12月13日 高校礼拝 説教

12月13日(日)高校礼拝 説教 マルコ 1:1-8

「罪の赦しを受けるために洗礼を受けよ」というバプテスマのヨハネの宣言は、「主の日」の到来の宣言と結びついていました。

当時、ユダヤの人々は、「主の日」が来れば、憎きローマ帝国と、ローマ帝国の手先になって自分たちを痛めつけ苦しめているユダヤ人指導者たちが、滅ぼされると思っていました。

神に逆らう者たちにとって滅びの日である主の日に、自分まで神の怒りにふれて滅ぼされることがないように。そう願って、人々はバプテスマのヨハネの呼びかけに応えて、洗礼を受けたのです。

バプテスマのヨハネの言葉に説得力があったのは、その時代の政治的現実が闇であり、多くの人々が闇の中で希望の光を探していたからです。

それはイスラエルの暴力に直面するガザ状況と、パレスティナの人々の叫びと重なります。

皆さん、ぜひパレスティナで起きていることに目を向けてください。そこには、私たちが目を背けてきた現実があります。

それは、この世界の政治が、嘘と偽りと隠蔽の上に立っているという現実です。

それは、政治家個人がどれほど善意の人であっても、正義感があっても、決して避けることのできない闇の力です。

今、パレスティナのガザでイスラエルが行なっている虐殺行為は、この世の政治という闇の剥き出しの姿なのです。

アメリカと西洋諸国の政治家とメディアは、執拗にハマスの「テロリズム」を引き合いに出して、イスラエル軍によるパレスティナ人の虐殺を弁護しています。

それはあたかも、長年に渡って夫のDVに苦しんできた女性が、殴る蹴るの暴行を加える夫を突き飛ばして怪我をしたら、DV夫を擁護して、暴力に苦しみ続けてきた女性を死刑にするようなものです。

パレスティナ人の75%以上もの人々が、「2千年前、自分たちの先祖はここに住んでいた。だからここはオレたちの土地だ」と主張する者たちによって、家から追い出され、土地を奪われ、家族や友人を殺され、難民となり、そして今、虐殺の危機に直面しています。

パレスティナ人が直面している現実には、1ミリの正義もありません。そこにあるのは、この世の政治の闇だけです。

遠回りに見えても、抑圧されている人々の解放ために、私たちにできること、いえ、私たちがするべき最も重要なことは、自分の闇を認めることです。

そして、私たち自身の闇を認め、私たちの闇に寄生するこの世の政治の闇に気づくことです。

その時に始めて、イエス・キリストの光が私たちの足元を照らし、ゆくべき道を示してくれます。

私たちがキリストと呼ぶナザレのイエスは、この世の政治の闇によって、十字架の上で殺されました。

しかし、神はこのイエスを甦らせ、この世の闇を照らすまことの光とされました。そして、この光の内に、死を打ち破るまことの命があることを示されました。

深い闇の中で迎えているこのクリスマスの季節に、まことの光であるキリスト・イエスが、皆さんの心の闇を照らし、進むべき道を示してくださいますように。