大斎節第3主日 説教

3月3日(日)大斎節第3主日

出エジプト 20:1-17; ローマ 7:13-25; ヨハネ 2:13-22

今日の福音書朗読は「宮聖め」として知られる箇所です。これは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、すべての福音書に描かれている数少ない出来事の一つです。

 しかし、共観福音書(マルコ、マタイ、ルカ)の中では、イエス様がエルサレムに入城して、十字架にかけられる前の出来事として「宮聖め」が出てきます。

 それに対してヨハネ福音書は、イエス様の活動開始の直後に起こった出来事として「宮聖め」を位置付けています。

2章13節で、イエス様が過越祭のタイミングでエルサレムに行ったことが告げられていますが、ここにはヨハネ福音書著者のGrand Design(大構想)が示されています。

 ヨハネ福音書を書いた人は、過越の祭りというモチーフの中で、イエス・キリストを描こうとしています。

 ヨハネ福音書は、イエス・キリストを通してなされる「救いの出来事」を、「新たな過越」として描こうとしている福音書なのです。

 イエス・キリストによる救いの出来事を「新たな過越」として描くという大構想は、旧約聖書の全体を、後にやってくる「実体」の「影」として解釈するという戦略に基づいています。

 イエス・キリストこそが実体であって、旧約聖書はイエス・キリストを映す「影」なのだ。そうヨハネ福音書の著者は考えています。一種のプラトニズムです。

 ヨハネ福音書のイエス様は、バプテスマのヨハネから洗礼を受けません。バプテスマのヨハネは、イエス様に洗礼を授ける代わりに、イエス様が「神の小羊」であると宣言します。

 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(1:29)「見よ、神の小羊だ。」(1:36)

