降誕日第1聖餐式 説教

12月24日(日)降誕日第1聖餐式

イザヤ 9:2-7; 詩編 96; テトス 2:11-14; ルカ 2:1-20

私は毎年、降誕日の第1聖餐式からは、「クリスマスおめでとうございます」という言葉で、礼拝を始めます。そして、降誕日の聖餐式の説教も、同じように、「クリスマスおめでとうございます」という言葉で始めます。

しかし今年は、「クリスマスおめでとうございます」と言うことに、大きな戸惑いがあります。

ご存じの方も多いと思いますが、今年、クリスマスの街として知られる、パレスティナのベツレヘムでは、すべてのクリスマスの礼拝が中止になりました。

クリスマスの街ベツレヘムには、毎年、世界中から多くの人々が訪れ、大々的にクリスマスを祝う礼拝が行われます。

しかし今年は、ベツレヘムのすべての教会が、クリスマスを祝う礼拝を中止することを決定しました。クリスマスの街は深い闇の中で、クリスマスを祝うことなく、クリスマスの時を過ごすのです。

一人のパレスティナ人クリスチャンの女性は、ベツレヘムから、私たちにこう訴えかけています。

「私たちパレスティナ人クリスチャンは、世界中のクリスチャンに失望させられています。これは、彼らに対する私たちのメッセージです。ガザで行われている残虐行為から目を逸らし続けるなら、クリスマスをう祝う意味はありません。私たちは、地上で最も古いクリスチャン・コミュニティーであり、これからもパレスティナに留まり続けます。その私たちからの正義を求める叫びとして、この年、私たちはクリスマスを祝うことを中止しました。」

パレスティナの人々の叫びを聞きながら、このクリスマスをどのように迎えるべきか。そう考えながら、アドヴェントの期間を過ごしてきましたが、答えの出ないまま、この日を迎えました。

一つだけ確かなことは、私たちも、パレスティナの地にポッカリと口を広げた巨大な闇の中で、クリスマスの意味を再発見しなければならないということです。

今、福音書朗読で読まれた箇所は、降誕劇でお馴染みの箇所です。

ルカはここで、当時の社会の中で最底辺に置かれた、最も貧しい人たちに焦点を当てながら、当時に、闇の創造者たちの存在を明らかにしています。

2章1節から7節までは、全体として極めて弁証論的な箇所です。

住民登録は徴兵と徴税のために行われるので、住んでもいなければ、帰るかどうかもわからない出生地に戻って住民登録をするということはありえません。マリアとヨセフは、居住地であるナザレで住民登録をしているはずですし、イエス様の出身地はベツレヘムではなく、ナザレのはずです。

イエス様が生まれた頃、メシアの到来を期待していたユダヤ人たちは、メシアはダビデの子孫で、ダビデの出身地であるベツレヘムから出てくると考えていました。

ルカ福音書の著者と、マタイ福音書の著者は、メシアの出身地はベツレヘムでなくてはならないと思っている人たちへの弁明のために、それぞれ別の方法で、イエス様をベツレヘム生まれにすることにしたのです。

しかし、7節にはマリアとヨセフとイエスの経済的現実が映し出されています。

「宿屋には彼らの泊まる所がなかった」という部分は、原文のギリシア語では「宿に彼らの場所は無かった」、あるいは「宿に彼らのための場所は無かった」となっています。

私たちは降誕劇を通して聖書のテキストを読む癖があるので、宿の部屋が全て埋まっていて、マリアとヨセフは家畜小屋に泊まることになったと思い込んでいます。

しかし、恐らくこの箇所は、マリアとヨセフは部屋代を払えないから、宿屋に泊まれなかったと言おうとしているのだと思います。

ルカはこの直後の箇所で、マリアとヨセフが、初子の聖別のいけにえとして、一つがいの山鳩か二羽の家鳩を献げようとしていたと書いています。山鳩と家鳩は、いけにえとして献げる動物の中で、もっとも安い動物でした。

ルカが、マリアとヨセフをイスラエル社会の最底辺に置かれた、貧しい夫婦として描いていることは確実です。

ルカはさらに、イエス様誕生のエピソードに続く8節から20節のエピソードの中でも、貧しく、取るに足らない者、忘れられた存在に焦点を当てようとしています。

ルカは、救い主の誕生の知らせを聞く最初の人として、羊飼いたちを選びます。

羊飼は、単なる職業ではありません。彼らは、ローマ帝国からも、イスラエル社会からも忘れられた存在です。羊飼いたちは、住民登録の対象になりませんでした。彼らはローマ帝国にも、イスラエルにも、存在しないことになっている人々なんです。

しかも羊飼いたちが夜通し、寝ずに世話をしている羊たちは、彼らのものではありません。羊飼いたちは、資産家の財産管理を任された、最低賃金請負い労働者です。

羊の世話を任された羊飼いたちは、律法の掟に従って生活することなどできません。彼らは羊のリズムに合わせて、羊と一緒に生活をしているわけですから、毎日決まった時間にお祈りをするとか、週に何回断食をするとか、安息日には仕事をしないなんてことは、できっこないわけです。そのために羊飼いは、律法に従って生活をしない、汚れた、神に呪われた存在とみなされていました。

その羊飼いたちが、世界で最初のクリスマス・パーティーのゲストとして、神ご自身によって招かれた、そうルカは言うのです。

マリアとヨセフ自身も、そして、生まれたばかりのイエス様のもとを訪れた羊飼いたちも、ザカリアの賛歌に歌われる「暗闇と死の陰に座している者たち」であり、マリアの賛歌における低い者、飢えた人です。

ルカが、ローマ皇帝アウグストゥスとシリア州総督キリニウスに言及しながら、イエス様誕生の物語を始めるのは、彼らこそ、人々を飢えさせ、暗闇と死の影の中に座らせる張本人だからです。

ルカは、この世の支配者が生み出す暗闇と死の影の中で、悶え、苦しみ、虫ケラのように命を奪われる人々を、神が解放しようしておられることを私たちに告げます。

神は、貧しい夫婦のもとに生まれた、誰の子かもわからない幼な子によって、「暗闇と死の陰に座している者たち」を照らし、「低い者」を引き上げ、「飢えた人」を良いもので満たすことにした。そう言うのです。

神の解放の業は、貧しくされている者たち、この世の支配者たちによって忘れ去られ、存在しないかのように扱われている人たちの中から始まりました。

願わくは、世界によってその苦しみを忘れ去られていたパレスティナの人々の中で、この日本の社会の中で存在しないかのように扱われている人々の中で、神の救いの業が続けられますように。

ここに集う私たち一人ひとりが、暗闇と死の陰に座している者たちに、イエス・キリストの希望の光を携えていく者とされますように。

世を照らすまことの光、平和の君のご降誕、おめでとうございます。