










10月8日(日)聖霊降臨後第19主日(A年)
イザヤ 5:1-7; フィリピ 3:13-21; マタイ 21:33-43
先日の金曜日、ChatGPTに、歴代興行収入トップ10の映画は何かと聞いてみました。
2021年9月までのデータに基づいてということで、10本の映画のタイトルが答えとして返ってきました。その10本中4本はスーパー・ヒーローもので、すべてがAvengersシリーズでした。第2位 Avengers: Endgame, 第5位 Avengers: Infinity War, 第8位 The Avengers, 第10位 Avengers: Age of Ultronです。
そして残り6本の内5本も、正義の味方と悪者が明確に分かれて、正義の見方が悪者をやっつける系の映画でした。第4位 Star Wars: Episode VII – The Force Awakens, 第6位 Jurassic World, 第7位 The Lion King (2019), 第9位 Furious 7です。
ちなみに皆さん、第1位には何が入っていると思いますか?James Cameron監督のAvatarです。
興行収入第1位から第10位に入っている映画で、正義が悪を滅ぼす系でない映画は、第3位に入っている「タイタニック」(Titanic 1997)のたった1本でした。
ここまでの話を聞きながら、大ヒット映画とキリスト教に何の関係があるんだろうと思われるかもしれませんが、実は大いに関係があります。
旧約聖書の時代の人々も、新約聖書の時代の人たちも、悪が滅ぼされる物語が大好きでした。それは、今、この時代に生きる私たちも同じです。
私たちは、自分が聞いたり、読んだり、あるいは見ている物語の中で、悪が滅ぼされる時に、最も鮮烈な喜びを感じます。
悪者が正義の味方に滅ぼされる物語が、大ヒット映画の10本中9本を占めていることも、そのことを端的に表しています。
物語の中で悪が滅ぼされる時に大きな喜びを感じる。時代が変わっても、場所が変わっても変わらないこの普遍的な好みが、どのような神のイメージを描くかに、大きく影響します。
人は敵が滅ぼされるところに、神を見出すんです。いや、むしろ、敵を滅ぼす力を神とすると言った方が正しいかもしれません。
旧約聖書の中で、戦いの中で敵を滅ぼすことが、神の命令に従うことだと見なされるのは、敵を滅ぼす力が神とみなされているからです。
この路線は、掟を守ることが、神の命令に従うこととみなされることにも繋がります。なぜなら、掟は神が与えられたものであり、掟に従うことは、悪を退ける道だと考えられているからです。そして、神からの祝福は、悪に対する戦いに勝利した者に与えられる報いと見なされるのです。
しかし、イエス様が示された神のイメージは、このパターンから大きく外れていました。いや、むしろ、イエス様が語った、善人にも悪人にも恵の雨を注がれる神というのは、この普遍的なパターンを転覆させるものでした。
ところが、イエス様が転覆させたはずのものが、イエス様が捨てたはずのものが、あっという間に教会の中に舞い戻ります。私たちは、今日の福音書朗読の中に、それを見ているんです。
今朝の福音書朗読の物語は、allegoricalな、寓喩的な物語です。寓喩的物語というのは、物語の登場人物や舞台設定の背後に、別の何かが隠されている物語です。
33節の「ある家の主人」は「神」で、「ぶどう園」は「神の民」としてのイスラエルであり、ぶどう園を貸りている「農夫たち」はユダヤ人です。収穫を受け取るために家の主人が遣わす「僕たち」は、旧約聖書の預言者たちであり、農夫たちに殺されてしまった主人の「息子」はイエス・キリストのことです。
悪人ども、すなわち農夫たちが酷い目に遭わされて殺され、きちんと収穫を収める他の農夫たちにぶどう園が貸し出されるというのは、紀元後70年のエルサレム神殿の崩壊を表しています。
つまり、マタイ福音書の教会は(も)、旧約聖書の中で繰り返し現れるパターンに従って、ローマ軍によってエルサレム神殿が破壊されたのは、神が教会の敵を滅ぼしたということだと理解したのです。
こうして教会も、敵が滅ぼされるところに神を見、敵を滅ぼす力を神としたわけです。
イエス・キリストを退けたユダヤ人は神の敵となり、神の国は彼らから取り上げられて、異邦人に与えられることになった。先週の日曜日に予告した通り、今週の福音書朗読箇所でも、教会に敵対する主流派のユダヤ人を神は見捨てたという主張が繰り返されていることがわかります。
今日の福音書朗読の物語から見る限り、マタイの福音書の教会が描く神の姿と、イエス様を十字架にかけた人たちが思い描いていた神の姿は同じです。敵を滅ぼす力、それが神です。
福音書の中には度々、イエス様のことを理解しない、あるいは誤解する弟子たちの姿が描かれていますが、先週から来週の日曜日までに福音書朗読で読まれる物語は、福音書を書いた人たちでさえ、イエス様のことを理解できなかったり、誤って理解していたことを示しています。
イエス・キリストが示された神の姿を見失わないためには、敵の滅びの中に神を見る誘惑に抗うことが必要です。
敵の滅びの中に神を見ないということは、教会を迫害し、クリスチャンを殺そうとする人たちに対して、何の抵抗もせずに、されるがままでいるということではありません。
教会も敵と戦います。しかし教会は、教会を迫害する者たちと同じように戦っちゃダメなんです。
生まれながらの私たちは、敵を滅ぼしたいと思います。敵の滅びの中に、神を見たいという誘惑は強力で、決して無くなることはありません。
だからこそ、私たちは毎主日の礼拝の中で、私たちの主は、敵を滅ぼすことを放棄したsuper heroだったことを思い出します。
そして、イエス・キリストを死から甦らせ、弟子たちに現された神は、善人にも悪人にも恵を注がれる神であることを確認するのです。
願わくは、私たち聖マーガレット教会が、敵をやっつけないsuper hero、イエス・キリストに倣い、善人にも悪人にも恵みを注がれる慈しみ深い神を世に証しする群れとされますように。