 ヨハネ福音書の著者はここで、イエス・キリストを「まことの過越」のために捧げられる、「まことの小羊」だと言っているのです。

 ここでも、毎年行われる過越の祭りで捧げられる小羊は、実体であるイエス・キリストの影であるという解釈が背後にあります。

 今日の「宮聖め」の場面で、イエス様は神殿当局者たちと対決します。ここには歴史的なイエス様の姿が反映されています。

 イエス様の時代、神殿はイスラエルの政治、経済、宗教、文化の、つまりは、すべての中心でした。

 ユダヤ人にとって神殿は、「神が自分たちと共におられる」ということを目に見える形で表す、もっとも重要なしるしでした。

 しかしイエス様は、神殿を中心とする体制が、民衆の肩の上に、決して担うことのできない重荷を負わせていることを知っていました。

 ですからイエス様は、神殿当局者に向かって、神殿を強盗の巣にしていると言って非難しているのです。

 イエス様が神殿当局者と敵対していたことは、歴史的事実です。

 しかしヨハネ福音書の著者はさらに一歩進んで、「イエス様の体こそがまことの神殿なのだ」と主張します。

 これは神殿中心体制を支えたユダヤ人たちに対する、ヨハネ福音書の教会の勝利宣言でもあります。

 神殿中心体制を支えたユダヤ人というのは、ユダ人社会のメインストリームに属する人たちであり、力を持った人たちでした。

 神殿こそがその人たちの力の源泉ですから、彼らにとって神殿を守ることは至上命題でした。

 神殿という物理的な構造物とエルサレムという場所を失えば、そこで全てが終わってしまうわけです。

 そして、紀元後の70年に、それが実際に起こりました。エルサレム神殿が、ローマ軍によって滅ぼされたのです。

 神殿当局者は、神殿中心体制を守るために、イエス様を十字架につけて殺しました。

 彼らの熱意はローマに対する武装蜂起となり、神殿はローマ軍によって滅ぼされました。

 そして、神殿中心体制を支えていたヘロデ家、祭司たち、神殿貴族階級のサドカイ派、長老たちも滅びました。

 しかし神殿を守ろうとした者たちによって殺されたナザレのイエスは、復活のキリストとして弟子たちの前に現れました。

 「父なる神と一つであり、死から命へと移されたイエス・キリストこそ、滅びることのないまことの神殿であり、エルサレム神殿は強盗の巣として神に捨てられた。」

 そうヨハネの福音書の著者は言っているのです。

 紀元後の66年に主流派のユダヤ人がローマ軍に対して武装蜂起した時、ユダヤ人クリスチャンたちはそこに加わりませんでした。

 そのために、ユダヤ教とキリスト教との分離はさらに加速しました。

 ユダヤ人クリスチャンが武装蜂起に加わらなかったのは、マスターであるナザレのイエスが、敵を滅ぼすことも、報復することも禁じたからです。

 ユダヤ教とキリスト教徒の分離は、ある人たちが考えるような、歴史的な偶然ではなく、むしろナザレのイエスその人の教えと生き方の必然的帰結です。

 第二次世界大戦後、神学の世界にも、新約聖書学の世界にも、劇的な方向転換がありました。

 「イエスはユダヤ人であった」ということが強調されるようになり、彼の教えと宣教活動を、ユダヤ教の伝統の延長として理解しようとすることが、大きなトレンドとなったのです。

 そのような方向転換が起こったのは、言うまでもなく、4世紀以降、教会を蝕んできた反ユダヤ主義が、ホロコーストに行き着いたことへの反省からです。

 もちろんイエス様はユダヤ人ですし、イエス様の弟子たちも皆ユダヤ人でした。

 しかし、「ユダヤ人」という民族性を強調するあまり、神殿祭儀と律法を守ることによって神の祝福を受けることを目指すユダヤ教という生き方と、ナザレのイエスが語った神の国の福音との間に、どれほど大きな断絶があるかということが、ほとんど語られなくなりました。

 しかし、キリスト教をキリスト教にしたのは、連続性ではなく断絶の方です。その断絶は、イエス様自身に由来するものです。

 ナザレのイエスは、律法と神殿という2つの巨大な伝統に挑戦したがために、神殿と律法の上に立てられたユダヤ教という生き方を転覆させてしまう危険人物として告発され、殺されたのです。

 私たちは今年の大斎節を、「平和」を大きなテーマとして掲げて過ごしています。

 暴力に溢れた世界の中で、イエス・キリストによって示された平和を作るために、もっとも重要なこと、私たちが覚えておくべきことは、とても単純なことです。

 それは、イエス・キリストは、神の国を実現するために、暴力を用いることを拒否したということです。

 私たちはエルサレム神殿を守るために、武器を取る必要がありません。

 私たちは、イエス・キリストを守るために武器を取ることさえ、求められていないんです。

 いや、むしろイエス様は、弟子たちが自分のために武器を取って戦うことを禁じられました。

 そのために、66年のローマ軍に対する武装蜂起のとき、クリスチャンたちは武器を取ることを拒んだんです。

 Jesus Movementが爆発的な勢いで世界に広がった理由の一つは、迫害に遭ったときに、武器を取って迫害者と戦う道を選ばなかったことです。

 迫害が酷くなったときには、クリスチャンたちは逃げました。

 家を奪われ、土地を奪われ、逃げなければならない。それはまったく喜ばしいことではありません。

 そんなことは無い方が良いに決まっています。でも、万一そういう状況になってしまったら、その時には戦うのではなくて、逃げることを選んだ。

 その結果として、Jesus Movement は、文字通り武器を取ることを拒否した者たちによる平和運動として、世界に広がりました。

 私たちは、すべての苦しみを無くすことはできません。でも、暴力を退けることはできます。人々を苦しませないという選択はできます。

 もし私たちが、暴力による解決という誘惑に争い、むしろ暴力に苦しむ人たちの逃れ場となることを願うことができたなら、聖マーガレット教会はキリストの平和の器となることができるのではないでしょうか。

そのような教会になることを、共に願い、祈ってください。