




12月24日(日)9Lessons and Carols
今年もいよいよ、クリスマスの時を迎えようとしています。最初のクリスマスから、既に2千年以上もの時が流れたというのに、私たちは今もなお、イエス様が降って来られた闇の中に留まっています。
イエス様が降ってきた闇、それはローマ帝国とその傀儡であったヘロデ家、そしてエルサレムの神殿貴族によって生み出された政治的、経済的、宗教的現実です。
支配者たちは権力と特権を維持するための制度を作り上げ、それ維持するためとあれば、幼い子どもさえも容赦なく殺害します。
民衆は抑圧され、貧しさの中で打ちひしがれ、病に苦しみ、抑圧と不正に抵抗し、正義を求めて立ち上がる者たちは、虫ケラのように殺されていきました。
それこそイエス・キリストが降ってこられた時代の、パレスティナ世界の闇でした。
そして今、同じ闇が、幼な子イエスがお生まれになった、まさにその場所で、ポッカリと口を開いています。
10月7日以降、国際法の専門家たちが ‘textbook case’「教科書通りの事例」とまで呼ぶパレスティナ人に対する虐殺行為が、私たちの目の前で繰り広げられています。
2ヶ月半の間に1万人の子どもを無差別に殺害する行為を、「自衛」と呼んで擁護する者たちが支配する世界に、私たちは生きています。
そして今年は、クリスマスの街で、クリスマスが祝われません。クリスマスの街というのは、今日の第6朗読、第7朗読、そして第8朗読に出てきたベツレヘムという街です。
この街には、例年であれば、世界中から多くの人々が訪れ、大々的にクリスマスが祝われます。
しかし今年は、クリスマスを祝うすべての礼拝が中止となり、ベツレヘムは深い闇の中に閉ざされたままクリスマスの時を迎えます。
今年、ベツレヘムにある福音ルーテル・クリスマス教会では、破壊し尽くされたガザの様子を象徴する瓦礫の山の中に、イエス様の降誕の場面を表す nativity sceneが置かれました。
パレスティナ人男性が頭に巻くカフィエと呼ばれる布に包まれた幼な子イエスが、瓦礫の間に寝かされていますが、マリアとヨセフはいません。
その周りには羊飼いと、東方の占星術の博士たちがいますが、瓦礫に阻まれて、イエス様に近づくことができません。
この nativity scene の写真は、ベツレヘムですべてのクリスマス礼拝が中止になったというニュースと共に世界中を駆け巡りました。
ムンデール・イサーク (Munther Isaac) 牧師は、実際にガザで殺されている子どもたちよりも、この nativity scene が注目されていることに困惑します。
私たちの前に現れた、ブラックホールのような闇は、クリスマスの意味について改めて問うようにと私たちに迫っています。
闇を照らすまことの光、平和の君、イエス・キリストは、幼な子として世に来られました。
飼い葉桶の中に寝かされたイエス様は、ヘロデ王の兵隊たちを蹴散らす力を備えた、スーパー・サイヤ人ではありませんでした。
彼は自分で自分の身を守ることもできない、無力な、ただの乳飲み子でした。
しかし神様は、無力な赤ちゃんをこの世に遣わすことによって、ローマ帝国の支配と、傀儡の暴君ヘロデ大王の支配に抗って、本当の平和を作る道を、私たちに示されました。
自分で自分を守ることのできない幼な子が命の危険に晒されているとき、その命を何とか守りたいという強い想い。それこそが平和を作る道と結びついています。
東方の占星術の博士たちも、羊飼いたちも、飼い葉桶の中に置かれた乳飲み子のもとで膝をかがめました。
しかしそれは、強大な軍事力をチラつかせて人々を支配する権力者に対する服従の態度とは大きく異なります。
マリアも、ヨセフも、羊飼いたちも、東方の博士たちも、闇を作り出す者によって命を狙われている無力な幼な子を憐れみ、慈しみ、目の前の命を守りたいと思いながら、イエス様の前で膝をかがめています。
闇の力によって簡単に破壊されてしまう、傷つきやすい命を慈しみ、憐れむ心。
それこそ、イエス様がもっとも大切にしたものです。憐れみと慈しみの心が人々を動かし、人々を結びつける時、そこにこそ、本当の平和が生まれます。
抑圧に抵抗する人々を軍事力によって鎮圧することを「平和」と呼ぶ人たちが、平和を作り出すことができません。
それは、更なる戦争の種を撒くことでしかないからです。戦争と戦争の間に、本当の平和は生まれません。
4年前、戦争で荒廃したアフガニスタンで、人々の平和な暮らしを回復するために働き続けた中村哲さんという方が凶弾に倒れました。彼に同行していて5人のアフガン人も犠牲となりました。
中村さんは、西南学院中学3年のときに洗礼を受けたクリスチャンで、精神科のお医者さんでした。
彼は初め、パキスタンとアフガニスタンで、医療支援の働きに携わっていました。
しかし戦争で荒廃したアフガニスタンの土地で、「いくら薬をつぎ込んでも飢えや渇きは治せない」ことを痛感します。
人々が生きていくたためには食糧が必要です。食料を作るするためには水が必要です。
そこで中村さんは、用水路と井戸を建設する事業を立ち上げ、東京ドーム約3500個分にあたる、約1万6千5百ヘクタールの土地を潤し、60万の人々がその恩恵を受けるようになりました。
更に中村さんは、アフガニスタンの村人のために、イスラム教の礼拝所、モスクと、聖職者を養成するためのマドラサと呼ばれる神学校を建設しました。
彼は、アメリカの帝国主義によって破壊されたアフガニスタンの人々の暮らしを、イエス様が宣べ伝えた神の国の平和の力によって回復しようとしました。
中村哲さんは、マタイ1章23節の言葉が大好きでした。
「「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。」この言葉です。
中村さんは、本当の平和について、このような言葉を残しています。
「平和には戦争以上の力があります。そして、平和には戦争以上の忍耐と努力が必要なんです。」
クリスマスの物語は、ロマンチックな物語ではありません。それは暗闇の中で悶え苦しむ人々に贈られた、神からの希望のメッセージです。
今日、ここに共に集われた皆さん、闇の力によって消されようとしている小さな命を哀れみ、慈しみ、守るために、自分にできることを探し、共に働く仲間を探してください。
遠回りに見えても、そこに本当の平和を作る道があります。
この夕べ、お一人お一人の心に、世の闇を照らすまことの光が灯りますように。
