顕現後第3主日 説教

1月21日(日)顕現後第3主日

ヨナ書 3:1-5, 10; Iコリント 7:29-31; マルコ 1:14-20

2022年のクリスマスの翌日、アングリカンの偉大なクリスチャンが世を去りました。それは南アフリカ聖公会で初のアフリカ系大主教となったデズモンド・トゥトゥ (Desmond Tutu) という人です 。

 (なぜか日本では、だれかが彼の名前を「ツツ」と呼んで、そのまま使われ続けていますが、そんな名前の人はいません。どこかの誰かが、聖路加国際病院のことを「せいろか国際病院」と呼んで、ず~っとそのままになっているのと同じようなことです。)

 トゥトゥ大主教は、南アフリカのアパルトヘイト体制と戦い続け、「南アフリカの道徳的羅針盤」と呼ばれました。

 アパルトヘイトというのは、少数派である白人の裕福で贅沢な暮らしを支えるために、人口の8割を占めるアフリカ系の人々を奴隷のように扱い、有色人種を二級市民とする政治制度で、1994年まで続きました。

アメリカを筆頭に、民主主義を標榜する西洋諸国は、南アフリカのアパルトヘイト体制を擁護し、アパルトヘイトに抵抗するアフリカ系の人々のことを、「テロリスト」と呼んで非難してきました。

 アメリカ政府は、トゥトゥ大主教と並んで、アパルトヘイトに対する抵抗運動を指揮してきたネルソン・マンデラを、2008年までテロリスト監視リストに加えていました。

 日本ではほとんど話題になりませんでしたが、昨年の12月29日に、ガザのパレスティナ人に対する虐殺の罪で、南アフリカが、イスラエルをハーグの国際司法裁判所 (ICJ) に提訴しました。

 トゥトゥ大主教が亡くなった2年後に、イスラエルのアパルトヘイト体制の下で抑圧され続け、イスラエル軍によって虐殺されているパレスティナの人々のために、南アフリカが立ち上がったんです。

 これは、私たちが歴史の大きな分岐点に立っていることを示す出来事です。

 1989年のクリスマスの時期、トゥトゥ大主教はエルサレムにいました。イスラエルが不法占拠する東エルサレムの聖ジョージ・アングリカン・カテドラルに彼が滞在していたとき、その壁には「黒ナチスの豚」と落書きがされました。

 トゥトゥ大主教は、南アフリカのアパルトヘイト体制を支える人種主義 (racism) も、イスラエルのアパルトヘイト体制を支えるシオニズム (Zionism) も差別主義だと気づいていました。

 至る所に置かれた検問所でパレスティナ人に嫌がらせをする若いイスラエル兵の姿は、南アフリカで反アパルトヘイト運動を弾圧する南アフリカ兵士の姿と重なりました。

 2014年に、イスラエル軍が50日間に渡ってガザに空爆を行い、2千人を超える人々が殺された時、南アフリカではイスラエルを非難する大規模なデモが起こりました。トゥトゥ大主教も、イスラエル政府を非難しました。

 すると、イスラエルのすることはすべて正しいんだと主張するシオニストという人たちが、トゥトゥ大主教をヒトラーとスターリンになぞらえ、「反ユダヤ主義者」として攻撃しました。

 しかしトゥトゥ大主教は、いつものように笑いながら、皮肉を込めて、こう答えました。

「イスラエル政府は危うい土台の上に立てられていて、政府に対する批判は直ちに『反ユダヤ主義』というレッテルを貼られます。アメリカでは、『間違っていることは、間違っている』と言うことを、人々が恐れています。イスラエル・ロビーが強いからです。確かに、彼らは非常に強力です。でも、だから何だというのでしょうか?そもそも、この世界は神様のものです。私たちは正しいことと間違ったことを識別すべき世界に生きているんです。(南アフリカの)アパルトヘイト政府は、非常に強力でした。でも、それはもはや存在しません。」

 「アパルトヘイト政府は非常に強力でした。でも、それはもはや存在しません。」

このトゥトゥ大主教の言葉は、今日の第1日課に出てきた「ニネベ」という街に、そのまま当てはまります。

 ニネベという街は、紀元前8世紀にオリエント世界に君臨した、アッシリアという大帝国の首都でした。

イスラエルはソロモン王の死後、南のユダ王国と北のイスラエル王国に分裂しました。北イスラエル王国は、紀元前722年に、アッシリア帝国 によって滅ぼされました。しかし無敵と思われた強力なアッシリア帝国も、紀元前612年に、新バビロニアによって滅ぼされました。

先ほど読んだ、ヨナ書3章5節と10節にはこう書かれています。

 「すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、大きな者から小さな者に至るまで粗布をまとった。10 神は、人々が悪の道を離れたことを御覧になり、彼らに下すと告げていた災いを思い直され、そうされなかった。」

アッシリア帝国は紀元前612年に消滅していますから、ここに書かれていることは、歴史的事実ではありません。ヨナ書は、バビロン捕囚後の紀元前5世紀後半から4世紀前半に書かれたフィクションです。

 しかし、この物語の中で、イスラエルを滅ぼした憎き敵であるアッシリアの人々が、神の憐れみを受けて滅びから救われたと書かれていることが重要なんです。

 ヨナ書は、ユダヤ人たちが、かつての敵であったアッシリアの人々を、もはや敵として見ていないことを示しています。

 神様の姿が、敵を滅ぼす神ではなくて、敵をも憐れみ、生かしてくださる神として描かれえたのは、ユダヤ人とアッシリアの人たちとの関係が変わったからです。

 ユダヤ人がかつての敵と、友として出会うようになったからこそ、神の姿が変わったのです。

 ここに、私たちがイエス・キリストから与えられている「和解」の使命を果たすための、とても大切なヒントがあります。

 ユダヤ人とアッシリア人が友として出会ったのは、捕囚の地、バビロンだったはずです。

アッシリアとイスラエル双方で抑圧的な体制が崩壊し、アッシリア人もユダヤ人も離散の地で、離散の地で生きていました。離散の地で寄留者として生きるということは、どちらも「支配者ではない」ということです。

一方が支配者であれば、もう一方は支配される者です。そこには敵対関係が生まれます。しかし、「支配しよう」という欲望から自由にされたとき、そこにこそ友としての出会いが生まれます。そこにこそ、和解の可能性が生まれます。

 イエス様が語られた神の国は、この世を支配する者たちの手から、人々を解放するところに現れます。

この世を支配する者はイエス・キリストに敵対し、神の国の到来を阻止しようとします。支配する人は、国は、あの国の人は味方だとか、あの国の人は敵だと私たちに言います。

 しかし大切なことは、私たちがイエス様の教えに従って、人として、人に出会うことです。

 人として人に出会う時、人と人は友だちになれます。友だちの輪が広がり、友好関係が築かれるところにしか、本当の平和は生まれません。

みなさん、世界中の人と、友として出会ってください。そして友だちの輪を広げることによって、平和を作る人になってください。