











顕現後第5主日 2024.2.4
+父と子と聖霊のみ名によって アーメン
シモン、後のペテロ、歴史上では初代ローマ教皇の姑が、イエス様によって癒されたという「癒しの奇跡」物語が今週の福音書として記されています。
確かに奇跡物語ではありますけれども、見ようによっては地味な出来事にも見えます。と言いますのは、この事件の前には、汚れた霊に取り付かれた男が解放されたという話が出てきます。そして、そこに描かれているのは、イエス様が「この人から 出て行け」と命じると、汚れた霊がその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行ったという衝撃的な事件です。それだけに、今日の話は地味とも、控え目であるとも言える気がします。
イエス様のなさった奇跡には、他にも、中風で寝たきりの人が癒された話、目の見えない人が見えるようになったという話、耳の聞こえない人が聞こえるようになったという話、死んだはずの娘が生き返ったという話などが幾つもある中で、「熱が下がった」という話は何ともタイプが大きく異なるような話に見えます。
では、なぜこのようなことが取り立てて書かれているのであろうか、他にも書けるような劇的な話はあったのではなかろうかという疑問も浮かびます。
恐らくこの出来事が書き残された一つの理由は、それが他ならぬ「シモンの姑」だったからかもしれません。
ちなみに、マルコによる福音書は、多くの部分をシモン・ ペトロの記憶に基づいて書かれたと言われていますが、即ち、ペトロが様々な場面で語った話が言い伝えられ主な資料として用いられただけに、当然、シモンの姑の癒しは、特別な出来事としてクローズアップされることになったとしても不思議ではありません。
けれども、考えられる理由はそれだけではなく、これはペトロの家にイエス様が来てくださったという話であればこそ、そのことはペトロにとって何よりも忘れがたい出来事であったに違いないとも想像できます。
更に遡りますと、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたイエス様は、シモンとシモンの兄弟アンデレは湖で網を打っていたのをご覧になって「私について来なさい。人間を捕る漁師にしよう」というイエス様の招きの話があります。すると、「二人はすぐに網を捨てて従った」とあるように、イエス様の呼びかけに彼らはすぐさま応えますが、網を取り敢えず片づけたのではなしに、「網を捨てた」という行動が意味するのは「漁師をやめた」「手放した」ということです。
しかも、それ程な大事なことを家族と相談せずに決めてしまいました。その時のことを後に、ペトロはイエス様に言っています。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と。それは同時に、彼らの選びでもあり、それを以て「どこまでもついて行きます」と従って行きました。
そして、イエス様に従って行きますと、まずイエス様が入って行かれたのは、安息日の礼拝が行われている会堂でした。勿論、ペテロたちも一緒でしたが、そこで目の当たりにしたのは、イエス様が権威をもって命じると汚れた霊が出て行き、人々は驚きのあまり「権威ある新しい教えだ!」と口々に言った事件でした。
そこにいたペトロやアンデレも、びっくり仰天したに違いありません。そして、心の内に思っても不思議ではなかったことでしょう。「この方についていくという決断は間違っていなかった!」「まさに権威ある新しい教えだ!」「私たちはどこまでもこの方について行こう!」と。
そして、弟子たちは興奮してイエス様に尋ねたことでしょう。「イエス様、次はどちらへ行かれるのですか?」と。すると、その行き着いた先がペテロの家でした。それだけに、ペテロにしてみたら、なんとイエス様が自分たちの家にお出で下さったことは、忘れられない出来事となったことでしょう。
しかも、何となくいらしたのではなく、熱を出しているペテロの姑の傍にイエスが行かれ、手を取って起こされことまでしてくださいました。
ちなみに、この「起こす」というこの言葉は、後に大事なイエス様の復活の場面で出てきます。同時に、それはキリストと共に葬られ、キリストと共に甦り、新しい命に生きるという洗礼の恵みを指し示すような出来事にも重なります。
そして、その後イエス様に癒して戴いたシモンの姑は、一同をもてなし始めます。この「もてなす」というのは、「仕える」という意味でもあります。つまり、シモンの家で起こった出来事は、イエス様に従った人シモンの家族がキリストによって復活の命に与り、キリストに仕える者とされていくことを現す出来事になっていきました。
更には、イエス様のなさったことは、シモンの家族の中だけで留まりませんでした。
福音書は、「夕方になって日が沈むと、人々は病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口 に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちを癒し、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。 悪霊はイエスを知っていたからである」
