
9月13日(水)
中高放送礼拝 マタイ 18:15-20
今読んだ箇所には、マタイ福音書の教会が、コミュニティーの中で問題が起こった時に、それをどう解決しようとしたのかが書かれています。
「すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるように」という言葉は、旧約聖書の申命記から取られています。
マタイ福音書の教会は、メンバーが皆ユダヤ人だったので、旧約聖書のルールに従って問題を解決しようとしました。
私たちの人生はいろんな問題に囲まれています。だからこそ、次から次にやってくる、大小様々な問題を、なんらかの形で解決しながら生きる、そのスキルを身につけることが重要になります。
「今、私にとって最大の問題はこの目の前のテストなの!チャプレンの話なんか聞いてる場合じゃ無いの!」きっと、そう思っている人も少なくないでしょう。
でも、ぜひこのことだけは覚えていてください。
皆さんがたとえ、試験で良い点を取れなかったとしても、それは人生の終わりじゃありません。逆に、試験で思い通りの点を取れたとしても、それが成功や幸せを約束するわけでもありません。
私たち一人一人はuniqueな存在です。一人一人が違います。
ですから、得意なこともあり苦手なこともあり、いろんな凸凹を持っている一人一人が、喜びと希望をもって生きていけるということが大切です。
私には、中学校時代も高校時代も、テストでの成功体験はまったくありません。学業的に言えば、私は完全な失敗者です。それでも今はどうにか、毎日小さな喜びを見出しながら、それなりに幸せに生きています。
今、中3の私の娘は、中学に入ってしばらく経ったときから起立性調節障害で苦しむようになり、ほとんど学校に行けていません。
ADHDと軽い学習障害のある3番目の息子は、今年中学生になりましたが、特別支援学級に通っています。彼は小学校時代から、「他の子たちと同じようにする」ということが、とても苦手でした。
学校と学校で出されるテストが、人生で直面する問題の全てであったなら、私も、私の娘も、支援学級に通う三男も、生きていけないということになります。
でも、そうじゃありません。学校もテストも、それなりに大切かもしれませんが、そこでうまくいかないことが、人生にとって取り返しのつかない問題になるわけでもありません。
一人一人が、あなた自身が、喜びと希望をもって生きていける道を見出せれば、それでいいんです。
学校やテストが、あなたの人生を決めるわけではありません。
そのことを確認した上で、皆さん、どうぞ目の前の問題をやっつけてください。
