えられていたんです。
そして、イエス様の時代のユダヤ人たちは、人々の間で「汚れの連鎖」を引き起こす、いわば霊的「汚染源」と見なされた人や、その教えを、「パン種」と呼んでいました。ですから、「パン種」という言葉が、肯定的に使われることは、まったくありえませんでした。
このことはは新約聖書の中でも確認できます。Iコリント5章6節から8節で、パウロはこのように語っています。
「僅かなパン種が生地全体を膨らませることを、知らないのですか。新しい生地のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、私たちの過越の小羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない純粋で真実なパンで祭りを祝おうではありませんか。」(Iコリント 5:6-8)
ここでパウロが、当時のユダヤ人の日常的言語使用に従って、「パン種」という言葉を、霊的汚染源、汚れの起源を意味するものとして使っていることは明白です。
福音書の著者たちも、同時代の慣用にならって、自分たちが対立している人々や、その教えを、「パン種」と呼んでいます。マタイ、マルコ、そしてルカ福音書の中には、イエス様が敵対者のことを「パン種」と呼んでいる場面があります。
しかし、敵対者を霊的汚染源と見做して「パン種」と呼んだのは、恐らく、イエス様ご自身ではありません。それは福音書の著者たちが、あるいは著者たちが所属していた共同体が、イエス様に言わせていることです。
マタイでも、マルコでも、ルカでも、「ファリサイ派」だけが、一貫して「パン種」呼ばわりされているのは、紀元後70年のエルサレム神殿崩壊後、教会はユダヤ教の主流派となったファリサイ派と対立していたからです。
パン種呼ばわりされている人たちの中に、マタイはサドカイ派を加え、マルコはヘロデを入れています。マタイはファリサイ派とサドカイ派の教えを「パン種」としているのに対して、マルコはファリサイ派の人々とヘロデ自身を、つまり人間を「パン種」と見なし、ルカはファリサイ派の「偽善」を「パン種」としています。
ところがイエス様は、絶対に肯定的な意味で用いられることのなかった「パン種」という言葉を、神の国について語るために用いました。繰り返しになりますが、イエス様の時代のユダヤ人も、福音書が書かれた時代のユダヤ人も、「パン種」という言葉を、肯定的な意味で使うことは無かったんです。
だからこそ、「天の国は、パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの小麦粉に混ぜると、やがて全体が膨らむ」という短い例えは、確実に、歴史上のイエスに遡ると言えるのです。
もちろんイエス様自身はギリシア語を話しませんでしたから、マタイ福音書のギリシア語のセンテンスを、そのままイエス様が発したとは言えません。けれども、ここに記録されている例えは、イエス様自身が語った言葉の内容を、忠実に再現しているとは言えるのです。
3サトンは約42リットルで、3サトンの小麦粉(約22.7kg)は、大体100ローフ、切り分ける前の大きな塊のパン100個の分量にあたるそうです。100ローフのパンは、祝宴としての神の国のイメージとも非常に良く合っています。
しかし、この「パン種」の例えが、直前にある「からし種」の例えとペアになって語ろうとしている一番のポイントは、神の国は目に見えないほど小さなものから、人に気づかれないほどわずかなものから始まって、とてつもなく大きなものへと成長するということです。
33節で「混ぜる」と訳されているもとのギリシア語は、‘ἐγκρύπτω’ という言葉です。これは ‘encrypt’ という英語の語源です。’Encrypt’ という言葉は、主に computer science や information science の領域で、「データを暗号化する」という意味で使われます。その名詞形は ‘encryption’ です。
しかし ‘ἐγκρύπτω’ というもとのギリシア語の文字通り意味は、「中に隠す」です。
33節でイエス様が言っていることを直訳すると、こんな感じになります。「女はパン種を取り、42リットルの小麦粉の中に隠した。その全体が膨らむまで。」
大量の小麦粉の中に、ごくわずかのパン種が隠されると、もはやパン種をパン種として識別することはできません。パン種は文字通り、大量の小麦粉の中に隠れて、見えなくなります。しかし、パン種は見えなくとも、パン種の存在は、その働きを通して、生地が大きく膨らむことによって、誰の目にも明らかになります。
同じように、この世界には、すでに神の国のパン種が隠されています。
神の国のパン種を取って、世界の中に隠した女、それは神ご自身です。神が世界の中に隠されたパン種、それがイエス・キリストです。
イエス・キリストというパン種こそが、神が創造された世界を、神の国へと成長させるのです。
願わくは、神の国のパン種であるイエス・キリストが、私たち聖マーガレット教会を、神の国の現れとして大きく膨らませてくださいますように。