と続きます。このように、シモンの姑がキリストの恵みに与っただけでなく、多くの苦しむ人々、町中の人が、キリストの恵みに与ることへと広がっていきました。斯くして、ペトロの家には、更に多くの人がイエス様による癒しを求めて集まる場ともなっていきました。
けれども、幾らそうだからと言いましても、夕暮れに夥しい人が家に集まってきたら、その家族にとっては甚だ迷惑ともなります。しかし、イエス様は、そのようなことはお構いなしかのように、そこで大勢の人たちを癒し始められ、悪霊を追い出されました。
漁師であったペテロの家は大邸宅とは想像し難いですし、イエス様が働いておられる限り弟子たちだけでなく、家族も休めなかったことでしょう。夜遅くまで人々が残っていたでしょうし、朝早くからも人々が詰めかけていたことでしょう。
けれども、多くの人がキリストの恵みに与る場所とは、こういう場所でもあります。イエス様の働きの為に用いられるとは、こういうことでもありまます。
そこにあるのは、自分にとって心地よいことだけではなく、自分にとって不快なこともあるでしょうし、我慢しなくてはならないこと、犠牲を払わなくてはならないこともあるでしょう。
けれども、そのようにして、他の誰かが神の恵みを知るようになる時、そこには喜びも起こり得ます。それは、自分がキリストを知るだけでなく、キリストの御業を間近で見させて戴くことにもなるからです。
後々、シモン・ペトロは喜びをもって、そのことを語ったことでしょう。「あの日、イエス様が自分の家に来てくださって、姑を癒してくださった。そこにいた家族もまた、神様の恵みを見て喜んだ」と。
イエス様は私たちをも、しかも、平穏無事な事ばかりではありませんが、神様の栄光のために用いられ、新しい命にあずかり、共にキリストに仕えるように、即ち弟子とされていかれます。弟子とは、キリストの御業を安全な場所に身を置いて遠くから眺めている者ではなく、キリストと共に働く者とされることです。
この弟子、そしてペテロの姑に触れられたイエス様の姿を思います時、40年程前のあることを思い出します。現在、毎主日いろいろな教会を巡回し、話をしていますので以前にここでも話したかもしれませんので、重複するかもしれません。
当時、聖公会神学院の学生でしたが、「臨床牧会訓練」という、当時は「地獄の訓練」などと言っており、今では懐かしさもあります、聖路加病院で三週間泊まり込みのプログラムでした。
神学院を出る時、当時の竹田眞校長先生から言われましたのは、「君たちは医師免許も、看護師免許も持っていない。そこで、一切の治療行為、医療行為はできない。唯一あるのは、聖書のみ言葉、神のみ言葉だけだ」と。
その言葉を胸に、病に苦しみ人たちを慰め、励まし、元気付けてあげようと意気揚々と神学院を後にしました。振返りますと、なんとも不遜で傲慢であったか、「穴があったら云々」とは、まさにことに他なりませんでした。
一人六科、30人程の患者を受け持ちますが、実習ということで守秘義務を課せられた上で、病状、この後のこと、国籍などのデータをいただき、病室へ赴きます。
勿論、病床訪問のノウハウを学ぶ訓練ではありません。徹底的に自分と向き合わされ、まるで心まで丸裸にされるようなものでした。
その折、小児科病棟に一人の少女がおりましたが、今なら違ったことでしょうが、非常に難しい小児白血病でした。個室のベッドに一人寝かされ、小さな体に管が複数差し込まれている状態でした。そのことを前以て知らされていましただけに、「さぁ、聖書の言葉、神様のみ言葉を以て励まし、力付けてあげよう」などと相変わらず不遜な想い出ドアをノックしました。
しかし、ひとたび病室の中を目にするや、次に心に浮かびましたのは「一秒でも早く逃げ出したい」という思いでした。
聖書の言葉は心からも頭からも全く抜け、と同時に思いましたのでは、確かに聖書には素晴らしい言葉が散りばめられているけれども、それを目にする者、耳にする者、語る者が本気で思っていない限り、それは単なる文字の羅列、音声の羅列でしかなくなるということでした。
その後も病室へ伺いはしましたものの、「お大事に」と辛うじて言えるのが関の山でした。
その幼子が、ある日看護師さんに車椅子で礼拝堂へ連れて行ってもらいました。祭壇を目の前に左側にある「よき羊飼い」の大きな壁画をじっと見つめた後、看護師さんに言いました。
「私、もうすぐ死ぬかもしれないけれど、そうしたらあの羊さんみたいにイエス様に抱っこさしてもらって、神様の所に連れて行ってもらえるのだろうな。イエス様に抱っこしてもらったら温かいだろうな、安心できるだろうな、恐くなくなるだろうな」と。
幼くして自らの死を受け容れる姿にも感動を禁じ得ませんが、それに続く言葉を、私は今でも素晴らしい信仰告白として聞き続けています。そして、これは私たちをいつも大きく包み込んでくださっている神様の中での出来事と思ってもいます。
この少女もまた、イエス様の差し伸べられる手をしっかりと握り返して放さず、イエス様の弟子となっていったと言っても大袈裟ではないと思っています。
私たちキリストの教会が、生けるキリストの御業が豊かに現れ、多くの人が神の恵みを知るようになる教会とされていくことを深く祈ります。
(主教 フランシスコ・ザビエル高橋宏幸)
