















3月31日(日)復活日
使徒 10:34-43; Iコリント 15:1-11; ヨハネ 20:1-18
イースターおめでとうございます。
イースターの日曜日は、英語で Easter Sunday と呼ばれます。これが日本語では「復活日」と訳されました。
残念ながら、これはあまり良い翻訳とは言えません。むしろ外来語のままでイースターとしておいてくれれば良かったのにと、私は思っています。
何年か前のイースターの時にもお話ししたことがありますが、本来の「復活日」、イエス・キリストの復活をお祝いする日は、毎週の日曜日です。そして、毎週の日曜日こそ、教会にとってもっとも重要な祝日です。
毎週の日曜日が復活日だとすれば、イースターは何だったのか。それはキリスト教版の「過越の祭り」でした。
ユダヤ教の過越の祭りは、出エジプトの出来事を祝います。
それに対してクリスチャンたちは、「過越の祭り」を、ナザレのイエスを神が死から新しい命へと移されたことの記念、「死から新しい命への過越」として行うようになりました。しかも、このキリスト教版の過越の祭りは、ユダヤ教の過越の祭りと同じタイミングで行われていました。
ところが、4世紀に教会とローマ帝国が急接近した時、皇帝コンスタンティヌスは、教会がユダヤ教の過越の祭りに合わせてイースターを祝うことを禁じました。こうして反ユダヤ主義が、キリスト教の中で絶対的な位置を占めるようになりました。
その結果、イースターは紆余曲折を経て、毎年、春分の直後の満月の直後の日曜日に行われるようになり、何を祝っているのかもイマイチわかりにくい祝日になってしまいました。
まぁ、それもそのはずで、イースターが東西両教会で最大の祝日に格上げされたのは、イースターの本当の目的は、ローマ皇帝の栄光を讃えるための、ローマ帝国のお祭りだったからです。
コンスタンティヌス的キリスト教が残した負の遺産は巨大で、西方教会でも東方教会でも、負の遺産の整理はあまり進んでいません。むしろ、問題を認識すらしていない教会が大部分かもしれません。
と言うことで、皆さん、イースターにたまたま来られなくてもいいので、むしろ復活日である毎週日曜日に、共に集まり、祈りと讃美をすることがずっと大切だと言うことを知ってください。
イースターやクリスマスだけ盛り上がる教会は、死期の迫っている教会です。そして多くの教会が、死から命へと過ぎ越せるかどうかの瀬戸際にあるのです。
神がナザレのイエスを死から新しい命へと移された。それは、天地創造の物語の著者である神が、最終章の最後の言葉を、死ではなく、命で締めくくられるということを示す出来事です。
それは同時に、ナザレのイエスが宣べ伝え、そして生きた神の国という夢を、世界を完成へと導くロード・マップとして神が承認したということです。
神はナザレのイエスを死から新しい命へと移すことによって、イエスが描いたロード・マップに従ってあなたたちも生きるようにと招いておられます。
死に寄生する生き方を、他者の死を内包する生き方を捨てて、命を慈しみ、命を養う生き方へと移るようにと、私たちに呼びかけておられるのです。
ナザレのイエスの夢に従って生きるその先にこそ、死をも飲み込む、新しい命があります。
しかし、イエス・キリストが死から新しい命へと移った後も、世界は死の中に留まっています。
レーガン・サッチャー時代以降、世界経済の支配原理となった新自由主義は、民衆からの収奪と、資本家への富の再分配を加速させました。
今の世界経済は、人を貧しくし、飢えさせ、生きられないようにしながら、一部の人間に富を集中するように組み上げられています。
日本もそこに乗っていますが、日本の収奪構造は世界にも類い稀なものです。物価は上がり、生活必需品の値段や、公共サービスの利用料金は年々、ものすごい勢いで上がり続けているのに、給料は上がりません。
また、ウクライナを舞台に始まった戦争によって、核戦争の危機が現実味を帯びる中で、昨年10月7日以降にはガザを舞台に、イスラエルによるパレスティナ人の無差別殺戮が始まり、それは今も続いています。
イスラエルは1948年以降、今に至るまで、パレスティナ人の民族浄化を進め、パレスティナ人の土地と資源の略奪を続けてきました。
アメリカとイギリスを中心とする西洋諸国は、中東の石油権益とスエズ運河の権益を維持するために、イスラエルに武器を与え、弾薬を与え、核兵器を与え、中東における西洋権益の要塞としてきました。
そのために、西洋諸国はイスラエルを支持し続け、イスラエルよって家を奪われ、土地を奪われ、難民とされた590万人の人々を犠牲にして、彼らの苦難に、見て見ぬふりを続けてきたのです。
今や、第二次世界大戦後の「世界秩序」も、国際政治も、世界経済も、死に寄生し、他者の死を内包するものであることが、誰の目にも明らかになりました。
私たち教会には、国際政治を動かす影響力も、世界経済を変える経済力も、世界秩序を組み直す軍事力もありません。
私たちにできることは、イエス・キリストが私たちに与えた、死から命へと移るためのロード・マップに従って生きることだけです。
その具体的な表れは、死に寄生する世界秩序や、国際政治や、世界経済の犠牲者と共に生きることです。それは最初期の Jesus Movement の活動家たちに倣う道です。
教会は、ローマ帝国の片隅で生まれた違法地下組織に過ぎず、何のステータスもなく、迫害に直面すれば戦うことを拒否して他の町へと逃がれるだけの、弱く、傷つきやすい者たちの集まりでした。
しかし弱く、傷つきやすい者たちの集まりが、滅びることはありませんでした。
Jesus Movement、イエスの運動は、空間を超え、時間を超えて世界を変え、今に至るまで続き、そして今、私たちをもその中に巻き込もうとしているのです。
ナザレのイエスを死から新たな命へと起こされた神が、私たちをも死の道から、新しい命への道へ移してくださいますように。
