聖霊降臨後第16主日 説教

9月17日

聖霊降臨後第16主日(A年)

シラ 27:30-28:7; ローマ 14:5-12; マタイ 18:21-35

今朝の福音書朗読は、先週の日曜日の福音書朗読の直後の箇所です。

前主日のマタイ18章15節から20節には、教会からメンバーを追放する際の手続きが記されていました。

あるメンバーが他のメンバーから危害を加えられたり、あるいは損害を被ったなら、一人か二人のメンバーを証人として立てるように。

それでも解決しないなら、問題を共同体全体の問題として取り上げるように。それでも加害者が開き直って、問題解決のために必要な行動を取らない場合、その人を共同体から追放するように。そう語られていました。

しかし今日の箇所は、7の70倍まで、490回までということではなくて、無制限にゆるすようにと命じています。

教会が神の国を指し示す共同体として歩んでいくためには、正反対で相容れないように見えるこの二つのことが、同時に必要なのです。

イエス様は今日の例え話を通して、「自分はゆるされる必要なんかない」と思っているが故に、ゆるすことを知らない人間の問題を示しています。

イエス様はここで、私たちが日々の生活の中で神から受けている恵みや祝福を、借金として描き出しています。

この物語に登場する王は神であり、1万タラントンの借金は、私たちが神から受けているすべての恵み、天の銀行から引き出して使ったもののすべてです。

1万タラントンは15万年分の賃金であり、イエス様の時代にガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスが、ローマ帝国に収めていた上納金の15年分です。

日本が在日米軍関係費として支出している金額の15年分と考えると、優に15兆円を超える額になります。

私たちが日々の生活のために天の銀行から引き出して使ってきたものは、もし借金として請求されたなら、絶対に返すことなどできない。そうイエス様は言うのです。

ところが私たちは、100万円の借金をゆるせません。100万円という額は、痛みを感じる額です。少なくとも私にとっては、「ちょうだい」と言われて、「はい、どうぞ」と言えるような額ではありません。かといって、時間をかければ、返済が不可能な額でもありません。

しかし自然のままの私たちは、忍耐を持って、貸した相手が借金を返すのを待つことができません。ゆるすことができないのです。

なぜなら、生まれながらの私たちは、自分が返済不可能な借金をゆるされて生きていることに気付いていないからです。

私たちは、自分がされた嫌なことには敏感で、自分が人に対してしている嫌なことには鈍感です。

ですから私たちは、イエス・キリストの弟子として、教会という共同体の中で生きることを通して、自分もゆるされ、ゆるさなくてはならない存在だということを学ぶ必要があります。

けれどもこの時代は、「自分もゆるされなくてはならない」という現実に向き合うことが、極めて難しい時代でもあります。

これまで、社会の中で隠され続けてきた虐待や性的暴力などの問題が明るみに出るようになった。それは無条件に喜ぶべきことです。

しかし、自分を被害者にすることによって、あるいは自分はハラスメントを受けている側だと主張することで、自分を守ろうとしたり、あるいは自分の要求を通そうとすることが、新たな処世術となっている現実もあります。

日頃から差別主義的な言動を繰り返し、人権侵害を繰り返しているような政治家が、自分の問題行動を批判されると、「人権を侵害された」と主張して弱者のふりをする。それは、政治の当たり前の光景になりました。

教会でも、そこに集っている人たちに不快感を与えるような言動を繰り返し、共同体を内側から壊すような行動をしている人が、「ハラスメント」という言葉を盾に取って、自分自身のハラスメント行動を正当化するような事例が増えています。

マタイ福音書の教会と、私たちの時代の教会とでは、問題の現れ方は相当大きく違っています。

だからこそ、教会は、それぞれの時代に、それぞれの場所で、共同体の内部で起こる問題を解決するための方法を、新たに見出す必要があります。

教会は、誰に対しても開かれ、誰もが歓迎される共同体であることを目指しています。しかし教会には、いえ、教会にも、それを受け入れなければコミュニティーのメンバーとして迎えることができない、絶対的な価値があります。

それは主イエス・キリストに倣って、互いに仕える者として生きることであり、言葉や行いによってこれを否定する人を、教会は受け入れることができません。

この夏には世界中で森林火災や洪水が起こり、気候変動の現実は、誰も無視することのできないところまで来ました。

先週は北アフリカのリビアで大洪水が発生し、1万1千人を超える人々の命が奪われました。

快適な生活のために化石燃料を燃やし続けて気候変動を引き起こし、貧しい国々の人たちを犠牲にしている私たちは、1万タラントンもの借金を帳消しにされながら、100デナリの借金を返せない同僚を牢屋にぶち込んで苦しませる僕と重なりはしないでしょうか?

神が創造された世界を、正しく管理せずに、自分の豊かさと快適さのために破壊してきた私たちは、絶対に返すことのできない借金を神に負っている存在ではないでしょうか?

私たちは、神の前に積み上がった借金を返すことはできません。しかし、自分がゆるされた存在であることに気付いたなら、私たちは、100タラントンの借金の故に苦しむ人々の苦しみを、自分の苦しみとして感じることができるようになるのではないでしょうか。

聖霊の息吹が、今日、私たちがゆるされた者として生かされていることに気づかせてくれますように。