聖霊降臨後第21主日 説教

10月22日 聖霊降臨後第21主日(A 年)

イザヤ書 45:1-7; Iテサロニケ 1:1-10; マタイ 22:15-22

2020年の10月18日は、今日と同じ特定24の主日でした。その日、私は説教の最後の方で、こうお話をしました。

「悪の力が、この世の支配者を通して、人々の生活のあらゆる領域を脅かすときが必ずやって来ます。それは周期的にやって来ます。身の安全のために、あるいは自分の利益のために、私たちが権力者にこびへつらうとき、私たちは間違いなく、神に背を向け、暗闇の支配を受け入れることになります。」

あれから3年後の今、「その時がやって来た」と感じています。

ウクライナでの戦争の出口もまったく見えない中で、今度はパレスティナのガザで、もう一つの巨大な悪が姿を現しました。

先週、10月17日、ガザのアル・アーリ・アングリカン・エピスコパル病院 (Al Ahli Anglican Episcopal Hospital in Gaza) がイスラエル軍の戦闘機によって爆撃され、500人以上の人が命を落とし、300人以上の人が負傷しました。

イスラエル当局は、イスラエル軍が病院を爆撃したことを否定するために、ガザのイスラム過激派が放ったロケット砲が病院に落ちたかのような説明をし、アメリカのバイデン大統領までそれに追随しました。

しかしアル・アーリ病院に対する攻撃は、間違いなく、イスラエル軍によるものです。

エルサレム・中東エピスコパル教会の Hosam Naoum 大主教は18日に記者会見を開き、10月14日の土曜日から16日の月曜日まで、連日、全員を病院から退避させるようにとの警告をイスラエル軍から受けていたと明らかにしました。

病院の運営母体であるエルサレムのエピスコパル教区は、イスラエル軍による病院への攻撃を激しく非難する声明を発表しました。その一部をお読みいたします。

最も強い言葉で、エルサレムのエピスコパル教区は、ガザの中心で起こったこの凶悪な攻撃を非難します。

当初の報告は、無数の命が失われ、人道に対する犯罪行為としか表現し得ない様子を伝えています。国際人道法の原則によって、病院は不可侵の保護区域と定められています。

ところがこの攻撃は、不可侵の境界線を踏み越えています。

私たちは、医療機関の安全を保障し、退避命令を取り消すよう求める Justin Welby 大主教の声に耳を傾けてきましたが、残念ながら、ガザは安全地帯の無い状態で取り残されています。

私たちが目にしている破壊行為は、人間の品位や良識そのものに対する攻撃であり、冒涜的なことに、教会すらも攻撃対象としています。

これは国際的非難と裁きに値すると私たちは断言します。

緊急要請が国際社会を動かし、市民を保護し、同様の非人道的なおぞましい行為を繰り返させないという義務を果たすこととなりますように。

ところが、エルサレムのエピスコパル教区がこの声明を出した後も、西洋系メディアがイスラエルを非難するような報道はまったくなされませんでした。

それどころか、アメリカはイスラエル軍のガザに対する攻撃を後押しするために、武器と弾薬を追加供給し、中東諸国の介入を牽制するために空母を派遣しています。

アメリカ、ドイツ、フランス、イングランドでは、パレスティナの人々との連帯を表明する大規模なデモを政府が鎮圧し、イスラエルを批判する人々が、逮捕、投獄されています。

ロシアで、ウクライナへの軍事侵攻を批判する人たちが逮捕され、投獄されたように、ヨーロッパやアメリカでも、同じことが起きているのです。

悪の力が、この世の支配者を通して、人々の生活のあらゆる領域を脅かしている現実に向き合いながら、私たちは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」というイエス様の言葉を聞く必要があります。

イエス様はここで、「皇帝のものは皇帝に返せ」と言っているのでありません。「あなたがたが、それは皇帝のものだと言うのなら、皇帝に返したらどうか」と言っているのです。

ナザレのイエスは、神が造られた世界に、皇帝に属するものがあるとは思っていませんでした。

彼が宣べ伝え、自分の業をもって到来させていると信じていたのは神の国です。彼は、すべては神のものだと信じていました。イエス様にとって、神に属さないものなどありませんでした。

ところがこの世を支配する者たちは、神に属しているものを、自分のものだと主張します。

神に属するものを、自分のモノだと主張するとき、そこに神に敵対する力が働きます。それは新約聖書の中で、サタンでとか、ベルゼブルとか、悪魔と呼ばれています。

自分を通して神の国が到来しているとイエス様が言う時、彼は、世界は自分のモノだと主張するこの世の支配者から、世界を神のものとして取り返しているのだと信じていました。

イエス様の宣教活動の前に置かれている「荒野の誘惑」の物語は、この世で支配者になろうとすることは、悪魔と手を組むことであり、イエス・キリストはそれを拒否したことを教えています。

なぜ、この世で支配を求めることが悪魔と手を組むことなのか。それは、この世で支配を確立し、その支配を維持するのが暴力(軍隊の力)だからです。

そして、ナザレのイエスは、悪魔と手を結ぶことを拒否したために、悪魔と手を結んで支配者となった者たちによって、十字架につけられて殺されるのです。

イエス・キリストの十字架は、悪の力の最も完全な現れであり、この世の神の勝利宣言です。

しかしこの世の神、サタンに見捨てられ、十字架の上で殺されたナザレのイエスを、愛であり、慈しみ深い神は、死から甦らせました。

本来、私たちクリスチャンは、この世の支配は、悪魔と手を結んだ者が繰り広げる茶番だということを、他の誰よりも知っていなければなりません。

ところが教会は、「荒野の誘惑」に負け、この世の支配者の側にいることによって、自分たちの影響力を大きくしたいと望むようになりました。

その代償は、とてつもなく大きなものでした。この世の神と手を結んだ教会の中で、反ユダヤ主義という癌は成長を続け、ホロコーストとして爆発します。

さらに、この世の権力との癒着を当たり前のことと見なす教会が、「シオニズム」を生み出しました。1897年にTheodore Herzlが創設した「世界シオニスト会議」に先立って、大英帝国と結びついたアングリカンのクリスチャンたちが、シオニズムを生み出しました。

中でも決定的な役割を果たしたのは、先週お話をした、キリストが再臨する前にイスラエル国家が再興されるという「聖書解釈」を展開した John Nelson Darby と、1909年にオックスフォード大学出版から出版された『Scofield引照付き聖書』です。

キリストが再臨する前にイスラエル国家が再興されるという聖書解釈は、Lord Shaftesbury, Lord Palmerston, David Lloyd George首相、Lord Balfourといった、大英帝国の政治中枢にいた人々にも共有され、その政策決定に重大な影響を与えました。

Theodore Herzlは、友人であったアングリカンの司祭、William Henry Hechlerからシオニズムを学び、世俗的政治プロジェクトとして展開させたに過ぎません。

近代国家としてのイスラエルは、他のすべての近代国家と同じように、悪魔と手を結んだ者たちによって生み出されたのであって、神が建てたのでもなければ、その上に神の特別な恵みが注がれているわけでもありません。

しかしアングリカンの教会が生み出したシオニズム的聖書解釈が、イスラエルという国家に、あらゆる犯罪行為を正当化するための武器を与えることになったのです。

神の国の平和を作る者となるために、私たちは反ユダヤ主義とシオニズムという二つの病に対する癒しを必要としています。

願わくは、この世で支配者となる誘惑を退けたイエス・キリストが、私たちを癒し、反ユダヤ主義とシオニズムという二つの病から、私たちを解放してくださいますように。