








8月20日(日)聖霊降臨後第12主日(A年)
イザヤ 56:1,6-7; ローマ 11:13-15,29-32; マタイ 15:21-28
今朝の福音書朗読の物語は、マルコ福音書7章24節から30節がもとになっているんですが、マタイ福音書版のイエス様は、マルコ版のイエス様よりも、はるかに嫌な感じです。
「主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」。そう懇願する外国人女性を、マタイ版のイエス様は、完全に無視します。
さらに、弟子たちがこの女をさっさと追っ払ってくださいと願うと、イエス様はこう言い放ちます。「私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」。ここでも外国人の女性は無視されたままです。
それでも構わず「助けてください!」と叫ぶ女性に対して、マタイ版のイエス様も、マルコ版のイエス様の言葉を反復します。「子どもたちのパンを取り上げて犬どもに投げるのは良くない」、と。
そこまで言われてもなお、彼女は食い下がります。「はい、主よ、そのとおりです。でも犬たちだって、(彼らの)主人のテーブルから落ちるパン屑は食べます」と。
驚くべきことに、イエス様はこの言葉を聞いて、「お前の信頼/信仰は見上げたものだ」と、外国人女性の徹底的な自己卑下を称賛します。そして教会も、この外国人女性の徹底的自己卑下を、「謙遜」、「粘り強い信仰」などと呼んで賞賛してきました。
でも私は、教会はもう、外国人女性に対するイエス様の態度を弁護することも、信仰の名によって彼女の徹底的な自己卑下を称賛することもやめるべきだと思います。
なぜなら、今朝の福音書朗読の中に表されているイエス様の態度は、イエス様の態度ではないからです。では、そこに現れているのは何でしょうか?
それは、マタイ福音書の背後にある教会の、この福音書を書いた人が所属していた教会の、外国人に対する態度です。
紀元後の30年ごろ、復活のイエス・キリストが弟子たちに現れて、エルサレムに教会という新しいユダヤ人共同体が生まれました。
ところが全く予定外のことでしたが、迫害を受けて外国に逃れ、そこで同胞のユダヤ人に向けて語りかけた福音を、外国人たちが受け入れるという奇妙なことが起こり始めました。その結果として、外国人を受け入れる教会も現れ始めたのです。
しかし外国人を教会のメンバーとして受け入れるか、受け入れないか、どのような条件で受け入れるかということについて、共通の理解があったわけではありませんでした。教会ごとに、外国人メンバーの受け入れに対する態度は、大きく異なったのです。
マタイ福音書が書かれた時代には、すでに多くの教会で、ユダヤ人と非ユダヤ人のメンバー数は逆転していました。
特に、パウロの宣教活動によって生まれた教会では、大多数が異邦人で、ユダヤ人が少数派となっていました。
ところがマタイ福音書の背後にある教会は、メンバーの大部分がユダヤ人の教会でした。恐らく、非ユダヤ人メンバーは、ほとんどいなかったでしょう。
しかし、マタイ福音書の教会は、大きなジレンマに直面してもいました。彼らは、一方で、「ユダヤ人」というアイデンティティーを維持することを強く願っていました。
しかし、ナザレのイエス自身が、「汚れている」とみなされている人たちと共に食事をし、外国人とも接していたので、外国人を徹底的に拒否するというわけにもいきませんでした。
そもそも、21節に出てくるティルスとシドンという街は、フェニキアという外国の街です。そこでは、イエス様の方が外国人なわけです。
けれども、マタイ福音書の教会は、外国人の受け入れに、極めて消極的でした。
その結果、教会の中に、ラグビーのTier制度のような状況が生まれました。ユダヤ人は「主人」メンバーで Tier 1, 外国人は「犬メンバー」で Tier 2というような感じです。
このことは、マタイ福音書のサマリア人に対する扱いを見てもわかります。ルカ福音書やヨハネ福音書には、サマリア人に対する肯定的な描写がいくつもあります。
しかしマタイ福音書は、十二弟子を派遣する場面で、「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない」(マタイ10:5)とイエス様に言わせているだけです。
ここ以外に、サマリア人は出てきません。サマリア人に対する肯定的な言葉は、一切ありません。マタイ福音書の中には、教会の中で、ユダヤ人の優越性を維持しようという意図が、明確に現れているんです。
しかし、それは、イエス様の生き方にも、彼の教えにも相容れないことです。
すでに触れたように、イエス様は汚れた者と聖い者との境界線を否定し、汚れていると見なされた人たちの仲間として生き、外国人とも接していました。
そのためにイエス様は、「律法に従って歩まない汚れた者」として、主流派のユダヤ人から退けられたのです。
家柄や、国籍や、出身校や、職業にかこつけて、ある人たちが他の人たちよりも「優れている」というような話が教会の中で出てきたとするなら、それはイエス様を否定することです。
そのような過ちに陥らないためには、私たちクリスチャンは、マイノリティーとして生きることを学ぶ必要があります。
「マイノリティーとして生きる」ということは、数の問題ではありません。それは多数派になり、主流派になることによって、自分が「力」を得ようとする誘惑に抗って生きるということです。
1世紀の教会は、主流派のユダヤ人社会に受け入れてもらえなくなり、マイノリティーとなる経験をしました。
それを通して、以前は「敵」としてしか見ることのできなかった民族や、国民や、集団の中に、自分たちと同じ「人」を発見することができるようになりました。
マイノリティーとして生きることを通して、隔ての壁が取り払われたのです。
最後に、私たち家族の経験をお話しして、今日の説教を閉じさせていただきます。
私たちがスコットランドのアバディーンに住んでいた時、近所にChurch of Scotlandの教会がありました。ちなみにChurch of ScotlandはAnglicanではなくて、Presbyterian、長老教会です。そこで毎週、曜日は忘れてしまいましたが、playgroupがありました。Playgroupというのは、nurseryに入学する前の子どもたちを集めて遊ばせるプログラムです。そこに私の伴侶が、一番下のMを連れて通っていました。
Playgroupには子どもの親も集まりますから、当然のことながら、そこで親同士の交流もあります。ところが、伴侶は唯一のジア系で、なおかつ英語が苦手だったこともあって、初めのうちはplaygroupに行っても、誰も話しかけてくれなくて、ポツンとしていました。しかし、playgroupに通い始めて、ひと月経ったか、経たないかの頃だと思うんですが、彼女が嬉しそうに、「playgroupで友だちができた!」と教えてくれました。
伴侶に話しかけてくれたのは、Eというポーランド人の女性でした。彼女も数年前に、夫のMと共にスコットランドに引っ越してきて、最初はほとんど英語ができずに、非常に苦労したようです。きっと、自分も大変な思いをしたからでしょう、Eはポツンとしている伴侶に声をかけて、彼女のbroken Englishに忍耐強く付き合って、そして自分の家に呼んでくれるようになりました。
その後、私たちと彼女の家族とは非常に親しくなって、家族ぐるみで交わりを持つようになりました。月に1, 2回は必ず、それぞれの家に集まって食事をしたり、出かけたりしました。彼らとの家族ぐるみの付き合いを通して、さらにスロバキア人の家族とも親しくなりました。異国の地で、マイノリティーとして生きることを通して、私たちはかけがえのない友と出会うことができたのです。
願わくは、マイノリティーとして生きることを学ぶことによって、私たちの中にある隔ての壁が打ち壊されますように。
そして、ますます多くの人たちを、聖マーガレット教会の交わりの中に迎えることができますように。
